「白いブランコ」「さよならをするために」などの名曲を世に送り出すほか、1986年以降は、「いいちこ」のCM曲を長きに渡り担当するなど、兄弟デュオ「ビリー・バンバン」として、その美しいハーモニーとメロディーが世代を超えて愛され続けている、菅原孝(すがわら たかし)さん。
そんな菅原孝さんは、音楽が好きだったお母さんの影響で、いつもラジオから歌謡曲が流れている環境で育つと、小学生の時には、弟の菅原進さんと一緒にピアノを習い始め、
20歳の時には、お父さんの友人のつてで、作曲家の浜口庫之助さんの門下生となり、菅原進さんと一緒に歌と作曲を学んだといいます。
今回は、菅原孝さんの幼少期(生い立ち)から「ビリー・バンバン」としてデビューが決定するまでをご紹介します。

菅原孝のプロフィール
菅原孝さんは、1944年8月7日生まれ、
東京都国立市の出身、
血液型はO型、
学歴は、
武蔵野市立大野田小学校
⇒慶應義塾大学仏文科中退
趣味は、外国語で、ラジオの外国語講座を聴くのが好きで、移動中の車の中で、多い時は8ヵ国語を聴いていたそうです。
ちなみに、「菅原孝」は本名で、
「ビリー・バンバン」の菅原進さんは実弟です。
菅原孝が幼い頃は音楽好きな母親の影響でいつも歌謡曲がラジオから流れている環境で育っていた
菅原孝さんは、東京都庁に勤める役人のお父さんのもと、3人兄弟の次男として誕生すると、
お母さんが音楽が好きだったことから、幼い頃は、三橋美智也さんやフランク永井さんなど歌謡曲がいつもラジオから流れる環境で育ったそうです。
また、お母さんは、女学校時代、歌のコンクールで優勝したこともあるほど、きれいな声の持ち主だったそうで、いつも台所で歌を口ずさんでいたそうです。
菅原孝が幼い頃は体の弱かった兄に代わり長男の役割を担っていた
菅原孝さんは、3人兄弟の次男で、お兄さんが1人いたそうですが、お兄さんは幼い頃から体が弱く、小柄だったことから、同級生にいじめられていたそうで、
菅原孝さんは、そんなお兄さんを、弟の菅原進さんと協力して助けるなど、長男の役割を果たしていたそうです。
(このお兄さんは53歳という若さで他界されています)
菅原孝が中学~高校時代は野球少年だった
菅原孝さんは、小学生の時、音楽が好きだったお母さんの影響で、弟の菅原進さんと一緒にピアノを習い始めたそうですが、
その一方で、野球が大好きで、中学時代から高校時代は野球少年だったそうです。
また、菅原孝さんは、学校では、真面目で勉強もできる優等生だったそうです。
菅原孝は20歳の時に作曲家・浜口庫之助の門下生として歌と作曲を学んでいた
そんな菅原孝さんは、1965年6月、20歳の時には、お父さんの友人のつてで、作曲家の浜口庫之助さんの門下生になったそうで、
高校生だった弟の菅原進さんと一緒に、浜口庫之助さんの代官山のお屋敷に通い、歌と作曲を学んだそうです。
菅原孝は23歳の時に弟・菅原進とせんだみつおの「ビリー・バンバン」に加入していた
そして、1967年、23歳の時には、弟の菅原進さんとせんだみつおさんのバンド「ビリー・バンバン」に加入し、3人で「ビリー・バンバン」として音楽活動をするようになったそうですが、
実は、弟の菅原進さんは、高校時代から音楽の道を志し、せんだみつおさんら友人たちと4人でバンド活動を行っていたそうで、
大学生の時、自作曲「白いブランコ」を学園祭などで披露したところ、瞬く間に人気が爆発し、アマチュアながらコンサートは常に超満員となり、ラジオ番組でも紹介されるほど世間の注目を集めるようになっていたといいます。
ただ、その後、バンドのメンバーチェンジが行われることになり、脱退したメンバーの後任として兄の菅原孝さんが加入することとなったのだそうです。
菅原孝が23歳の時に「ビリー・バンバン」は兄弟デュオとして再編成されていた
それでも、この時、菅原孝さんは、音楽を仕事にしようとは考えていなかったそうですが、
レコード会社と恩師・浜口庫之助さんに、「白いブランコ」のイメージに合わないからと、せんだみつおさんを外して、兄弟デュオとすることを強く勧められたそうで、
1968年5月(菅原孝さん23歳)、「ビリー・バンバン」は菅原孝さんと菅原進さんの兄弟デュオとして再編成され、デビューすることが決定したのだそうです。
ちなみに、菅原孝さんは、その時のことを、
僕らがデビューすることになる1969年、男の兄弟デュオなんて日本にはいませんでした。進は高い声で、僕はどちらかというと低い。でも声帯が近いから、ふたりで声を合わせると不思議と絶妙のハーモニーになった。
浜口先生はこれがわかっていたんだろうね。先生が兄弟デュオをやらせたがったんです。先生に言われなかったら(やらなかったと思う)弟とはいえ、音楽の趣味も違えば考え方も違う。会うと喧嘩ばっかりなんだ。絶対組んでないね
と、語っています。
「【画像】菅原孝(ビリーバンバン)の若い頃から死去までのシングルほか経歴は?」に続く
![]()
1969年、「ビリー・バンバン」として、「白いブランコ」でレコードデビューすると、たちまち20万枚を売り上げる大ヒットとなり、1972年には、「さよならをするために」が80万枚を売り上げる大ヒットとなった、菅原孝(すがわ …







