10代の時には、厳しい稽古に反発するも、祖父・十一代目市川團十郎さんの「勧進帳」の映像に感銘を受け歌舞伎の道に真剣に取り組むようになると、

23歳の時には、「平成の三之助」として新たな歌舞伎ブームを巻き起こし、30歳の時には、パリ・オペラ座での公演を成功させるなど、伝統を受け継ぎながら革新的な活動で歌舞伎界を牽引し続けている、十三代目市川團十郎(じゅうさんだいめ いちかわ だんじゅうろう)さん。

そんな十三代目市川團十郎さんですが、32歳の時には、暴行事件の当事者となっています。

今回は、十三代目市川團十郎さんの、生い立ち、若い頃の経歴、十一代目市川海老蔵時代の暴行事件についてご紹介します。

十三代目市川團十郎

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「市川團十郎」は歌舞伎役者の名跡の中でも最高位とされている

「市川團十郎家」は、歌舞伎の市川流の家元かつ市川一門を率いる宗家なのですが、

その由緒ある歴史と、長年に渡って歌舞伎界に輝かしい功績を残したことにより、「市川團十郎」は歌舞伎役者の名跡の最高峰とされています。

そのため、市川團十郎さんは、歌舞伎界の中でも、特別な家柄の出身です。

十三代目市川團十郎は5歳の時に歌舞伎座「源氏物語」の春宮役で初舞台

そんな市川團十郎さんは、お父さんの十二代目市川團十郎さんとお母さんの希実子さんのもと、長男として誕生しているのですが、

1983年5月、5歳の時、歌舞伎座「源氏物語」の春宮(とうぐう)役で初お目見えすると、1985年3月、7歳の時には、父・十二代目市川團十郎の襲名披露興行において、歌舞伎座「外郎売(ういろううり)」の甘坊(かんぼう)役を勤め、七代目市川新之助を襲名しています。

十三代目市川團十郎と十二代目市川團十郎
お父さんの十二代目市川團十郎さん(左)と七代目市川新之助(現・十三代目市川團十郎)さん(右)。

十三代目市川團十郎は10代の時(七代目市川新之助時代)には幼少期から続く厳しい稽古に反発していた

とはいえ、市川團十郎さんは、幼少期から続く厳しい稽古や、「市川宗家」という家柄の伝統がもたらす重圧に耐えきれず、10代の頃には、反発を繰り返していたといいます。

ただ、自身が生まれる前に亡くなり、一度も会ったことのない祖父・十一代目市川團十郎さんが「勧進帳」の弁慶を演じる映像を、偶然、目にすると、

スクリーンに映る祖父の芸の圧倒的な美しさとその勇ましい姿に深く感銘を受けたそうで、この出来事がきっかけとなり、市川團十郎さんは、歌舞伎の稽古に真剣に打ち込むようになったのだそうです。

十三代目市川團十郎は23歳の時(七代目市川新之助時代)に「平成の三之助」と呼ばれ人気を博していた

すると、2000年、23歳の時には、七代目市川新之助として、五代目尾上菊之助(現・八代目尾上菊五郎)さん、二代目尾上辰之助(現・四代目尾上松緑)さんと共に「平成の三之助」と呼ばれ、新たな歌舞伎ブームを巻き起こすほどの人気を博したのでした。

平成の三之助
「平成の三之助」より。(左から)二代目尾上辰之助(現・四代目尾上松緑)さん、七代目市川新之助(現・十三代目市川團十郎)さん、五代目尾上菊之助(現・八代目尾上菊五郎)さん。

十三代目市川團十郎は27歳の時(十一代目市川海老蔵時代)にパリでの襲名披露公演、30歳の時にはオペラ座での初の歌舞伎公演を成功させていた

そんな市川團十郎さんは、2004年、27歳の時には、フランス・パリのシャイヨー宮劇場での(十一代目市川海老蔵)襲名披露公演、2007年、30歳の時には、お父さんと共に実現したパリ・オペラ座での初の歌舞伎公演を成功させ、海外でも高く評価されたのですが・・・

オペラ座歌舞伎公演
パリ・オペラ座(ガルニエ)の「勧進帳」より。弁慶役を演じる十一代目市川海老蔵(現・十三代目市川團十郎)さん(左)と富樫役を演じるお父さんの十二代目市川團十郎さん(右)。

十三代目市川團十郎は32歳の時(十一代目市川海老蔵時代)に暴行事件の当事者となっていた

市川團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんは、2010年11月25日早朝、顔から血を流し大怪我をした状態でタクシーで帰宅すると、妻の小林麻央さんが救急車を呼び、虎の門病院に救急搬送されています。

実は、前日深夜、西麻布のバーで飲酒後、初対面のグループと意気投合し一緒に飲んでいたところ、

相手の一人から、

(グループの1人が)酔いつぶれたのはお前のせいだ

と、因縁をつけられ、

店外で約50分間に渡って顔面を執拗(しつよう)に殴られ、腹部や背中も蹴られる暴行を受けたそうで、

結果、左上顎骨粉砕陥没骨折、前歯骨折、内臓打撲による血尿など、全身多発外傷で全治2ヶ月の重傷を負い、全身麻酔による顔の整復手術を受けて約2週間入院し、窒息死や後遺症の恐れもある危険な状態になっていたというのです。

十三代目市川團十郎は32歳の時(十一代目市川海老蔵時代)に暴行事件後に謝罪会見を開いていた

一方で、この事件により、市川團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんが、事件当日の11月24日、体調不良を理由に翌25日の記者会見をキャンセルしながら、夜11時頃から飲み歩いていたことが発覚しており、

父親の十二代目市川團十郎さんは、急遽会見を開いて、

自覚のなさがなせるわざ。憤りを感じている。

と謝罪し、息子の舞台降板を発表しています。

そして、市川團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さん本人も、退院した12月7日夜、約500人の報道陣を前に会見し、

浅はかな行動。日ごろのおごりが招いた。

と深く反省し、

松竹社長が発表した謹慎処分(1月東京公演中止、2月名古屋公演代役)に同意しています。

ただ、暴行については、

暴力を振るったことは一切ない。死ぬかと思った

と、一方的な被害を強調したのでした。

十三代目市川團十郎が32歳の時(十一代目市川海老蔵時代)に暴行事件の犯人で元暴走族グループのリーダーが逮捕されていた

ちなみに、事件現場の飲食店関係者が、元暴走族グループ・関東連合(宮前愚連隊)リーダーの伊藤リオン氏(26歳)を名指ししていたほか、容赦ない手口や、その他の関係者への聴取、

また、市川團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんも、

黒人のハーフのように見えた

と、証言していたことから、

伊藤リオン氏が捜査線上に浮上していたそうで、警視庁は、2010年11月29日に逮捕状を取得し、行方不明だった伊藤リオン氏を同年12月10日、逮捕しています。

十三代目市川團十郎は32歳の時(十一代目市川海老蔵時代)泥酔状態で相手に絡んだのが原因で暴行を受けていた?

ただ、暴行事件の真相については、現場関係者の証言で、市川團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんの一方的な被害という当初の説明とは異なる状況が明らかになっています。

実は、最初に、泥酔した市川團十郎さんが、六本木の闇組織を取り仕切る男A氏に対し、灰皿でテキーラを飲ませようとしたり、頭突きをするなど乱暴な態度をとっていたそうで、

(A氏は芸能プロダクションも経営していて芸能界に人脈があり、それが縁で市川團十郎さんとも知り合っていたそうです)

これを見た伊藤リオン氏が、先輩格のA氏が愚弄されたことに激怒し暴行に及んだというのです。

(伊藤リオン氏は、A氏の後輩で、A氏の経営する六本木のクラブで用心棒として働いていたそうです)

十三代目市川團十郎は32歳の時(十一代目市川海老蔵時代)に「トーヨーボール事件」の主犯格と一緒に飲んでいた?

そして、このA氏とは、暴走族の元リーダーで「トーヨーボール事件」の主犯格だった石元太一氏だったそうで、

市川團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんが、謝罪会見で、

飲んでいて具合が悪くなった人を介抱していたら、そばにいた知らない人から一方的に暴行された

と、語っていたのは、

石元太一氏と交流があることが公になることを恐れてのことだったとされています。

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十三代目市川團十郎が32歳の時(十一代目市川海老蔵時代)の暴行事件は示談が成立していた

さておき、最終的には、市川團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんは、石元太一氏、伊藤リオン氏との間で示談が成立したそうですが、

この暴行事件で、一躍、有名になった石元太一氏は、この流れで、タレント活動を始めています。

「市川團十郎(13代目)は海老蔵時代に小林麻耶に暴露され謝罪していた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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