兄弟デュオ「ビリー・バンバン」として「白いブランコ」「さよならをするために」などの大ヒット曲で一世を風靡すると、1987年以降、30年以上に渡り、「いいちこ」のCM曲を担当し、透明感のある歌声で多くの名曲を生み出すほか、近年はアニソンカバーで若い世代にも支持を集めている、菅原進(すがわら すすむ)さん。

そんな菅原進さんは、音楽が好きだったお母さんの影響で、常に音楽が流れている環境で育つと、小学生の時には、兄・菅原孝さんと一緒にピアノを習い始め、中学生の時には、アメリカンポップスに夢中になると、

高校進学後、将来は音楽の道に進もうと決め、お父さんの友人のつてで、作曲家の浜口庫之助さんの門下生となり、歌と作曲を学んだといいます。

今回は、菅原進さんの幼少期(生い立ち)から「ビリー・バンバン」としてデビューが決定するまでをご紹介します。

菅原進

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菅原進のプロフィール

菅原進さんは、1947年9月21日生まれ、
東京都国立市の出身、

血液型はB型、

学歴は、
日本大学第二高等学校
⇒青山学院大学中退

ちなみに、「菅原進」は本名で、

「ビリー・バンバン」の菅原孝さんは実兄です。

菅原進の幼い頃はいつも家に音楽が流れる環境で育っていた

菅原進さんは、東京都庁に勤める役人だったお父さんのもと、3人兄弟の末っ子として誕生すると、幼い頃は、音楽が好きなお母さんの影響で、家ではいつも音楽が流れる環境で育ったそうで、

小学生の時、次兄の菅原孝さんがピアノを習い始めると、「僕も行く」となり、一緒にピアノを習い始めたそうです。

ちなみに、菅原進さんのお父さんは音痴だったそうですが、お母さんは、ラジオの歌番組で優勝したこともあるほど歌が上手だったそうで、菅原進さんは、お母さんに似て良かったと思っているそうです(笑)

(お母さんは、いつも、台所で歌を口ずさんでいたそうです)

菅原進は中学生の時にアメリカンポップスに夢中になっていた

そんな菅原進さんは、中学生になると、アメリカンポップスに夢中になり、デル・シャノンの「悲しき街角」、ポール・アンカ、ニール・セダカなどが好きになったそうで、

お母さんにお小遣いをもらっては、吉祥寺のレコード店へレコードを買いに行ったそうです。

菅原進は高校生の時に兄の菅原孝と共に作曲家の浜口庫之助の門下生となり歌と作曲を学んでいた

そして、高校進学後は、友達4人とバンドを組み、フォークギターを担当すると、我流で作曲も始めたそうですが、

この時、すでに、将来は音楽の道に進もうと決めていたそうで、お父さんの友人のつてで、作曲家の浜口庫之助さんの門下生になると、兄・菅原孝さんと一緒に浜口庫之助さんの教室で歌と作曲を学んだのだそうです。

(バンドのメンバーの中には、せんだみつおさん(パーカッション)もいたそうです)

菅原進は大学生の時に「白いブランコ」を作曲していた

その後、菅原進さんは、大学に進学すると、「ビリー・バンバン」と名乗って引き続きバンド活動を続け、学園祭などで歌っていたそうですが、

そんな中、浜口庫之助さんのお屋敷の庭で、作詞部門の門下生だった小平なほみさんと一緒にブランコに乗りながら曲を作っていると、秋だったことから、枯れ葉が落ちてきて、とてもロマンチックな気持ちになったそうで、

ギターをじゃらんと鳴らしたところ、

君はおぼえているかしら

というメロディーが出てきて、「白いブランコ」という曲が出来上がったそうで、

その後、学園祭などで歌い始めると、「白いブランコ」は人気を博したそうで、やがて、アマチュアながらコンサートは超満員となるほか、

アマチュアのフォークグループが出演するラジオ番組「バイタリス・フォーク・ビレッジ」の「今月の歌」にも選ばれ、その放送を聞いた人たちが「もう一度聞きたい」と手紙をくれて、世に広まっていったのだそうです。

「ビリー・バンバン」は、菅原進・菅原孝・せんだみつおの3人編成の時期があった

また、ちょうどその頃、メンバーチェンジをし、1967年には、兄の菅原孝さん(コントラバス)が加入すると、

菅原進さん、菅原孝さん、せんだみつおさん(パーカッション)の3人で「ビリー・バンバン」として活動するようになったのだそうです。

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菅原進は20歳の時に兄・菅原孝との兄弟デュオとして「ビリー・バンバン」を再編成していた

ただ、その後、せんだみつおさんは、浜口庫之助さんとレコード会社の人に、「白いブランコ」のイメージに合わないと、「ビリー・バンバン」から外され、兄弟2人でデビューする話が持ち上がったそうで、

菅原進さんは、1968年5月、20歳の時、菅原孝さんとの兄弟デュオとして「ビリー・バンバン」を再編成したのだそうです。

ちなみに、当初、兄の菅原孝さんはプロになるつもりはなかったそうですが、デビューの話が持ち上がった時、浜口庫之助さんが、

声が似ているので絶妙なハーモニーが生まれるから「兄弟2人」で組んだほうがいい

と、アドバイスしてくれたそうで、

菅原進さんは、

あのころ、日本には兄弟デュオっていなかったんですよ。僕らのあとに、狩人とかブレッド&バターとか出てきた。兄弟は声質が似ているので、兄とコーラスをするとぴったりくるんです。倍音が合って、豊かな、広がりのある音になる。

音楽好きのおふくろと、浜口先生に伝手(つて)があった親父。この偶然がビリー・バンバンを生んだ。ビリー・バンバンは両親ふたりの結晶でもあるんです

と、語っています。

「【画像】菅原進(ビリーバンバン)の若い頃から現在までのシングルほか経歴は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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