北海道浜中町では、ヒグマの子供・どんべえを飼育していた、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんですが、1972年には、「ムツゴロウ動物王国」を開園し、どんべえだけではなく、数多くの動物を飼育しながら作家活動をするようになったそうで、1980年、それらの動物たちとスタッフたちの共同生活を追ったテレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が始まると、たちまち、人気番組となります。

「ムツゴロウ(畑正憲)は発情期を迎えた熊にパンチで応戦していた!」からの続き

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北海道浜中町で「ムツゴロウ動物王国」を開園していた

飼っていたヒグマのどんべえが成長して大きくなり、条例で、ある程度の大きさの熊舎を作らないといけなくなったことから、1972年、北海道の無人島から北海道浜中町に引っ越しをしたというムツゴロウさんは、

北海道浜中町では、「ムツゴロウ動物王国」を開園し、ヒグマのどんべえだけではなく、他の多くの動物を飼育しながら作家活動をするようになったそうです。

(ムツゴロウさんは、ヒグマのどんべえとの生活を描いたエッセイや、天然記念物に指定された動物の保全の現状を追跡したルポなどで、作家として高く評価されていたそうです)

テレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」は21年も続く超人気番組に

すると、やがて、ムツゴロウさんのエッセイに共鳴した若者達が次々と訪れ、共同生活をするようになったそうですが、1980年、この共同体の姿を追った、テレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が放送開始すると、

ライオンの頭を無防備に撫でたり、ワニの口の中に笑顔で頭を入れたり、野生のゾウと触れ合う、「動物愛」という枠を大きく超えたムツゴロウさんの型破りな行動や生き方は日本中を魅了。

番組は平均視聴率20%、最高視聴率30.2%を記録し、2001年まで21年も続く、超人気番組となったのでした。

ちなみに、ムツゴロウさんは、

もう1回目からすごい反響でビックリしましたよ。東京を歩いてるとどこでも声をかけられるようになっちゃって、しかも僕は人と話すこと自体は好きだから、つい話しこんでしまう。

それでちょっとした距離を移動するのに3、4時間かかったりして、スタッフに注意されました。

と、語っています。

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「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が始まったきっかけとは?

ところで、なぜ、「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が始まったのかというと、ムツゴロウさんは、もともとは、無人島の人間がいない所で生活しつつ、浜中町の土地を借りて道産馬などの日本古来の馬の繁殖をしようと計画していたそうですが、

いつの間にか、犬、猫、牛、馬、鶏などの動物がどんどん増えていき、気がつくと、500匹以上の動物と、その動物たちの世話をする約40人のスタッフと共同生活するようになっていたそうで、

そんな中、日枝久さん(後のフジテレビの社長)と東京の新橋でご飯を食べていた時、

(ムツゴロウさんは、北海道に引っ越してからもエッセイなどを書いていたため、東京のマスコミの人とはつながりがあったそうです)

ふと、ムツゴロウさんが、

誰も行ったことがないような場所へ行って思う存分動物と触れ合いたい

と、言うと、

日枝さんは、いきなり立ち上がり、

畑さんそれやりましょう

と、ムツゴロウさんの手を握ってきたそうで、

これをきっかけに番組がスタートしたのだそうです。

「ムツゴロウ(畑正憲)はぶっつけ本番で野生動物と触れ合っていた!」に続く

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