1954年、「驟雨」で芥川賞を受賞すると、”第三の新人”として注目され、きめ細かい洗練された文体で、性を通して人間存在の意味を追求し続け、「砂の上の植物群」「暗室」「鞄の中身」「夕暮まで」などを発表した、吉行淳之介(よしゆき じゅんのすけ)さんですが、
プライベートでは、結婚して十数年後に家を出て不倫相手と暮らし始め、妻が離婚に応じなかったことから、その後、生涯に渡って、妻と不倫相手の三角関係だったといいます。
今回は、吉行淳之介さんと妻の関係、なぜ妻が離婚に応じなかったのかをまとめてみました。
「吉行淳之介の若い頃は?作家デビューからの作品や経歴を時系列まとめ!」からの続き
吉行淳之介の妻は生涯に渡って離婚に応じなかった
吉行淳之介さんは、1948年、24歳の時に、文枝さんという女性と結婚しています。
吉行淳之介さんと文枝さんは、1943年頃、共通の友人の紹介で知り合い、結婚に至ると、一人娘・麻子さんにも恵まれるのですが・・・
1960年頃、吉行淳之介さんは、家を出て、女優の宮城まり子さんの自宅で同棲生活を始めたといいます。
そして、文枝さんとの結婚生活がすでに破綻していると感じた吉行淳之介さんは、法律家の手を借りて、何度も離婚しようとしたそうですが、文枝さんはこれに応じなかったそうで、
結局、吉行淳之介さんは、生涯に渡って、文枝さんとは(法律上)離婚することができず、不倫相手の宮城まり子さんと連れ添ったのだそうです。
吉行淳之介の妻は被害者の立場にもかかわらず批判にさらされ疎まれていた?
吉行淳之介さんと文枝さんの間に何があったのか、具体的なことは不明ですが、文枝さんは、吉行淳之介さんとの離婚を拒否し続け、吉行淳之介さんと宮城まり子さんへの嫌がらせに人生を費やしたそうで、ついには、一人娘の麻子さんにも愛想を尽かされたといいます。
(麻子さんは22歳の時、家を出て、父・吉行淳之介さんとその不倫相手・宮城まり子さんの家で暮らすようになると、この家から嫁いだのだそうです)
また、吉行淳之介さんが他界された際、母親の吉行あぐりさんは、戸籍上の妻の文枝さんでなく、不倫相手の宮城まり子さんにお葬式を任せたうえ、戸籍上の妻の文枝さんは呼ばなかったそうで、
(これは、吉行淳之介さんが、遺言書で、葬式の喪主に宮城まり子さんを指定していたからだと言われていますが、この遺言書は週刊誌に掲載されたものであり、実物が掲載されたわけではないため、真偽は不明です)
文枝さんは、本来なら、夫に捨てられた被害者である立場にもかかわらず、周囲の多くの人から批判され、疎まれていたといわれており、
(実際はどうだったのか、真偽は不明です)
皮肉なことに、そんな文枝さんに最後まで優しかったのは吉行淳之介さんだけで、文枝さんの誕生日には必ず紅いバラの花が届き、生活に困ることもなかったといいます。
吉行淳之介は著書「闇の中の祝祭」で妻と不倫相手との三角関係を描いていた
ちなみに、吉行淳之介さんは、著書「闇のなかの祝祭」で、妻と不倫相手の間に挟まれて疲れ果てていく男の様子を描いているのですが、
物語の中では、夫の不倫を知った妻の草子が、夫の不倫相手の奈々子に嫌がらせの電話をしたり、車をぶつけたり、「絶対に別れない」と言ったりする描写があったことから、
文枝さんは、吉行淳之介さんに、
世間では作品に出てくる女性は私のことだと思っている
と、不満を述べていたと言われており、
この小説の影響で、世間の文枝さんに対する印象が悪くなったのかもしれません。
(実際、妻と不倫相手の三角関係を描いたこの小説が発表された時は、大きな話題となったそうです)
「闇の中の祝祭」
吉行淳之介の妻は回想記「淳之介の背中」を出版していた
そして、時を経て、吉行淳之介さんの没後10年となる2004年、文枝さん(80歳)は、回想記「淳之介の背中」を出版しているのですが、
文枝さんは、この出版について、
もう私も年ですし、一人ぐらいは理解してくださるかもしれないと思って書きました
私たち夫婦は、ある時をさかいに、別々に暮らさなくてはならなくなりました。(中略)交わした言葉のひとつひとつ、日日の一片一片は、少しも色褪せることなく私の中にあります。若かったふたりがともに過ごした時間は、それほど楽しく、濃く、凝縮されたものでした
と、語っており、
文枝さんがこの本を出版したのは、”吉行淳之介の妻”であることだけを拠り所に生き、吉行淳之介の妻は自分だけであることを、周囲に認めさせたかったからでは、と言われています。
ちなみに、この「淳之介の背中」には、出会いから別離までの十数年間の生活が綴られているそうですが、それまで、文枝さんが夫について公に語ることはほとんどなく、しかも、初めて明かされる初期作品の創作の背景なども盛り込こまれていることから、素顔の吉行淳之介さんを知る資料としても注目され、
生前の吉行淳之介さんを知る文芸評論家の種村季弘さんは、
この本は初期短編をよりよく知るための補助線になる。著者(文枝さん)は、遠ざかっていく背中という視点から素顔の吉行像を明快に描いている。その書き方は情念を排除し、何も残したくなかった吉行にふさわしい
と、語っています。
「吉行淳之介は宮城まり子と35年間事実婚!子供は?全著作権を遺贈していた?」に続く
1948年に結婚するも、1960年頃には家を飛び出し、女優の宮城まり子さんと同棲生活を始めたという、吉行淳之介(よしゆき じゅんのすけ)さんですが、 妻が離婚を拒否し続けたため、その関係は、吉行淳之介さんが他界するまでの …