羽賀研二の生い立ちが悲惨!若い頃はいいとも青年隊!梅宮アンナとも!


1981年、高校3年生の時、スカウトされて芸能界入りすると、翌年の1982年には、「笑っていいとも!」「いいとも青年隊」に起用され、一躍人気を博した、羽賀研二(はが けんじ)さん。そんな羽賀さんの知られざるルーツを調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

羽賀さんは、1961年7月21日生まれ、
沖縄県コザ市(現・沖縄市)のご出身、

身長183センチ、
体重68キロ、

血液型はB型、

学歴は、
中央高校卒業、

本名は、當眞美喜男(とうま みきお)で、
旧芸名は、羽賀健二です。

悲惨な生い立ち・・・極貧&ハーフでいじめ

羽賀さんは、米兵のお父さんと日本人のお母さんの間に沖縄で誕生するのですが、お父さんは羽賀さんが生まれてすぐに本国に帰国してしまい、羽賀さん母子には何の援助もしなかったため、生活は困窮を極めます。

幼稚園の頃は、住む家がなく、知り合いの電気店の廃屋同然の納屋を住まいとし、トイレとお風呂は母屋で借りるという生活だったそうで、お母さんはスナックで働き、おばあちゃんは内職するも、お金がなく、夕食は(お母さんが勤めるお店の)乾き物だけ、ということもあったそうです。

(暗くジメジメした室内にはカビが繁殖しており、羽賀さんとおばあちゃんが体調を崩すことも多々あったそうです)

そんな生活の中、羽賀さんも、小学2年生から中学卒業まで新聞配達を続けて家計を助けるのですが、極貧で母親は水商売、本人はハーフで赤毛と目立つ存在だったため、小・中学校時代は執拗ないじめにあい、3回も自殺未遂をしたほど、生活環境はつらく厳しいものでした。

スカウトで芸能界入り~初代「いいとも青年隊」で一躍人気タレント

ただ、高校に進学してバスケットボール部に所属すると、4番や5番を背負う中心選手としてチームをインターハイに導き、高校3年生の時には大学から声がかかるなどバスケの才能を開花。


高校時代の羽賀さん

そして、同時期、沖縄市内のジーンズショップで友人と買い物をしている時に、たまたま訪れていた東京の芸能プロダクションの社長にスカウトされて、芸能界入りすると、高校卒業後の1981年には、ミュージカル「ザ・ファンタスティックス」で芸能界デビュー。

(この友人は、羽賀さんの数少ない友人のうちの1人で、後に、羽賀さんの親友としてテレビ出演されています)

また、「一世風靡セピア」の前身の一つである、男性路上パフォーマンス集団「劇男零心会」にも所属されると、

翌年の1982年には、森田一義アワー 笑っていいとも!」の放送スタートと同時に、
野々村真さん、久保田篤さんとともに、初代「いいとも青年隊」に起用され、同年には、ファーストシングル「街角ロンリー・レイン/傷つけて愛」で歌手デビューも果たすなど、タレント、俳優、歌手として順調にキャリアを重ねていったのでした。


「街角ロンリー・レイン/傷つけて愛」

多額の借金

こうして、一躍イケメンタレントとして人気を博し、悲願だったお金持ちの仲間入りを果たした羽賀さんは、BMWなどの高級車を乗り回して六本木などで豪遊するようになり、

1994年当時には、高級住宅街である世田谷区等々力に豪邸を建設するほか、「ベンツ600SEL」「フェラーリ412」など1台2000万円もする高級外車を複数台、ゴルフ場の会員権を8ヶ所、アメリカにコンドミニアムと、まるで資産家のように次々と散財。

(タレントとしての知名度を利用して複数の女性をパトロンにしていたとの話も)

ただ、そんな華やかな生活の裏には、極貧への恐怖心が常にくすぶり続けており、その反動から派手な生活を送っていたようで、結果、2億円以上もの借金を抱えてしまうことに・・・

梅宮アンナと交際~馴れ初めは?

そんな中、羽賀さんは、1994年、
梅宮辰夫さんの娘、梅宮アンナさんとの交際を週刊誌で報じられます。

実は、お二人の出会いは、梅宮辰夫さん主催のパーティーだったと言われており、アンナさんはまだ、芸能界に入られる前の高校生。

そして、アンナさんによると、羽賀さんの初対面の印象は「すごい遊び人」で、その後、連絡を取ることもなかったのだそうですが、

その数年後、あるバラエティ番組のデート企画で一日中一緒にいたところ、アンナさんの話をすごく聞いてくれたことから、(その前に付き合っていた人は自分の話ばかりする人だったため)「とても親切なんだな」と、羽賀さんに夢中になっていき、交際されるようになったのでした。

梅宮辰夫は反対~誠意~ペアヌード写真集「アンナ 愛の日記」

ただ、その後、羽賀さんが多額の借金を抱えていることが判明したことから、梅宮辰夫さんは、二人の交際を公然と反対。

さらに、グラビアアイドルの桜庭あつこさんが、羽賀さんとの関係をマスコミに暴露したことが騒動に拍車をかけます。

一方、これを受けて記者会見を開いた羽賀さんは、
自身への批判を繰り返す梅宮さんに対して、

「誠意をもって」
「誠意を示して」

など「誠意」という単語を連発したことから、「誠意大将軍」と揶揄されるように・・・

それでも、翌年の1995年には、羽賀さんとアンナさんが、ペアヌード写真集「アンナ 愛の日記」を出版したことから、アンナさんが羽賀さんの借金返済のため、利用されたのではないかと騒動が加熱していったのでした。


「アンナ 愛の日記」

ちなみに、後にアンナさんは、

私一人で考えて、純粋にメモリアルとしてやったもの

と、この話を否定しているのですが、

本当のところ、まんま言葉どおりなのか、羽賀さんの借金を返済してあげたいという思いからだったのかは、知る由もありません。

梅宮アンナと破局

しかし、そんなお二人も、アンナさんから別れを告げる形で1999年に破局。

破局の理由は、アンナさんによると、

お二人は、ある俳優のハワイでの結婚式にそろって列席されたのですが、
ケーキ入刀の際の司会者の、

夫婦そろっての初めての共同作業です

という言葉にものすごいショックを受けたのが引き金だったそうで、

普通の人は、結婚が始まりなんだ。
じゃあ私、この人と結婚したあと、どんな新鮮なことがあるんだろう?
と、思うと、急に熱が覚めてしまい、さらに、

そう思ったら、何だかいろいろなことが自分の中で一気に崩れちゃって、
先が見えなくなったんです。

で、次の日に仕事で先に帰る彼を私が空港まで車で送って行って、
「バイバイ」って普通に見送ってから、それ以来ずっと会ってないですね。

でも、それ以上一緒にいてもしょうがなかったし。
まあ、本当にいろいろあったから、いきなり恋の魔法が解けた感じでしたね。

と、明かされたのでした。

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梅宮家の数十億の資産が目当てだった?

ところで、羽賀さんは、後に「未公開株詐欺事件」を起こすのですが、

この事件の被害者は、

羽賀が梅宮アンナさんと付き合っていたころ、
彼が僕と何人かで飲んでいた時も、
ずっと梅宮辰夫さんの財産の話ばかりしていた。

「そんな話やめときな」と言っても、
意に介さず、お金の話をし続けていたんです。
羽賀はお金のためなら人を騙すことも、なんとも思っていないのでしょう。

と、明かされており、

羽賀さんがアンナさんと交際していたのは、やはり、2億円以上の借金を返済するためで、梅宮家の数十億円の資産が目当てだったと言われています。

ちなみに、それを察知した梅宮辰夫さんが、再三、娘のアンナさんに羽賀さんと縁を切るように伝えられるのですが、アンナさんは気にもとめなかったそうで、

後に、アンナさんは、テリー伊藤さんとの対談で、

テリー:
その間、世間から叩かれたじゃない。
その時に、ご両親や周りから「あんな男と早く別れなさいよ!」
って言われたと思うんですよ。

梅宮:
そうですね。
でも、みんなが言っている彼と、実際に私が接している彼が全然違うから、
「みんな、何言ってるの? 何でそんなに騒いでるの?」って、
その時は思ってましたね。

と、普段とても優しい羽賀さんの虜になっていたことを明かされています。

ただ、アンナさんによると、「お金を貸して」と言われたことは一度もなく、「(お金は)私が出すよ」と、言いたくなる人だったそうで、それは羽賀さんの生まれ持った才能だとも、おっしゃっていました。

「羽賀研二が宝石商?未公開株詐欺事件とは?実刑で沖縄に収監!」に続く

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