1歳半の時に小児麻痺を患って、右足が不自由になってしまい、外で遊ぶことよりも、おままごとをしたり、(両親が料亭を営んでいたことから)料亭に出入りする芸者を真似て踊ることが好きだったという、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんは、幼稚園を1日で辞めてしまったそうですが、坂東さんは、その理由について、時期によって、いくつかの異なる説明をしています。

「坂東玉三郎の生い立ちは?幼少期から踊ることが好きだった!」からの続き

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幼稚園を1日で辞めたのは男女に分けられていたから?

まず、一つ目は、幼稚園の入園式の日、ブルーの上っ張りを着せられてブルーの列に並ばされ、ふと横を見ると、女の子たちがピンクの上っ張りを着せられピンクの列に並ばされていたそうで、

なんで分けられるのかと思うと、もういられないんだ

と、初めて足を踏み入れた社会で、男と女に分けられているのを見て、ここにいたくないと思ったという話。

(AERA 1997年5月12日号)

幼稚園を1日で辞めたのは一人で行くのが嫌だったから?

二つ目は、幼稚園の入園式の時、「雨が降って、なんだかさみしいな」と思って後ろを振り向くと、入り口のところに、他の保護者の人たちに混じり、お母さんの顔が見え安心したそうですが、

いつの間にか、お母さんの姿が見えなくなっていたそうで、

帰宅してから、

一人で行かなくてはならないのなら、もう明日から、行くの嫌だ

と、ダダをこねたという話。

(1972年の初写真集)

幼稚園を1日で辞めたのはどうしても好きになれなかったから?

三つ目は、朝早く起きなければならなかったことと、

ほかの子供たちは、楽しそうにはしゃいでいるのに、自分だけ、なにか全然違ったところに入れられてしまったように感じました。

広い部屋に、同じ机がずらっと並んでいて、同じ服を着せられ、そこへ座らされるのが、哀しいように思えたのです。

と、どうしても幼稚園が好きになれなかったから、という話。

(1976年 エッセイ集「真夜中のノート」)

幼稚園を1日で辞めたのは約束と違うから?

四つ目は、お母さんが付き添ってくれるということで、幼稚園に行ったものの、

(坂東さんは幼稚園は1日だけだと思っていたそうです)

2日目からお母さんは来ないと聞き、「約束が違う」と、辞めさせてもらったという話。

(2021年5月9日 Yahoo!ニュースでのインタビュー)

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小学校は「義務教育という法律上のことだから」と説明され納得して行っていた

こうして、坂東さんは、時期によって異なる話をしているのですが、過保護に育てられ、家族以外の人と会うのが苦手だったとも語っており、すべてのことが重なって、幼稚園に行きたくなくなったのかもしれません。

ちなみに、小学校に関しては、「義務教育という法律上のことだから」と理屈で説明されたことから、ちゃんと行ったそうで、

坂東さんは、

両親は僕を子ども扱いせず、子ども用の言葉を使わなかったんです。『法律上のことなら仕方がないかな』と思った。意外とませていたんでしょうか

と、語っています(笑)

「坂東玉三郎は7歳で初舞台「菅原伝授手習鑑」も東横ホールだった!」に続く

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