東京大学大学院在学中、東京新聞に入社し、社会部記者として活動すると、その後、招聘されて朝日新聞東京本社に入社し、世界各国の著名人や有名人の取材に携わり、
1976年に朝日新聞を退社すると、フリーの評論家として、世界各国を歴訪し、その鋭い洞察力で、文明批評や旅行記などを中心に数多くの著書を発表した、森本哲郎(もりもと てつろう)さん。
今回は、そんな森本哲郎さんの、若い頃から死去までの経歴をご紹介します。また、最後に著書もご紹介します。

森本哲郎のプロフィール
森本哲郎さんは、1925年10月13日生まれ、
東京府(現・東京都)の出身、
学歴は、
府立十中、府立高等学校(旧制)
⇒東京大学文学部哲学科卒業
⇒東京大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程を修了
ちなみに、「森本哲郎」は本名です。
森本哲郎の弟は森本毅郎
また、アナウンサーの森本毅郎さんは森本哲郎さんの実弟なのですが、
森本哲郎さんがTBSで「海外取材ニッポンの実力」のキャスターを務めていた時、弟の森本毅郎さんも、「NHKニュースワイド」のキャスターを務めていたことから、「テレビ界初の兄弟キャスター」と話題になりました。
森本哲郎は大学院在学中に東京新聞に入社し社会部記者として活動していた
森本哲郎さんは、大学在学中から、マンガ雑誌、文芸雑誌、思想雑誌、総合雑誌など、雑誌社の編集者としての仕事を始めると、
1948年、大学卒業後は、大学院に進学し、大学院在学中に、東京新聞に入社して社会部記者となり、1950年には、東京大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程を修了しています。
森本哲郎は28歳の時にマリリン・モンローの記者会見で通訳をしていた
その後、森本哲郎さんは、1953年には、招聘されて朝日新聞東京本社に入社すると、学芸部で、朝日新聞「世界名作の旅」を連載するほか、
歴史学者のトインビー、哲学者のハイデッガー、映画監督のヒッチコックなど、時代を彩る世界の知性やスターたちを数多く取材していたそうですが、
その膨大な取材歴の中でも、1954年2月1日(森本哲郎さん28歳)に来日したマリリン・モンローさんとの出会いは特別だったといいます。
というのも、森本哲郎さんは、野球界の英雄だったジョー・ディマジオさんと結婚したばかりのマリリン・モンローさんが、新婚旅行で来日し、帝国ホテルで記者会見を行った際、最前列にいたそうで、
ある記者の日本語の質問をマリリン・モンローさんのために通訳したそうですが、
マリリン・モンローさんは、会見後、
通訳してくれてありがとう
と、微笑み、森本哲郎さんの手を握ったというのです。
(その時の柔らかい握手の感触は、長い年月を経てもなお、森本哲郎さんの手の中に鮮明に残っていたといいます)
実は、この頃のマリリン・モンローさんは、常に自分に自信が持てず、深い孤独と劣等感を抱えて精神的な安らぎを求め、虚像としての自分と現実のギャップに蝕まれて、入退院を繰り返していたそうで、
森本哲郎さんは、後に、
当時は彼女が抱えていた悲劇にまでは気づけなかった
と、振り返っているのですが、
それでも、マリリン・モンローさんは、どんなスキャンダルさえも神秘的な物語へと変えてしまう、まるで錬金術のような不思議な力があったそうで、
森本哲郎さんは、
他のどの女優にもない、不思議な妖気(オーラ)が立ち上っていた
と、語っています。
(マリリン・モンローさんは、1962年、36歳という若さで、睡眠薬の過剰摂取により他界されています)
森本哲郎は46歳の時に元日本兵・横井庄一氏の記事で他社を圧倒していた
また、森本哲郎さんは、1972年1月、グアム島で元日本兵の横井庄一さんが発見された際には、自ら志願して現地取材に行き、
横井元軍曹の隠れ住む穴のあった竹藪から団地のような人家が見える
人に見つかることを何より恐れて暮らしていた元軍曹は人の気配というものを何より欲していた
という記事を書いて、スクープとなっているのですが、
実は、他社の記者たちも、物理的には同じ景色を見るも、
ジャングルの中の洞窟に28年間隠れ潜んでいた元日本兵というイメージが壊れる
という理由から、民家(アパート)が見えることを書かなかったといいます。
そんな中、森本哲郎さんだけは、その的確な描写力で、横井庄一さんの複雑な孤独感を記事として形にしたそうで、他の新聞社を圧倒し、スクープとなったのでした。
(森本哲郎さんによると、警察に案内してもらって道なき道を進み、ようやく横井庄一さんが隠れていた洞窟の現場に到着するも、そこから一つ山を超えるとアパートが見え、上空には飛行機が飛んでいたそうで、”ジャングルの中の洞窟に28年間隠れ潜んでいた元日本兵”というイメージは脆(もろ)くも崩れ去ったといいます)
森本哲郎が51歳の時には”私のいる文章”を書くべく朝日新聞を退社しフリーの評論家になっていた
その後、森本哲郎さんは、学芸部次長、週刊朝日の副編集長、東京本社編集委員等を歴任した後、1976年、51歳の時には、朝日新聞を退社し、フリーとなると、
世界各国を訪ね歩きながら、評論家として文明や歴史を考察し、文明批評や旅行記などの作品を中心に発表しているのですが、
森本哲郎さんが朝日新聞を退社したのは、”私を消した客観的な報道”ではなく、”私のいる文章”が書きたかったからだといいます。
(新聞の報道では、客観的な報道が求められた為)
森本哲郎は55歳の時に「海外取材ニッポンの実力」でキャスターも務めていた
そんな森本哲郎さんは、その後、世界中を旅した膨大な経験をもとに、日本と他国の文化を比べる”比較文化”の視点から数多くの著書を執筆し、
その鋭い考察により、日本の文明批評におけるトップランナーとしての地位を確立しているのですが、
- 1980年、55歳の時には、TBSの情報番組「海外取材ニッポンの実力」でキャスター
- 1988年、63歳の時には、東京女子大学の教授
- 1989年、64歳の時には、「NHKスペシャル よみがえる邪馬台国」の解説役
と、執筆活動にとどまらず、メディアや教育の場でも才能を発揮しています。
森本哲郎の死因は?
しかし、そんな森本哲郎さんも、2014年1月5日午後3時、虚血性心不全により、東京都内の自宅で、88歳で他界されています。
森本哲郎の著書
それでは、最後に、森本哲郎さんの、著書を紹介しましょう。
- 「神々の時代」(1960年、弘文堂)
- 「文明の旅 歴史の光と影」(1967年、新潮選書)
- 「詩人与謝蕪村の世界」(1969年、至文堂)

「詩人与謝蕪村の世界」
- 「スペイン・アンダルシア」(1970年、朝日新聞社)
- 「生きがいへの旅 現代社会の哲学的風景」(1970年、ダイヤモンド社)
- 「サハラ幻想行 哲学の回廊」(1971年、河出書房新社)
- 「人間へのはるかな旅」(1971年、潮出版社)
- 「ゆたかさへの旅 日曜日・午後二時の思索」(1972年、ダイヤモンド社)
- 「ぼくの旅の手帖 または、珈琲のある風景」(1973年、ダイヤモンド社)

「ぼくの旅の手帖 または、珈琲のある風景」
- 「ことばへの旅 第1-5集」(1973年、ダイヤモンド社)
- 「異郷からの手紙 私たちとは何か」(1974年、ダイヤモンド社)
- 「イースター島 遺跡との対話」(1975年、平凡社)
- 「あしたへの旅 変わりゆく人間変わりゆく社会」(1975年、ダイヤモンド社)
- 「タッシリ・ナジェール」(1976年、平凡社)
- 「すばらしき旅 人間・歳月・出会い」(1976年、ダイヤモンド社)

「すばらしき旅 人間・歳月・出会い」
- 「旅と人生の手帖」(1976年、ダイヤモンド社)
- 「夢二の小径」(1976年、講談社)
- 「そして、ぼくは迷宮へ行った。」(1976年、芸術生活社)
- 「四季の旅 花のある風景」(1978年、ダイヤモンド社)
- 「日本の挽歌 失われゆく暮らしのかたち」(1979年、角川書店)
- 「『私』のいる文章 発想・取材・表現」(1979年、ダイヤモンド社)
- 「名作の旅、伝説の旅」(1980年、角川書店)
- 「そして、自分への旅」(1980年、ダイヤモンド社)

「そして、自分への旅」
- 「豊かな社会のパラドックス 70年代を問い直す」(1980年、角川書店)
- 「そして文明は歩む」(1980年、新潮社)
- 「読書の旅 愛書家に捧ぐ」(1981年、講談社)
- 「ぼくの会話学校」(1981年、角川書店)
- 「旅と自然と人生」(1981年、聖教新聞社)
- 「信仰のかたち」(1982年、新潮選書)

「信仰のかたち」
- 「日本民族のふるさとを求めて 知的冒険の旅」(1982年、朝日新聞社)
- 「私のニジェール探検行 マンゴ・パークの足跡をたどって」(1982年、中公新書)
- 「思想の冒険家たち」(1982年、文藝春秋)
- 「音楽への旅」(1983年、音楽之友社)
- 「中国幻想行」(1983年、角川選書)
- 「ぼくの作文学校」(1983年、角川書店)
- 「二十世紀の知的風景」(1983年、TBSブリタニカ)
- 「書物巡礼記」(1985年、文化出版局)
- 「ぼくの旅のカタログ」(1985年、角川書店)
- 「学問への旅」(1985年、佼成出版社)
- 「日本語 表と裏」(1985年、新潮社)
- 「二十世紀を歩く」(1985年、新潮選書)
- 「神のアルバム」(1986年、文藝春秋)

「神のアルバム」
- 「生き方の研究 正・続」(1987年、新潮選書)
- 「森本哲郎『旅物語』」(1988年、講談社)
- 「戦争と人間」(1988年、文藝春秋)
- 「神の旅人 パウロの道を行く」(1988年、新潮社)
- 「ある通商国家の興亡 カルタゴの遺書」(1989年、PHP研究所)
- 「サムライ・マインド 歴史をつくる精神の力とは」(1991年、PHP研究所)
- 「日本語 根ほり葉ほり」(1991年、新潮社)

「日本語 根ほり葉ほり」
- 「月は東に-蕪村の夢 漱石の幻」(1992年、新潮社)
- 「遥かなる道」(1992年、クレオ)
- 「ウィーン 世界の都市の物語」(1992年、文藝春秋)
- 「森本哲郎 世界への旅 全10巻別巻1」(1993年、新潮社)
- 「世紀末を歩く 地球曼荼羅」(1993年、PHP研究所)
- 「ソクラテス最後の十三日」(1995年、PHP研究所)

「ソクラテス最後の十三日」
- 「ぼくの東京夢華録」(1995年、新潮社)
- 「旅の半空」(1997年、新潮社)
- 「ぼくの哲学日記」(1999年、集英社)
- 「この言葉! 生き方を考える50話」(2000年、PHP新書)
- 「文明の主役 エネルギーと人間の物語」(2000年、新潮社)
- 「ぼくの日本十六景 空の名残り」(2001年、新潮社)

「ぼくの日本十六景 空の名残り」
- 「ぼくのおみやげ図鑑 旅のエッセイ」(2005年、シティ出版)
- 「吾輩も猫である」(2005年、清流出版)
- 「老いを生き抜く 長い人生についての省察」(2012年、NTT出版)
ほか、
共著・編著でも、
- 「日本の顔顔顔…」(1971年、朝日新聞社)※疋田桂一郎さんとの共著
- 「歴史対談集 歴史の謎 文明の謎」(1977年、河出書房新社)※※歴史学者との対談集
- 「おくのほそ道行」(1984年、平凡社)※写真・笹川弘三さん
- 「世界 知の旅 全10冊」(1986年、小学館)※責任編集
- 「驚異の世界史 全7冊」(1986年、文春文庫)※ビジュアル版の編著
- 「目で見る世界七不思議の旅」(1986年、文芸春秋)※編集
- 「黄金帝国の謎 インカ・アステカ・マヤ 驚異の世界史」(1986年、文芸春秋)※編集

「黄金帝国の謎 インカ・アステカ・マヤ 驚異の世界史」
- 「古代地中海 血ぬられた神話 驚異の世界史」(1988年、文芸春秋)※編集
- 「人の生き方について」(1988年、筑摩書房)※編著
- 「新撰『世界七不思議』 驚異への旅」(1988年、文芸春秋)※編集
- 「オリエントの幻 物語はバベルの塔から始まった 驚異の世界史」(1989年、文芸春秋)
- 「冥想するアジア インダス/ガンジス/アンコール・ワット 驚異の世界史」(1990年、文芸春秋)※編集
- 「失われた楼蘭 古代中国・西域への旅 驚異の世界史」(1991年、文芸春秋)※編集
- 「日本・日本語・日本人」(2001年、新潮選書)※大野晋さん・鈴木孝夫さんと共著
など、数多くの著書を出版しています。
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