1966年に育英高校からドラフト2位で近鉄バッファローズに入団すると、1年目からいきなり10勝をマークしてエース格の働きをし、以降、2年目の1971年からは5年連続20勝以上の成績を残すほか、長年に渡って活躍し、NPB歴代4位の通算317勝ほか数々の記録を打ち立てた、鈴木啓示(すずき けいし)さん。
そんな鈴木啓示さんは、4歳の時に右腕を骨折したことがあったそうですが、息子をプロ野球選手に育てたかったお父さんにより、左利きに矯正されていたといいます。
また、その後、少年野球チームに入ると、やがては、プロ野球選手に憧れるようになり、野球の名門である滝川高校を受験したそうですが、まさかの不合格だったといいます。
今回は、鈴木啓示さんの、生い立ち(幼少期から育英高校野球部入部まで)をご紹介します。

鈴木啓示のプロフィール
鈴木啓示さんは、1947年9月28日生まれ、
兵庫県西脇市の出身、
身長181センチ、
体重86キロ、
学歴は、育英高等学校卒業、
ちなみに、「鈴木啓示」は本名です。
鈴木啓示は4歳の時に右腕を骨折すると父親に左利きに矯正されていた
鈴木啓示さんは、兵庫県西脇市で酒屋を営む両親のもと誕生すると、4歳の時には、右腕を骨折してしまったそうですが、
お父さんが、鈴木啓示さんを「プロ野球選手に育てたい」と考えていたことから、右利きだった鈴木啓示さんは、左利きに矯正されたといいます。
鈴木啓示は少年時代、阪神タイガースの小山正明投手とキャッチボールをしたことがあった
また、鈴木啓示さんは、その後、少年野球チームに入ったそうですが、鈴木啓示さんが所属する少年野球チームに、阪神タイガースの小山正明投手が指導に来てくれたことがあったそうで、
小山正明投手から、
おい、僕、キャッチボールしよう
と、声をかけられ、キャッチボールをしたといいます。
ただ、この時、鈴木啓示さんは、まだ、小山正明投手を知らず、鈴木啓示さんと小山正明投手がキャッチボールしていたのを見ていた人が、その日の夜、両親が経営する酒屋に来て、
僕、今日凄いピッチャーとキャッチボールしたな
あれ、誰か知ってるか?阪神の小山さんやぞ。凄いピッチャーやで
と、言ったそうで、
鈴木啓示さんは、
それから小山さんを覚えたんや。終わってみれば(自分は)317勝までいって、あと3つ勝てば小山さんの320勝まで追いついとんのにって言われたけど、それしたら小山さんに失礼やなって思ったくらい
と、語っています。
(後にプロの世界へ進み、勝利を積み重ねた鈴木啓示さんは、最終的に歴代4位となる通算317勝を記録しており、小山正明さんの320勝(歴代3位)まであと3勝でした)
鈴木啓示はプロ野球選手に憧れ、野球の名門・滝川高校を受験するも不合格となっていた
そんな鈴木啓示さんは、中学に進学すると、将来はプロ野球選手になりたいと思っていたそうですが、そのためには、ある程度野球の強い高校に行かなければいけないと言われたそうで、
この頃、兵庫県では、滝川高校か育英高校が野球の名門だったことから、
鈴木啓示さんは、
3年に1回は甲子園に出られる
と、言われていた滝川高校を受験したそうです。
しかし、合格発表では自分の番号がなく、まさかの不合格だったそうで、大きなショックを受けたそうです。
(鈴木啓示さんの中学時代の成績は常に真ん中より上位だったそうで、当然、受かると思っていたのだそうです)
鈴木啓示は地元の県立西脇高校に合格するも強豪校である育英高校にこだわっていた
ただ、すぐ、気持ちを切り替え、
よーし、(滝川高校に)逃がした魚は大きいと言わしたろ
という強い反骨心で、ライバル校だった育英高校の2次試験を受験することにしたそうで、
(私立高校の2次試験は、1次募集で定員に達しなかった学校が公立高校の合格発表後に行う追加の入学試験)
それまでの間、地元の進学校である県立西脇高校を受験すると、合格。
すると、(西脇高校には合格できないと思っていた)教師には、
鈴木君、そんな遠い育英に行かんでも西脇高校で野球して、家の手伝いもできるやないか。その方がお父さんもお母さんも喜ぶで
と、説得されたそうですが、
田舎の高校ではプロのスカウトの目に留まらない。プロになるには、常に注目される都会の強豪校へ行くべきだ
と、考えていた鈴木啓示さんの意志は揺るがなかったそうです。
(ちなみに、当時のルールでは、私立の育英高校の受験票を出した時点で、合格した西脇高校の合格は取り消しになってしまったそうで、もし、育英高校が不合格なら、進学先がなくなってしまうという背水の陣だったそうです)
鈴木啓示は育英高校野球部の入部テストでは即合格していた
さておき、その後、鈴木啓示さんは、育英高校の第2次試験を受験すると無事合格したそうで、本番の野球部の入部テストを受けに行くと、
その日は、あいにくの土砂降りの雨だったそうで、入部テストは室内練習場の廊下で行われたそうですが、
鈴木啓示さんが、先輩キャッチャー相手に投げ込んだ渾身の球は「パーン」「パーン」と凄まじい音を響かせたそうで、
そのボールの威力と音に圧倒された育英高校の監督は、即座に、
この子はいい。無条件で合格だ
と、言ってくれ、
鈴木啓示さんは、無事、野球部にも入ることができたのだそうです。
「鈴木啓示の高校時代は1年生でエース!甲子園は?練習試合では江夏豊とも!」に続く
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