田中隆造オーナー(阪神電鉄社長)の強い要望により、辞意を撤回し、阪神の監督を続投することになった、中西太(なかにし ふとし)さんですが、実は、監督を継続する交換条件として、コーチ時代から折り合いの悪かった江本孟紀投手のトレードを要請していたといいます。

「中西太は阪神監督辞任を田中隆造オーナーの意向で取り消していた!」からの続き

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阪神監督続投と引き換えに江本孟紀のトレードを要請していた?

田中隆造オーナー(阪神電鉄社長)の強い意向で、小津正次郎阪神球団社長から遺留され、阪神タイガースの監督を続投することになった中西さんですが、

実は、その際、中西さんは、監督を続投する交換条件として、中西さんが打撃コーチの時から折り合いが悪かった江本孟紀投手のトレードを要望していたと言われています。

(江本さんは、批判精神や正義感から、歯に衣着せぬ言動をしていたそうですが、この言動は真面目な中西さんの心証を害していました)

打撃コーチ時代には江本孟紀と取っ組み合いのケンカをしていた

実は、中西さんが打撃コーチだった1955年、アメリカ・アリゾナ州で行われたテンピキャンプで、中西さんと江本さんは取っ組み合いのケンカをしたことがあったそうで、

江本さんは、その時のことを、

投手が外野で走ったり、ウエートトレをしとるのに、いきなり野手が打撃練習を始めたんや。若い投手が打球に当たった。だから、選手会長として太っさんに文句を言いに行った。そしたら謝るどころか、のらりくらり。あんまり腹が立ったから・・・

太っさんは身体は巨漢やけど、肝っ玉は意外にそうでもないんや。試合でピンチになるといつもベンチ裏に隠れるしな

と、語っています。

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1981年8月26日のヤクルト戦で江本孟紀は7回まで好投していたが・・・

それでも、結局、江本さんはトレードされなかったそうですが、1981年8月26日、ヤクルト19回戦(甲子園)で事件が起きます。

この日(8月26日)阪神は、先発した江本さんが、7回まで3安打1失点の好投で、勝利投手目前だったのですが(阪神が4対1とリード)、

8回表には、1死から、大杉勝男選手に左前安打、杉浦亨選手には一塁線へ強烈な二塁打を浴び、二、三塁のピンチを招くと、続く、渡辺進選手には右前にタイムリーヒットを打たれて1点を返され、4対2と追い上げられたそうです。

実は、江本さんは、7回で既に130球を超え、限界を迎えていたそうで、この回は、しきりにマウンドを蹴って、ベンチにサインを出していたそうですが・・・

「中西太は江本孟紀のピンチの場面でベンチ裏に引っ込んでいた!」に続く

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