1971年に、北海道の無人島に移住すると、そこでは、ヒグマの子供・どんべえと同じ部屋で暮らしていたという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんですが、やがて、成長し、発情期を迎えたどんべえからは、目に敵意を燃やし、歯を剥き、毛を逆立てて、狂った野獣のような雄叫びを上げられたことがあったそうですが、なんと、パンチで応戦したといいます。

「ムツゴロウ(畑正憲)は昔子熊と一緒の部屋で暮らしていた!」からの続き

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飼っていた子熊が大きくなり北海道浜中町に引っ越す

ヒグマの子供・どんべえを、一家総出で献身的に世話をしていたというムツゴロウさんですが、翌年の1972年には、どんべえが大きくなったことから、対岸の北海道浜中町に引っ越しを余儀なくされたそうです。

というのも、熊に関しては条例があり、ある程度の大きさの熊舎を作らないといけなかったそうで、

(さもないと熊が殺されてしまうそうです)

無人島にコンクリートを運び、新たに熊舎を建設するというのは現実的ではなかったため、引っ越しすることに決めたのだそうです。

飼っていた熊が発情期を迎え攻撃してくるも返り討ちにしていた

こうして、一家で北海道浜中町に引っ越し、どんべえを専用の熊舎で飼育すると、どんべえはすくすくと育ち、成体と変わらないほどに成長したそうですが、やがて、発情期(人間でいう思春期)を迎えたそうで、それは、ムツゴロウさんとの親離れ、子離れを意味していたのだそうです。

(ムツゴロウさんは、どんべえの発情を確認するため、麻酔もせずに、陰部の観察を行っていたそうで、それほど、どんべえとは強い信頼関係で結ばれていたそうです)

というのも、ある日のこと、どんべえが、突然、ムツゴロウさんに反抗し、攻撃してきたそうで、どんべえは、歯を剥いて、目に敵意を燃やし、毛を逆立てて、狂った野獣のような雄叫びを上げたのだそうです。

これには、ムツゴロウさんも、心臓が凍りつき、一瞬、死を覚悟したそうですが、同時に、かわいがって育てたどんべえに歯向かわれ、攻撃されたことに、本気で「殺してやる」と思ったほど、怒りがこみ上げてきたそうで、ファイティングポーズをとると、思い切り、どんべえの頬を殴りつけ、その後も、パンチとフックで追い打ちをかけたのだそうです。

(こん棒で力まかせに殴ったという話も)

返り討ちにされ熊舎の角で怯える熊をさすり涙が止まらなかった

すると、どんべえは、痛さのあまり逃げて行ったそうですが、その後も怒りが収まらなかったというムツゴロウさんはそのまま放置していたそうで、

夕方になり、ようやく、冷静になり、どんべえを見に行くと、熊舎の角で、生気のない目をし、小さくなって怯えているどんべえの姿があったのだそうです。

そこで、ムツゴロウさんがどんべえの所に行き、どんべえの腕をさすると、涙がとめどなく出て止まらくなったそうです。

(ムツゴロウさんによると、自然界では、子熊が自立する時、親熊と噛み合いをするそうで、熊などの野生動物と(その野生動物が発情期を迎えてから以降も)ずっと仲良く、良い関係でいるためには、子離れ、親離れの儀式として、このような命がけの対決がとても大事なのだそうです)

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熊が死亡した際には自ら執刀していた

こうして、ムツゴロウさんは、どんべえとの子離れに成功し、その後は、良好な関係を築いていたそうですが、1973年冬、3度目の冬眠に入ったどんべえにおやつを与えに熊舎に入った際、どんべえはすでに死んでいたそうで、

ムツゴロウさんは、自ら執刀し、死因を調べると、吸い込んだ藁がV字に気管に入り、出血したことによるものだったのだそうです。

「「ムツゴロウ(畑正憲)とゆかいな仲間たち」がスタートしたきっかけとは?」に続く

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