記者に憧れ、新聞社の就職試験を受けようとしていたところ、ジャーナリストだった兄・森本哲郎さんのアドバイスで、NHKの試験を受けると、見事合格し、1963年、NHKにアナウンサーとして入局したという、森本毅郎(もりもと たけろう)さんは、
その後、10年間の地方勤務を経て、東京(本部)に異動となると、1980年、40歳の時には、朝の報道番組「ニュースワイド」のキャスターに抜擢され、たちまち朝の顔として人気を博しました。
ただ、NHKとは、1984年に退職して以来、長い間、絶縁状態だったといいます。
今回は、森本毅郎さんの若い頃(NHK時代)の経歴を時系列でご紹介します。

「森本毅郎の生い立ちは?高校は生徒会長で放送部!就職は新聞社志望だった!」からの続き
森本毅郎は23歳から44歳までNHKで「新日本紀行」「女性手帳」「教養特集」などを担当していた
森本毅郎さんは、1963年、NHKにアナウンサーとして入局すると、研修後、岡山放送局に配属され、その後、佐世保放送局(現在は長崎放送局傘下の支局)、神戸放送局と、10年間、地方で勤務したそうで、
(岡山放送局では、スポーツ実況の華である高校野球決勝を担当したこともあったそうです)
その後、東京(本部)へ異動となると、
- 1973年~1974年には、「新日本紀行」のナレーター
- 1974年~1977年には、「女性手帳」の聞き役
- 1977年~1979年には、「教養特集」のキャスター
- 1979年には、NHK大河ドラマ「草燃える」のナレーター
- 1983年には、「江夏の21球」のナレーター
- NHK競馬中継(不定期)
などを務め、幅広いジャンルで手腕を発揮しました。
(「女性手帳」は、視聴率が1%あるかないかの番組だったそうですが、中身はとても充実した番組だったそうです)
森本毅郎は40歳の時に「NHKニュースワイド」の初代キャスターに起用されていた
そんな中、NHKでは、大改革として大型ニュース番組を立ち上げることになったそうで、森本毅郎さんは、その準備委員会のメンバーになったそうですが、そのキャスターを誰がやるかで散々揉めたそうで、
最終的には、
おまえ、司会やれ
と、森本毅郎さんが、自分の意思とは関係なく、やることになったそうで、
1980年4月7日、森本毅郎さんは、大型報道番組「NHKニュースワイド」の初代キャスターに起用され、以降、日本の朝を象徴する存在となったのでした。
ちなみに、森本毅郎さんは、「NHKニュースワイド」では、長髪だったことから、
なんだあいつは
アナウンサーらしくない
という投書がたくさん来たそうで、NHKでは異端児的な存在だったそうですが、
その一方で、若手アナウンサーにとって、オピニオンリーダー的存在だったといいます。

「NHKニュースワイド」のキャスター時代の森本毅郎さん。
森本毅郎は45歳の時にNHKを退職していた
その後、森本毅郎さんは、1984年、4年間の大役を終え、後任にバトンを渡したそうですが、
会社(NHK)からは、
報道局へ異動し、記者としてニューヨークかパリへ特派員として赴任せよ
という辞令を受けたそうで、
もともと記者になりたかった森本毅郎さんは、本来なら喜ぶはずのところだったそうですが、
それまで、散々、組織の利益を第一に考える忠実なサラリーマンとして、アナウンサー集団の中での軋轢(あつれき)に悩みながら職務を全うしてきたことで、
長年苦楽を共にしたアナウンサーの組織を離れ、記者として海外へ出ることは、仲間から「裏切り者のユダ」と見なされるのではないかという強い懸念を抱いたそうで、
最終的には、この人事異動を固辞したのだそうです。
すると、会社(NHK)には、「転勤拒否」とされて、組織内での立場が厳しくなってしまったそうで、
この際どうなるか分からないけど、別の世界に生きてもいいか
と、長年勤めたNHKを退職する決意をしたのだそうです。
そして、1984年2月29日放送の「NHKニュースワイド」にて、
私事で恐縮ですが、今日を持ちまして『ニュースワイド』を卒業します。それと同時にNHKを辞めます
と、当時としては異例の「公開フリー宣言」を公表し、同年2月中に「NHKニュースワイド」を卒業し、NHKも退職したのでした。
ちなみに、この時のことを、森本毅郎さんの後輩の村上信夫アナウンサーは、自身のブログで、
1984年2月29日朝、ボクは、いつものように『NHKニュースワイド』を見ていた。そうしたら「私事で恐縮ですが、今日を持ちまして『ニュースワイド』を卒業します。それと同時にNHKを辞めます」と番組内で唐突な発言。
椅子から転げそうになった。その数日前に若手を集めた研修で、あるべきアナウンサー像についてゲキを飛ばされたばかりだった。精神的支柱を失ったような気持ちになったのを、よく覚えている。
と、綴っています。
森本毅郎はNHK退職後はNHKと絶縁状態が続いていた
そんなことから、森本毅郎さんは、1984年にNHKを退職して以来、NHKとは絶縁状態が続いていたそうで、
僕はNHKにどっぷりの人間だったから、当時は僕がフリーになるなんて誰も思っていなかった。だからこそ本当に裏切り者とされちゃって、それ以来、NHKは僕を絶対に使わない(笑)。
「石をもて追はるるごとくふるさと(を出でしかなしみ消ゆる時なし/石川啄木「一握の砂」)」ですよ。(「石を投げつけて追われるかのように、故郷を出てきた悲しみは消えることがない。」という意味)
と、語っており、
たったの1回だけ、NHKのBSの番組に出演したことがあったそうですが、それきり、NHKには出演することはなかったといいます。
(このBSの時は、過去の確執を知らないプロデューサーが森本毅郎さんに声をかけてしまい、断れなくて、森本毅郎さんが出演することになったそうですが、局内では、「まずい」ということになって、それ以来声がかからなくなったのでは、と森本毅郎さんは思っているそうです)
森本毅郎は85歳の時にNHKのラジオ番組に41年ぶりに出演していた
また、森本毅郎さんは、2021年の「文春オンライン」のインタビューでも、
今さら需要もないでしょうけど(笑)。すくなくても、過去の経緯を知っていた人たちが生きていた時代は「あいつだけは受け入れない」と思っていたようです。
当時の有名な報道局のお偉いさんは「NHKの人間が外に出て活躍するのはいいじゃないか」と言ってくれたそうですけど、僕のことを可愛がってくれた当時のアナウンス室長とは一切交流がなくなりました。
可愛がってくれていただけに許しがたかったんでしょう。昔の仲間が集まって、ときどき食事会をしていましたが、その室長だけは元同僚が声を掛けてくれても来てくれません。悲しいですね。
と、NHKとの絶縁が2021年になっても続いていることを明かしていたのですが、
2025年3月21日には、41年ぶりに、放送100周年を記念するNHKのラジオ番組「放送100年企画 森本毅郎41年ぶりのNHK」に出演しており、ついに、雪解けとなったようです。
「森本毅郎の「噂の!東京マガジン」は自身の不倫疑惑から開始も現在も継続中!」に続く

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