1971年、20歳の時には、市川海老蔵(後の十二代目市川團十郎)さんとの「海老玉コンビ」、21歳の時には、片岡孝夫さんとの「孝玉コンビ」で人気を博すと、
以降、「天守物語」で富姫役、「マクベス」でマクベス夫人役、「ナスターシャ」で男女2役を演じるなど、女形の第一人者として国内外で高く評価されてきた、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さん。
今回は、そんな坂東玉三郎さんの若い頃(「海老玉コンビ」時代以降)の代表作や経歴を時系列でご紹介します。

「坂東玉三郎の若い頃は美少年ぶりで三島由紀夫らを魅了していた!」からの続き
坂東玉三郎は20歳の時に市川海老蔵との「海老玉コンビ」で人気を博していた
国立劇場での「椿説弓張月」で、ブレイクとまではいかないも、一躍、人気を博した坂東玉三郎さんは、
1970年9月には、市川海老蔵(後の十二代目市川團十郎)さんとのコンビで売り出されると、「海老玉コンビ」として、若い女性を中心に人気を博しているのですが、
「椿説弓張月」の白縫姫役では、原作兼演出の三島由紀夫さんに落胆されるも、一般的には好評を博した、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんは、その後、松竹から本格的に売り出されることになるのですが、単独はかなわず、コンビと …
周囲からの妬みやそねみなどで坂東玉三郎さんが潰されることを恐れた、師匠で養父の守田勘彌さんの配慮により、坂東玉三郎さんは、主役が続かないように、主役と脇役を交互に演じていたそうで、一気にブレイクとはならなかったそうです。
1970年9月1日、松竹により、歌舞伎座での公演「新秋大歌舞伎」で、市川海老蔵(後の12代目市川團十郎)さんと共に売り出されると、海老蔵さんとの共演が”海老玊コンビ”と話題になった、坂東玉三郎(ば …
坂東玉三郎は21歳の時に片岡孝夫との「孝玉」コンビでブレイク
それでも、坂東玉三郎さんの人気は抑え切れないほどになっていたそうで、1971年6月、片岡孝夫(現・15代目片岡仁左衛門)さんとコンビを組むと、
スラリと背が高い2人(坂東玉三郎さん173センチ、片岡孝夫さん177センチ)は、これまでの古風な歌舞伎のイメージを一新した近代的な美しさで観客を魅了し、「孝・玉」コンビとして、たちまち大ブレイクを果たしたのでした。
妬(ねた)みや嫉(そね)みで潰されることを心配した、師匠で養父の14代目守田勘弥さんによって、主役と脇役を交互に演じていたという、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、1971年6月、片岡孝夫(現・15代目片岡 …

坂東玉三郎さん(左)と片岡孝夫さん(右)。
坂東玉三郎は22歳の時に篠山紀信の写真集「女形 玉三郎」でさらなるブレイクを果たしていた
そんな坂東玉三郎さんは、1972年には、写真家・篠山紀信さんによる写真集「女形 玉三郎」が発売されると、さらなるブレイクを果たしています。
片岡孝夫(現・15代目片岡仁左衛門)さんとの”孝・玉コンビ”で大ブレイクした、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、実は、その人気を一気に世間に広めたのは、写真家の篠山紀信さんだったとい …
ただ、当初、師匠で養父の守田勘彌さんが、この篠山紀信さんとのコラボーレーションに猛反対していたそうで、すんなりと実現した訳ではなかったそうです。
写真家の篠山紀信さんとのコラボレーションで、たちまち、世間にその名を広めた、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、すんなり事が運んだ訳ではなかったといいます。 「坂東玉三郎は篠山紀信によって更なる大ブレイクとな …
坂東玉三郎は25歳の時に「マクベス」でマクベス夫人役を演じ大ヒットしていた
さておき、写真集「女形 玉三郎」が大きな反響を呼んだ坂東玉三郎さんは、1976年2月、25歳の時には、シェイクスピア劇「マクベス」のマクベス夫人役にも起用されているのですが、この作品も大ヒットとなっています。

「マクベス」より。
篠山紀信さんとコラボレーションして、写真展を開催し、写真集を出版すると、大きな反響を呼び、歌舞伎界だけではなく、一般の週刊誌にも取り上げられた、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、今度は、シェイクスピア劇「マ …
坂東玉三郎は泉鏡花の「天守物語」の富姫役で人気・実力を兼ね備えたスターとして頂点を極めていた
また、坂東玉三郎さんは、1977年12月、27歳の時には、泉鏡花の「天守物語」で富姫役を演じると、この作品も爆発的なヒットを記録し、
この年、「ゴールデンアロー賞 演劇賞」を受賞するなど、人気・実力を兼ね備えた若きスターとして頂点を極めています。
1976年2月、シェイクスピア劇「マクベス」でマクベス夫人役を演じると、たちまち大ブレイクし、一躍、トップスターの座に駆け上った、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんは、その後も快進撃を続けます。 「坂東玉三郎は昔シ …
そして、1979年、29歳の時には、篠田正浩監督作品「夜叉ケ池」で映画初出演を果たすと、
次第に、歌舞伎から離れて、新派作品、舞台、朗読、舞踊などにも活動の場を広げ、海外からも注目を集めるようになっていったのでした。
坂東玉三郎は39歳の時にアンジェイ・ワイダ演出の舞台「ナスターシャ」で男女2役を演じていた
そんな坂東玉三郎さんは、1989年、39歳の時には、ドストエフスキーの「白痴」を原作とするポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダさん演出の舞台「ナスターシャ」で、ナスターシャという女性とムイシュキン公爵という男性の2役を演じると、
ショール1枚で見事に男女を演じ分ける早業を披露しているのですが、
実は、アンジェイ・ワイダさんが来日した際、京都で坂東玉三郎さんの「椿姫」を観劇し、衝撃を受けていたそうで、
この舞台「ナスターシャ」は、坂東玉三郎さんのために作った芝居だったのだそうです。

「ナスターシャ」より。
歌舞伎の枠を超えて、シェイクスピア劇「オセロー」、泉鏡花作品「天守物語」ほか、映画、演劇、朗読、舞踊など、活動の場を広げ、海外でも認められるようになっていった、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんは、1989年には、 …
坂東玉三郎は38歳の時にヨーヨー・マ、48歳の時にミハイル・バリシニコフとコラボレーションしていた
また、坂東玉三郎さんは、1988年、38歳の時には、チェロ奏者のヨーヨー・マさんとコラボレーションをするほか、
1998年、48歳の時には、バレエダンサーで振付師のミハイル・バリシニコフさんとバレエのコラボレーションをするなど、国内に留まらず、グローバルに活動しています。
1957年、7歳の時に、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」で初舞台を踏んで以来、数多くの作品で女方を演じると、1970年代からは、シェイクスピア劇などにも出演するほか、海外のアーティストとコラボレーショ …
さて、いかがでしたでしょうか。
梨園出身者ではないというハンデを背負いながらも、天性の美貌と徹底した芸の研鑽によって、歌舞伎界に不動の地位を築くと、70代を過ぎた現在も現役を続けている坂東玉三郎さん。
2025年8月の「八月納涼歌舞伎」第二部「火の鳥」は体調不良で中止となっていますが、これからも、体を大切にしつつ、変わらぬ情熱で唯一無二の姿を見せ続けてほしいものです。
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1964年、14歳の時、十四代目守田勘彌さんの養子となり、五代目坂東玉三郎を襲名すると、以降、圧倒的な美貌と卓越した演技力で歌舞伎界の立女形として確固たる地位を築いた、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さん。 そんな坂 …















