1999年にキーボード奏者の安藤さと子さんと3度目の結婚をするも、2007年に離婚した、玉置浩二(たまき こうじ)さんは、2010年には、元「C・C・ガールズ」でタレントの青田典子さんと4度目の結婚をしています。
今回は、そんな玉置浩二さんの、現在の妻・青田典子さんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)、子供についてご紹介します。
「玉置浩二と3番目の妻・安藤さと子の馴れ初めは?離婚理由は?」からの続き
玉置浩二と青田典子の馴れ初めは?昔交際していた!
玉置浩二さんは、2007年にキーボード奏者の安藤さと子さんと離婚すると、2009年には石原真理子さんと23年ぶりに復縁し、事実婚をするも、約6ヶ月で別れているのですが、
その翌年の2010年7月には、9歳年下の、元「C・C・ガールズ」でタレントの青田典子さん(当時42歳)と結婚しています。
実は、玉置浩二さんと青田典子さんが初めて出会ったのは、1987年頃(玉置浩二さん29歳、青田典子さん20歳)で、一時期、交際していたそうで、
青田典子さんによると、六本木のお店で打ち合わせをしていた時、真紫の肩パッドが入ったステージのままの玉置浩二さんが歩いて来て、
(青田典子さんが打ち合わせをしていた人が玉置浩二さんの友だちだったことから)「おお」という感じで挨拶をしたそうで、これが2人の初対面だったそうです。
(玉置浩二さんは覚えていないとのこと)
そして、次に会った時、玉置浩二さんと青田典子さんはタクシーに乗るために道を歩いていたそうですが、とても寒い時期で、玉置浩二さんが青田典子さんに、
寒いだろ、手貸して
と言って、青田典子さんの手を取り、一緒に自分のポケットに入れたそうで、
青田典子さんはこれにとても感動し、玉置浩二さんの男らしさに惹かれたことを明かしています。
そんな2人の交際は半年ほどだったそうですが、
玉置浩二さんは、その理由について、
どっちにしたって目指していくものあるし、僕にもやることがある。無理じゃないですか
と、明かしています。
玉置浩二は青田典子に20年以上ぶりに連絡を取っていた
それから20年以上の歳月を経た2009年、玉置浩二さんいわく、この頃、自身の人生で一番ダウンしていた時期だったそうですが、
同い年のマイケル・ジャクソンさんが亡くなったことがきっかけで、
あっ、よし、俺が頑張ろう
と、思い、「安全地帯」のメンバーに、
もう一回やろう
と、声をかけ、メンバーが集まると、
(「安全地帯」は2003年に3度目の活動休止をして以来、活動休止状態にあったのですが、2010年に活動を再開しています)
作品を作っている中、ふと、
そういえば、青田典子さんはどうしてるんだろう
と、青田典子さんを思い出し、すごく会いたくなったそうで、
すぐに、人を介して青田典子さんに電話をかけ、
会いたい
と伝えると、20年以上ぶりに青田典子さんとの再会を果たしたのだそうです。
(この時、玉置浩二さんは、真っ赤なバラをたくさんテーブルに置き、シャンパンを用意していたそうです)
すると、多くの話を交わしているうち、玉置浩二さんはうれしさのあまりわんわん泣いたそうで、
それから、少しして、玉置浩二さんが、
もう一回会おう
俺の胸に飛び込んで来い
と言い、青田典子さんとの2度目の交際がスタートしたのだそうです。
(玉置浩二さんと青田典子さんは別れてから再会するまで全く交流がなく、玉置浩二さんは、当時、青田典子さんが所属していた「C.C.ガールズ」をテレビで観たこともなかったそうです)
玉置浩二から青田典子へのプロポーズの言葉とは?
そして、それから7ヶ月後、玉置浩二さんは、
夏だから結婚しよう
と、プロポーズしたそうで、
青田典子さんもこのプロポーズを受け入れ、結婚に至ったのだそうです。
ちなみに、青田典子さんは、プロポーズされたことについて、
彼が目標でもあったですし、一番会いたかった人でもありましたので、本当に再会できたことが奇跡。まさか、また一緒にいれるとは思ってなかったので、それだけでありがたいと言うか、夢心地でした
と、語っています。
玉置浩二は青田典子との結婚式でわざと遅れて到着していた
そんな玉置浩二さんと青田典子さんは、入籍した翌年の2011年7月18日、北海道・旭川にあるフレンチレストラン「ハーヴェスト ロードハウス」で結婚式を挙げているのですが、
玉置浩二さんは、わざと飛行機を遅らせ、結婚式の直前に到着するという演出を行ったそうで、
(青田典子さんはウェデングドレス姿のまま、ただただ、玉置浩二さんの到着を待ち続けていたそうです)
玉置浩二さんは、そのことについて、
なんで遅れたかって? オレの演出に決まってるだろ。だって、何事もあたりまえに進行したらつまらないじゃない
と、語っています。
玉置浩二は青田典子に献身的にサポートされている
また、結婚後、青田典子さんは、仕事を休業し、専業主婦として玉置浩二さんの体調を気遣い、365日3食の食事を作るほか、(ちょうど、「安全地帯」の復活の時期だったこともあり)レコーディングを含めて楽曲制作を手伝うなど、献身的に玉置浩二さんをサポートしているそうですが、
玉置浩二さんも、青田典子さんにうまく誘導されているそうで、
ある時、玉置浩二さんが、
(ドラマの撮影に)行きたくない
と、クローゼットに隠れた時には、
青田典子さんは、黙って、おいしそうな料理を作って一人で食べ、玉置浩二さんの気を引いたそうで、やがて、玉置浩二さんの方から話しかけてきて、話し合い、結果、玉置浩二さんは気持ちよく仕事に行くことができたのだとか。
ちなみに、玉置浩二さんは、怒ったり責めたりせずにいつも寄り添ってくれる青田典子さんについて、
すごくいいやつです。まっすぐですから
余計なこと言わないし、優しい。(青田典子さんが)いないと困るでしょ。いつもいるので。僕の仕事も一緒に行くし、僕のこともやってくれてるし。ごはんもできれば、なるべく典子のご飯を食べたいので
と、幸せいっぱいに語っています。
また、玉置浩二さんと青田典子さんが結婚した当初、
持って1年、すぐに別れるだろう
と、言われていたのですが、
芸能リポーターの川内天子さんは、
若いころの玉置さんは目が鋭く、そこが魅力ではあったのですが、今は目が優しくなりました。玉置さんは今の生活スタイルが一番楽なんだろうなと思います。離婚はないと思いますね
と、語っています。
玉置浩二に子供はいない
ところで、玉置浩二さんは、現在の妻の青田典子さんを含め、4回結婚しているのですが、子供はいません。
玉置浩二さんは、2012年に、雑誌のインタビューで、自身が無精子症であることを告白しており、そのせいで、子供に恵まれなかったようです。
ちなみに、無精子症でも治療次第では子供を持つことも可能だそうですが、
玉置浩二さんは、
無理に作るのはやめたの。もちろん(子どもが)できたらうれしい。でも子どものためにこの後の人生を使うよりは、2人で仲良く。仲良くいるのも大変だもん
と、語っています。
(「玉木」ではなく、「玉置」という珍しい苗字が同じということで、玉置浩二さんには、俳優の玉置玲央さんが息子ではないかとの噂があるのですが、玉置玲央さんは、「たまおき」と読むため、赤の他人だと思われます)
1973年、14歳の時、「安全地帯」を結成し、1982年、24歳の時、シングル「萠黄色のスナップ」でレコードデビューすると、 以降、「ワインレッドの心」「恋の予感」「熱視線」「悲しみにさよなら」「碧い瞳のエリス」など多数 …