日本人なら誰でも一度は聴いたことがあると思われる、「森田一義アワー 笑っていいとも!」のテーマ曲「ウキウキWATCHING」は、放送期間の1982年から2014年まで、32年間もの間、お茶の間に流れ続け、すっかりお馴染みとなりましたが、実は、伊藤銀次(いとう ぎんじ)さんが作曲していたといいます。

今回は、伊藤銀次さんが「笑っていいとも」のテーマ曲の制作依頼を受けた時のことや、制作時のエピソードなどをご紹介します。

伊藤銀次

「伊藤銀次と佐野元春の出会いは?伝説のライブ「東松山の奇蹟」とは?」からの続き

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伊藤銀次は「笑っていいとも」のテーマ曲をプロデューサーの横澤彪から直々に依頼されていた

伊藤銀次さんは、「笑っていいとも」の前に放送されていた、お昼の番組「笑ってる場合ですよ!」がまだ放送中だった頃、プロデューサーの横澤彪さんから直々に、「笑っていいとも」のテーマ曲の依頼を受けたそうですが、

横澤彪さんは、それまで、「イグアナのモノマネ」や「4か国語麻雀」などアングラな存在で、決して夜11時より早い時間にはテレビに登場しなかったタモリさんを、

昼間のスターにしてみせます!

と、明るく力強く豪語しつつ、

そんなタモリさんが、若い男性3人組の「いいとも青年隊(野々村真さん、羽賀研二さん、久保田篤さん)」と一緒に歌って踊りながら登場する構想を明かし、

銀次さんにはそんな曲をお願いしたいのですが

と、依頼を受けたのだそうです。

伊藤銀次は「シャボン玉ホリデー」のエンディングから「笑っていいとも」のテーマ曲をイメージしていた

そんな伊藤銀次さんは、この依頼を受けた時、当時のタモリさんのイメージとのギャップにとても驚き、一瞬、戸惑いはあったそうですが、

1960年(昭和30年)代に、大好きで毎週楽しみにしていた音楽バラエティーショーの草分け的番組「シャボン玉ホリデー」のエンディングシーンが、何故かふと脳裏に浮かんだそうです。

というのも、「シャボン玉ホリデー」は30分の番組で、「クレージーキャッツ」や「ザ・ピーナッツ」が出演し、「およびでない」や「がちょーん」などの楽しいギャグ、おしゃれでポップな洋楽のカバーなどが満載で、

特に、その日の出演者が最後に全員登場し、ボックスステップを踏みながら坂本九さんの「明日があるさ」を歌うシーンが、とてもウキウキし、忘れられなかったそうで、

伊藤銀次さんが、横澤彪さんに、

そんなイメージの曲はどうでしょう?

と、提案したところ、

横澤彪さんも、

いいですね、それでいきましょう!

と、快諾してくれたのだそうです。

伊藤銀次は「笑っていいとも」のテーマ曲「ウキウキWATCHING」をわずか20分ほどで完成させていた

そこで、伊藤銀次さんは、作詞家の小泉長一郎さんによる「ウキウキWATCHING」というタイトルの詞がすでに出来上がっていたため、早速、それをもらうと、

一目散に帰宅し、家に到着するや、ギターを手にして曲を作り始めると、なんと、20分ほどで完成したそうで、

伊藤銀次さんは、

いつも自分が歌う作品の場合は、あれこれ余計なことを考えすぎて腰が重くなってしまうのが、すでに詞もあって、それがとってもポップで語呂のいい作品だったので、軽い気持ちでひたすら詞にそってメロディーを口ずさみはじめたら一気にできてしまった。

とりあえず僕が今まで手掛けた曲の中では最短作曲時間曲だろう。

と、語っています。

(伊藤銀次さんは、この曲が32年もの間、お茶の間に流れることになろうとは、この時は夢にも思わなかったそうです)

「ウキウキ WATCHING」
「ウキウキ WATCHING」((左から)野々村真さん、久保田篤さん、羽賀研二さん)

伊藤銀次は鷺巣詩郎が編曲した「ウキウキWATCHING」はディキシー・ランド・ジャズ風なアレンジがちょうどフィットしたと思っていた

ただ、伊藤銀次さんは、この頃、忙しかったことから、「ウキウキWATCHING」の編曲は、作曲家・編曲家の鷺巣詩郎さんに依頼したそうで、

完成した曲を聴いた際には、少し、ルイ・アームストロングの「Hello Dolly」のようなディキシー・ランド・ジャズ風なアレンジがちょうど曲にフィットし、それが良かったと思ったそうです。

(ディキシー・ランド・ジャズとは、アメリカ南部ニューオーリンズ地方で1910年代に発達したジャズ音楽のスタイルで、最も古いジャズ音楽形式の一つだそうです)

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伊藤銀次は「テレフォンショッキング」に出演した際に披露したボックスステップでタモリに大笑いされていた

ところで、伊藤銀次さんは、「笑っていいとも」の人気コーナー「テレフォンショッキング」に、1度だけ出演し(1986年2月11日)、「ウキウキWATCHING」の曲作りの話になった時、「シャボン玉ホリデー」の話をしながら、その場で立ち上がり、思いつきでボックスステップを踏もうとしたそうですが、

その際、手足がチグハグに動いて、とてもみっともないダンスになってしまい、タモリさんにも思い切り笑われたそうで、ちゃんと練習しておけば良かったと、今でも悔いが残っているそうです。

ちなみに、タモリさんとはこの時が初対面ではなく、1970年代、タモリさんがまだ世に出る前、ジャズピアニストの山下洋輔さんの東京でのライブの打ち上げで、タモリさんとインチキ・ドイツ語歌舞伎などをやったことがあっそうです(笑)

また、伊藤銀次さんは、山下洋輔さんが会長を務めていた「全冷中(全日本冷し中華愛好会)」のメンバーだったそうです(笑)

「伊藤銀次はイカ天(三宅裕司)で吉田建と共に辛口コンビとして人気者だった!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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