1971年、20歳の時、加藤和彦さんに誘われて高橋幸宏さんと共に「サディスティック・ミカ・バンド」に参加すると、1974年には脱退し、林立夫さん、大村憲司さんらと「バンブー」を結成した、小原礼(おはら れい)さんは、
1988年、36歳の時には、自身初のソロアルバム「ピカレスク」をリリースすると、1990年、38歳の時には、2枚目のソロアルバム「HUMAN TOUCH」もリリースしています。
今回は、小原礼さんの若い頃(デビュー)から現在までの、主な活動や経歴を時系列でご紹介します。
「小原礼の生い立ちは?高2で鈴木茂と林立夫とSKYEを結成しベースに転向していた!」からの続き
小原礼は21歳の時にロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」にベーシストとして参加
小原礼さんは、1972年、21歳の時、 加藤和彦さんに誘われて、高橋幸宏さんと共に、ロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」にベーシストとして参加すると、
1973年5月には、ファーストアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」をリリースしています。
(加藤和彦さんとは、高橋幸宏さんが先に加藤和彦さんと知り合い、小原礼さんを紹介したという話と、1971年、加藤和彦さんのアルバム「スーパーガス」のレコーディングの時に知り合ったという、2つの異なる話があります)
小原礼は22歳の時に「サディスティック・ミカ・バンド」としてアルバム「黒船」をリリース
そして、同年(1973年)には、「サディスティック・ミカ・バンド」として、日本武道館でライブを行うと、1974年11月5日には、クリス・トーマスさんプロデュースによる、2枚目のアルバム「黒船」をリリースしているのですが、その手法は小原礼さんにとって目から鱗(うろこ)の連続だったそうで、
特に、「タイムマシンにおねがい」という曲では、同じフレーズを何回も録ったそうですが、クリス・トーマスさんは、どのテイクのどの部分が良かったということを覚えていたそうで、プロデューサーとして影響を受けたそうです。
小原礼は23歳~24歳の時にはバンド「バンブー」「カミーノ」を結成
しかし、小原礼さんは、「黒船」を最後に、「サディスティック・ミカ・バンド」を脱退すると、
以降、
- 1974年(23歳の時)には、大村憲司さん、林立夫さんと共にバンド「バンブー」を結成
- 1975年(24歳の時)には、 深町純さんのバンドに、大村憲司さん、村上秀一さんと共に参加
- 1975年後半(24歳の時)には、大村憲司さん、是方博邦さん、村上秀一さんとセッションバンド「カミーノ」を結成
と、様々なバンドで活動しつつ、セッションミュージシャンとしても活動するようになっています。
小原礼は26歳の時に渡米しイアン・マクレガンやボニー・レイットら海外アーティストと共演していた
そして、1977年、26歳の時、渡米すると、1979年には、本格的に移住して、ロサンゼルスに活動の拠点を置くと、レコーディングやライブの仕事を重ね、イアン・マクレガンさんのバンドや、ボニー・レイットさんのバンドに参加するほか、
(ボニー・レイットさんの代表的なアルバム「Green Light」(1982)にも参加しています)
ロン・ウッドさん、キース・リチャーズさん、ジム・ケルトナーさん、ブロンディ・チャップリンさんといった著名なアーティストとも共演しています。
小原礼は36歳の時に自身初のソロアルバム「ピカレスク」をリリース
そんな小原礼さんは、1986年には、坂本龍一さんのツアーに参加するために帰国すると、1988年1月25日には、自身初のソロアルバム「ピカレスク」をリリースしているのですが、
この「ピカレスク」は、ロック専門誌で年間ベストアルバムに選ばれるなど、高く評価されています。
(この「ピカレスク」は、ブロンディ・チャップリンさんとの共作(小原礼さんと共に全作詞作曲)となっているのですが、大村憲司さん、坂本龍一さん、高橋幸宏さん、加藤和彦さん、鈴木茂さん、佐藤博さん、ボニー・レイットさんなど、豪華なゲストミュージシャンが参加しています)
小原礼は38歳の時に2枚目のソロアルバム「HUMAN TOUCH」をリリース
また、小原礼さんは、1990年10月24日には、2枚目のソロアルバム「HUMAN TOUCH」をリリースすると、全曲でヴォーカルも担当しています。
小原礼は41歳の時に尾崎亜美と「桃姫BAND」を結成
さらに、小原礼さんは、1992年、41歳の時には、尾崎亜美さん(別名義:桃姫)と「桃姫BAND」を結成すると、1997年1月には、尾崎亜美さんと結婚し、
1999年には、「尾崎亜美プロジェクト The DELTA-WING」では、尾崎亜美さん、鈴木茂さんと共に活動するなど、尾崎亜美さんとは、公私に渡ってパートナーとして活動しています。
小原礼は54歳の時に「サディスティック・ミカ・バンド」としてアルバム「NARKISSOS」をリリース
また、小原礼さんは、2006年2月(小原礼さん54歳)には、キリンビールのCMで、ゲストボーカルに木村カエラさんを迎え、「サディスティック・ミカ・バンド」を限定復活させると、
小原礼さん自身も、プロデュースとレコーディングに参加するほか、キリンビールのCMにも出演しています。
そして、同年10月25日には、アルバム「NARKISSOS(ナルキッソス)をリリースし、正式に「サディスティック・ミカ・バンド」を復活させています。
(オリジナルメンバーである、小原礼さん、加藤和彦、高橋幸宏、高中正義さんと、ヴォーカルの木村カエラさんは親子ほども年齢が離れており、話題となりました)
(「サディスティック・ミカ・バンド」はこの時で3度目の復活)
小原礼は57歳と63歳の時に「TAMIN-Q featuring ANZA」「ザ・ルネサンス」を結成
そんな小原礼さんは、その後も、
- 2008年には、加藤和彦さん、土屋昌巳さん、屋敷豪太さん、ANZAさんと共に「TAMIN-Q featuring ANZA」を結成し、同年12月3日にはアルバム「VITAMIN-Q」をリリース
「VITAMIN-Q」 - 2014年には、屋敷豪太さんとロックデュオ「ザ・ルネサンス」を結成し、同年には、アルバム「Renaissance 1er」をリリース
- 2019年には、2枚目のアルバム「ROCK STEADY」 をリリース
と、精力的に音楽活動を続けています。
小原礼は69歳の時に鈴木茂、林立夫、松任谷正隆と「SKYE」を結成していた
そして、小原礼さんは、2021年10月、69歳の時には、鈴木茂さん、林立夫さん、松任谷正隆さんと共に、ロックバンド「SKYE」を結成すると、デビューアルバム「SKYE」をリリースし、
2024年7月24日には、2枚目のアルバム「Collage」をリリースしています。
ちなみに、「SKYE」は、もともと小原礼さんが高校時代に、林立夫さん、鈴木茂さんと共に組んでいたバンド名で、2019年、俳優の佐野史郎さんのレコーディングの際、松任谷正隆さんも一緒に演奏したのをきっかけに、再結集したのだそうです。
「小原礼の前妻は?尾崎亜美との馴れ初めは?結婚式はデーモン小暮が牧師!子供は?」に続く
「サディスティック・ミカ・バンド」に参加して以降、ベーシストして活動しつつ、妻である尾崎亜美さんをはじめ、数多くのアーティストの作品に携わってきた、小原礼(おはら れい)さん。 そんな小原礼さんは、プライベートでは、2度 …