1933年、22歳の時、「段七しぐれ」で映画デビューすると、太平洋戦争中には召集されるも、復員後は映画俳優に専念し、黒澤明監督作品や小津安二郎監督作品の常連俳優として数多くの作品に出演するほか、「大番シリーズ」や「社長シリーズ」などでは、コミカルな演技で人気を博した、加東大介(かとう だいすけ)さん。
そんな加東大介さんは、1961年には、太平洋戦争中のニューギニアでの戦争体験を綴った「南の島に雪が降る」を出版すると、ベストセラーを記録し、テレビドラマ化、映画化された際には、主演を務めています。
今回は、加東大介さんの若い頃(映画デビュー)から他界されるまでの出演作品(映画、テレビドラマ)や経歴を時系列でご紹介します。
「加東大介の生い立ちは?姉・沢村貞子は子役時代に付き人だった!」からの続き
加東大介は22歳の時に歌舞伎劇団「前進座」に入団し山崎進蔵(河野秋武)、市川扇升と共に若手三羽烏として活躍していた
加東大介さんは、お父さんが小芝居(歌舞伎芝居)の劇場「宮戸座」の座付き作者で演出家助手をしていて、歌舞伎役者と親交が深かったことから、旧制中学卒業後の1929年、二世(二代目)市川左団次さんに入門すると、
1933年、22歳の時には、歌舞伎劇団「前進座」に入団して、「市川莚司」を名乗り、山崎進蔵(河野秋武)さん、市川扇升さんと共に、「前進座」の若手三羽烏として活躍しています。
加東大介は22歳の時に「段七しぐれ」で映画デビュー
また、同年(1933年)、大日本自由映画「段七しぐれ」で、映画デビューも果たすと、
その後も、
- 1935年「清水次郎長」
- 1936年「河内山宗俊」
- 1937年「人情紙風船」
「人情紙風船」より。 - 1938年「阿部一族」
「阿部一族」より。 - 1939年「その前夜」
- 1941年「元禄忠臣蔵 前後篇」
と、次々と映画に出演しています。
加東大介は33歳の時に戦争に召集されていた
そんな加東大介さんは、新進俳優として期待されていたのですが・・・
太平洋戦争中の1943年、33歳の時、楽屋で太平洋戦争への召集令状が届いたことを知ったといいます。
それでも、その時は、自分でも意外なほど冷静に受け止めることができたそうですが、
舞台に出て、花道で纏(まとい)(江戸の町火消しの各組が用いた飾りのついた竿)をついた瞬間、その衝撃が電流のように指先から胸に突き刺さり、こみ上げるものがあったそうで、
ああ、「板(舞台)」の上で芝居をするのも、この一瞬で、もうおしまいなんだ・・・
舞台は、役者にとって血のかよった地面だ。その「板」とも別れなくてはならない。
と、涙をこらえ、走って舞台に引っ込んだといいます。
加東大介は33歳の時に召集先のニューギニアで「マノクワリ歌舞伎座」を設立し公演を行っていた
こうして、加東大介さんは、陸軍衛生伍長としてニューギニアのマノクワリに赴いたそうですが、
そこは、主力部隊から脱落して見放され、救援物資さえも届かない戦地で、戦友たちは、飢えとマラリアで次々に命を落としていったそうで、
そんな過酷な状況の中、加東大介さんは、上官から、兵士たちを鼓舞するために劇団づくりを命じられ、劇場を開設し、「マノクワリ歌舞伎座」として次々と公演を敢行すると、
(プロの役者は加東大介さん1人で、事実上、座長だったため、休む暇がないほど忙しかったそうです)
ありあわせのもので作った粗末な舞台だったにもかかわらず、いつ日本に帰れるか分からない日本兵にとっては、その舞台は希望そのもので、時には、重病人を回復させる程の力を発揮したのだそうです。
また、ある時、長谷川伸さん脚本の「関の弥太っぺ」を上演した際、雪が降るシーンで紙を使った雪を降らせると、いつもなら、観客から歓喜の声が上がっていたのが、その日はいくら待ってもしんとしていたため、加東さんが不審に思い、舞台袖から観客を覗くと、東北出身の兵士たちが故郷をしのんでむせび泣いていたといいます。
(後に、この時の兵士たちの姿を記録した単行本「南の島に雪が降る」が出版されると、ベストセラーとなっています)
ちなみに、劇場が完成する直前、加東大介さんには内地送還のチャンスがあったそうですが、加東大介さんは、芝居を続けるため、それを断り、ニューギニアに残ったのだそうです。
加東大介は37歳の時に映画俳優に転身し大映京都と専属契約を結んでいた
そんな加東大介さんは、終戦から約1年後の1946年にようやく復員したそうですが・・・
その直後、戦地でかかった悪性マラリアが再発し、1週間生死の境をさまよったそうで、一時は危険な状態が続いたといいます。
それでも、やがて回復すると、再び「前進座」で俳優として活動したそうですが、左翼に傾いていった「前進座」に嫌気が差して「前進座」を退団し、
お兄さんの沢村国太郎さん、お姉さんの沢村貞子さんと共に、新たな劇団「神技座」を結成。
ただ、経営がうまくいかなかったことから、ほどなくして、舞台を離れて映画俳優に専念する決意をしたそうで、1948年、37歳の時には、大映京都と専属契約すると、芸名を古めかしい「市川莚司」から「加東大介」に改名したのでした。
加東大介が39歳~50歳の時には「羅生門」「生きる」「七人の侍」「用心棒」など黒澤明監督作品に出演
以降、加東大介さんは、
- 1950年「羅生門」
- 1952年「生きる」
- 1954年「七人の侍」
- 1961年「用心棒」
など、黒澤明監督作品の常連俳優となると、持ち前の明るさや誠実さで、ほかの多くの監督からも可愛がられたそうで、
成瀬巳喜男監督、小津安二郎監督らの作品にも数多く起用され、名脇役として不動の地位を築いたのでした。
「七人の侍」より。
加東大介は46歳の時に主演映画「大番」が大ヒット
また、加東大介さんは、1957年、46歳の時には、映画「大番」で、主人公・株屋のギューちゃんこと赤羽丑之助役に抜擢されると、学はないが愛嬌のあるギューちゃんを、ユーモラスでエネルギッシュに演じて、映画は大ヒットとなり、
- 1957年「続大番 風雲編」
- 1957年「続々大番 怒濤篇」
- 1958年「大番 完結篇」
と、シリーズ化されるほどの人気を博したのでした。
「大番 完結篇」より。淡路千景さんと加東大介さん。
加東大介は50歳の時に「南の島に雪が降る」がベストセラー
そんな加東大介さんは、1961年、50歳の時には、太平洋戦争中、ニューギニアでの戦争体験と兵士たちの姿を記録した「ジャングル劇場の始末記 – 南海の芝居に雪が降る」を「文藝春秋」に発表すると、「第20回文藝春秋読者賞」を受賞。
そして、同年、「南の島に雪が降る」として単行本が出版されると、ベストセラーとなる大ヒットなり、
テレビドラマ化、映画化もされると、いずれも加東大介さん自身が主演を務め、大きな話題となったのでした。
「南の島に雪が降る」より。左端が加東大介さん。
加東大介は50代~60代の時に「源義経」「竜馬がゆく」「樅ノ木は残った」「新・平家物語」「勝海舟」とNHK大河ドラマに数多く出演
また、加東大介さんは、テレビドラマにも出演し、
中でも、大河ドラマには、
- 1966年「源義経」
- 1968年「竜馬がゆく」
「竜馬がゆく」より。勝海舟に扮する加東大介さん(左)と竜馬に扮する北大路欣也さん(右)。 - 1970年「樅ノ木は残った」
- 1972年「新・平家物語」
- 1974年「勝海舟」
と、数多く出演しています。
加東大介の死因は結腸癌
しかし、そんな加東大介さんも、1975年2月(加東大介さん64歳)、体調を崩して入院すると、結腸癌が発覚。
(加東大介さん本人にはその事実は知らされなかったそうです)
それでも、レギュラー出演していたテレビドラマ「6羽のかもめ」は、病院から収録現場に通い続けたそうですが、同年7月31日、64歳で他界されたのでした。
加東大介の出演作品(テレビドラマ)
それでは、最後に、加東大介さんのその他の出演作品もご紹介しましょう。
テレビドラマでは、
- 1956年「どたんば」
- 1964年「のれん太平記」
- 1965年「青春とはなんだ」
- 1969年「鬼平犯科帳」
- 1970年「男は度胸」
- 1971年「人形佐七捕物帳」
- 1972年「入ってまあす!」
- 1973年「坂の上の家」
- 1974年「6羽のかもめ」
「6羽のかもめ」より。
加東大介の出演作品(映画)
映画では、
- 1937年「戦国群盗伝 前後篇」
- 1938年「逢魔の辻 江戸の巻」
- 1939年「その前夜」
- 1941年「元禄忠臣蔵 前後篇」
- 1948年「木曾の天狗」
- 1949年「天狗飛脚」
- 1950年「俺は用心棒」
- 1951年「おぼろ駕籠」
- 1952年「おかあさん」
「おかあさん」より。田中絹代さんと加東大介さん。 - 1953年「青色革命」
- 1954年「晩菊」
- 1955年「浮雲」
- 1956年「驟雨」
- 1957年「サラリーマン出世太閤記」
「サラリーマン出世太閤記」より。(左から)宝田明さん、加東大介さん、小林桂樹さん。 - 1958年「東京の休日」
- 1959年「狐と狸」
- 1960年「女が階段を上る時」
- 1961年「小早川家の秋」
- 1962年「女の座」
- 1963年「喜劇 とんかつ一代」
- 1964年「黒の超特急」
- 1965年「大根と人参」
- 1966年「陸軍中野学校」
「陸軍中野学校」より。市川雷蔵さん(左)と加東大介さん(右)。 - 1967年「雌が雄を喰い殺す かまきり」
- 1968年「博奕打ち 殴り込み」
- 1971年「昭和ひとけた社長対ふたけた社員」
- 1972年「初めての愛」
- 1974年「東京ド真ン中」
- 1976年「俺の選んだ女」
ほか、数多くの作品に出演しています。
「加東大介の妻・京町みち代の健気さが泣ける!子供は1人息子の加藤晴之!」に続く
下町っ子らしい気風の良さから多くの映画監督にかわいがられ、黒澤明監督、成瀬巳喜男監督、小津安二郎監督作品の常連俳優として、数多くの映画に出演した、加東大介(かとう だいすけ)さん。 そんな加東大介さんは、プライベートでは …