阪神タイガースは、1リーグ時代に4回(1937秋、1938年春、1944年、1947年)、2リーグ制以降は5回(1962年、1964年、1985年、2003年、2005年)リーグ優勝しているのですが、今回は、残り9試合を9連勝して、公式戦最終日に優勝を決めた、1964年の奇跡の逆転優勝についてご紹介します。

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阪神はエース・小山正明を放出してまで大毎オリオンズの4番打者・ 山内和弘を獲得していた

阪神タイガースは、1963年オフ、長年の課題である打線強化に着手するべく、村山実投手とダブルエースだった小山正明投手を放出してまで、大毎オリオンズの4番打者・ 山内和弘(後に一弘)さんを獲得しています。

(「世紀のトレード」と大きな話題になったそうです)

若手が積極的に使われていた

一方、投手陣は村山実投手に加えて、3年目のジーン・バッキー投手がこのシーズンからローテに入ったほか、捕手陣も山本哲也選手や福塚勝哉選手に代わって前年(1963年)入団の辻佳紀選手(ヒゲ辻)がレギュラーになるなど、若手が積極的に起用されたそうです。

大洋ホエールズを逆転して優勝するのはほぼ不可能な状態だった

さておき、迎えた開幕戦では、吉田義男さんがホームランを放ち、村山実投手が4安打完封(1対0で勝利)と、幸先の良いスタートを切ったそうですが、

9月18日の時点で、首位の大洋ホエールズが、6戦を残し、あと3勝すれば優勝というところまできていたそうで、

阪神がこれを逆転するためには、大洋との直接対決4試合を全勝したうえ、残る3試合に2勝しなければならなかったそうで、

さすがに、阪神・藤本定義監督も、

もう優勝は無理。諦めたよ。このまま負けるのは悔しいから、せめて(大洋の)三原(脩)を徹底的にいじめてやるか

と、 ギブアップを表明していたのだそうです。

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直接対決の直前には村山実が家庭の不幸で登板できなくなっていた

しかも、阪神にとっては、不運なことに、直接対決の直前、村山実投手が家庭の不幸で登板できなくなってしまったほか、

迎えた直接対決第1ラウンドでは、舞台の川崎球場は雨で中止になってもおかしくないコンディションの中、大洋サイドには、1日延びたら22日からの巨人戦2連戦との間に休養日がなくなってしまうことから、早いところ優勝を決めてしまいたい、という思惑があったそうで、ダブルヘッダーが強行されたのだそうです。

(この年は東京五輪が開催されたため、日程が厳しく、ダブルヘッダーが多かったのだそうです)

「阪神タイガース逆転優勝の1964年はジーン・バッキーが大活躍していた!」に続く

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