音楽雑誌のフォトグラファー時代、「フリッパーズ・ギター」との縁で音楽の世界に入ると、インディーズながらシングル「Girly」で7万枚の驚異的セールスを記録し、その後は、パリやニューヨークを拠点に音楽・写真・執筆と多彩な才能を発揮している、カヒミ・カリィさん。

今回は、カヒミ・カリィさんの、ルーツ、生い立ちほか、本名や芸名の由来などをご紹介します。

カヒミ・カリィ

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カヒミ・カリィのプロフィール

カヒミ・カリィさんは、1968年3月15日生まれ、
栃木県宇都宮市の出身、

趣味は、陶芸、料理、

だそうです。

カヒミ・カリィの本名は?実家は比企一族の末裔

カヒミ・カリィさんの本名は、「比企真理(ひき まり)」なのですが、

実は、鎌倉時代初期に大きな力を持った武士の一族で、古くから源頼朝に仕え、鎌倉幕府の樹立に貢献するも、後に北条氏との権力争いに敗れ、悲劇的な最期を遂げた、比企一族の末裔であると言われています。

カヒミ・カリィさんは、2008年、2011年、2012年と、鎌倉妙本寺でライブを開催しているのですが、妙本寺は、北条氏により滅ぼされた比企家の末裔が一族の霊を弔うために建立した寺院で(つまり、鎮魂の場所)、

カヒミ・カリィさんは、この場所でライブを行った理由を明言していませんが、カヒミ・カリィさん自身のアイデンティティや歴史的背景と深く結びついた、パーソナルな意味を持つライブだったと考えられています。

カヒミ・カリィの芸名の由来は?

カヒミ・カリィさんの芸名は独特ですが、

実は、音楽雑誌「Fool’s Mate」誌の編集者だった瀧見憲司さんが、本名のアルファベットを足して並べ替え、言葉の響きだけを重要視し、「Kahimi Karie」と名付けたそうで、

カヒミ・カリィさんは、この「Kahimi Karie」という芸名について、1995年頃、インタビューで、

無国籍な感じにしたほうが面白いと思って

と、語っています。

(カヒミ・カリィさんは、1990年、22歳の時、「フリッパーズ・ギター」プロデュースによる嶺川貴子さんとのユニット「FANCY GROOVEY NAME」として、「フリッパーズ・ギター」のオムニバス・アルバム「FAB GEAR」に参加しているのですが、この時はまだ、本気で音楽をやっていこうとは思っていなかったそうで、本名ではつまらないと思い、別名義を使おうと、瀧見憲司さんにアイデアを求めたのだそうです)

カヒミ・カリィの父親が経営していた病院は比企病院?

カヒミ・カリィさんのお父さんは、2023年に他界されているそうですが、生前は、医師で、栃木県宇都宮市で病院を経営していたそうです。

ちなみに、現在も、宇都宮市には「医療法人社団大衛会 比企病院」という医院があるのですが、この病院がカヒミ・カリィさんのお父さんが経営していた病院かどうかは不明です。

カヒミ・カリィはハーフ?

カヒミ・カリィさんのお母さんは、ハワイ系日系人だそうで、厳密に言うと、ハーフではなく、クォーター以上になります。

ただ、片方の親が日本人、もう片方の親が外国にルーツを持つ場合、その子供を、クォーターも含めてハーフと呼ぶこともあるとのことで、その意味ではハーフということになります。

カヒミ・カリィが幼い頃は父親の仕事の都合で引っ越しを繰り返していた

カヒミ・カリィさんは、医師で日本人のお父さんとハワイ系日系人のお母さんのもと、お父さんの転勤先だった沖縄で誕生すると、幼い頃は、お父さんの仕事の都合で引っ越しを繰り返していたそうです。

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カヒミ・カリィは高校卒業後は専門学校で写真の勉強をし音楽雑誌「Fool’s Mate」誌のフォトグラファーとなっていた

カヒミ・カリィさんは、高校時代には、セルジュ・ゲンズブール、ミカド、フランソワーズ・アルディなどのフレンチポップスにハマったそうですが、この頃はまだ、音楽の道に進むことは考えておらず、

高校卒業後は、家を出て、専門学校に入学し、写真の勉強を始めたそうで、

(エドヴァン・デル・エルスケン、ウィリアム・クライン、サラ・ムーンなどの写真家に影響を受けたそうです)

やがて、音楽雑誌「Fool’s Mate」誌でフォトグラファーとして仕事を始めたそうです。

「【画像】カヒミ・カリィの若い頃は?デビューから現在までの代表曲ほか経歴は?」に続く

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