1966年に近鉄バファローズに入団すると、近鉄一筋20年で、通算317勝(日本プロ野球歴代4位)、340完投、71完封、防御率3.11という凄まじい記録を残し、2002年には野球殿堂入りを果たしている、鈴木啓示(すずき けいし)さん。
今回は、そんな鈴木啓示さんの現役時代の凄すぎる成績をご紹介します。

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鈴木啓示の現役時代の投手成績と年俸
それでは、ここで、鈴木啓示さんの現役時代の投手成績と年俸をご紹介しましょう。
- 1965年(近鉄バファローズ)入団
- ドラフト2位
- 契約金不明
- 1966年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 10勝12敗 160奪三振 防御率3.19
- 登板46 完投6 完封3 無四球1 投球回189.0 勝率.455
- 1967年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 21勝13敗 222奪三振 防御率2.77
- 登板44 完投19 完封4 無四球10 投球回276.0 勝率.618
- 最多奪三振(最多完投・最多無四球)
- 1968年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 23勝21敗 305奪三振 防御率2.48
- 登板57 完投18 完封7 無四球1 投球回359.0 勝率.523
- 最多奪三振(最多投球回)
- 1969年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 24勝13敗 286奪三振 防御率2.50
- 登板46 完投28 完封7 無四球6 投球回330.2 勝率.649
- 最多勝利・最多奪三振(最多完投・最多無四球・最多投球回)
- 1970年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 21勝14敗 247奪三振 防御率2.75
- 登板45 完投22 完封3 無四球6 投球回313.2 勝率.600
- 最多奪三振(最多完投・最多無四球)
- 1971年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 21勝15敗 269奪三振 防御率3.22
- 登板43 完投25 完封7 無四球3 投球回291.1 勝率.583
- 最多奪三振(最多完投・最多完封・最多投球回)
- 1972年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 14勝15敗 180奪三振 防御率3.42
- 登板43 完投14 完封5 無四球0 投球回242 勝率.483
- 最多奪三振(最多完封)
- 1973年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 11勝13敗 119奪三振 防御率3.40
- 登板30 完投14 完封4 無四球0 投球回171.2 勝率.458
- 1974年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 12勝15敗1セーブ 141奪三振 防御率3.22
- 登板36 完投14 完封3 無四球1 投球回229 勝率.444
- 最多奪三振(最多完投・最多投球回)
- 1975年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 22勝6敗 107奪三振 防御率2.26
- 登板33 完投18 完封3 無四球6 投球回239.1 勝率.786
- (最多無四球・最高勝率)
- 1976年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 18勝15敗 129奪三振 防御率2.67
- 登板37 完投24 完封4 無四球6 投球回265.2 勝率.545
- (最多完投・最多無四球・最多投球回)
- 1977年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 20勝12敗1セーブ 144奪三振 防御率2.35
- 登板39 完投24 完封7 無四球8 投球回267.2 勝率.625
- 最多勝利(最多完投・最多完封・最多無四球)
- 1978年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 25勝10敗 178奪三振 防御率2.02
- 登板37 完投30 完封8 無四球10 投球回294.1 勝率.714
- 最多勝利・最多奪三振・最優秀防御率(最多完投・最多完封・最多無四球)
- 1979年(近鉄バファローズ)年俸不明
- 10勝8敗 91奪三振 防御率4.40
- 登板24 完投6 完封1 無四球0 投球回134.2 勝率.556
- 1980年(近鉄バファローズ)年俸3150万円
- 14勝8敗 100奪三振 防御率3.87
- 登板26 完投12 完封2 無四球1 投球回179 勝率.636
- 1981年(近鉄バファローズ)年俸2790万円
- 5勝11敗 42奪三振 防御率5.12
- 登板22 完投8 完封0 無四球3 投球回123 勝率.313
- 1982年(近鉄バファローズ)年俸2500万円
- 11勝10敗 100奪三振 防御率3.74
- 登板24 完投16 完封0 無四球5 投球回190.1 勝率.524
- (最多無四球)
- 1983年(近鉄バファローズ)年俸3300万円
- 14勝11敗 101奪三振 防御率3.70
- 登板28 完投23 完封3 無四球7 投球回226 勝率.560
- (最多完投・最多完封・最多無四球)
- 1984年(近鉄バファローズ)年俸5000万円
- 16勝10敗 102奪三振 防御率3.76
- 登板28 完投17 完封0 無四球4 投球回213 勝率.615
- (最多無四球)
- 1985年(近鉄バファローズ)年俸7000万円
- 5勝6敗 38奪三振 防御率7.89
- 登板15 完投2 完封0 無四球0 投球回65 勝率.455
と、通算20年(近鉄バッファローズ)で、703登板 317勝238敗2セーブ 3061奪三振 防御率3.11(完投340 完封71 無四球78)と素晴らしい成績を残しています。

鈴木啓示さんの通算成績
鈴木啓示は最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率などタイトル多数
そんな鈴木啓示さんは、
- 最多勝利3回(1969年、1977年、1978年)
- 最優秀防御率1回(1978年)
- 最多奪三振8回(1967年-1972年、1974年、1978年)※パ・リーグ記録(当時は連盟表彰なし(パ・リーグでは1989年より表彰)。6年連続は最長タイ記録(他は江夏豊)。
- 最高勝率1回(1975年)
と、タイトルも数多く獲得しています。
鈴木啓示は投手3冠王、ノーヒットノーラン2回ほか記録多数
さらに、鈴木啓示さんは、
- 投手3冠王1回(1978年)
※史上11人目、31歳シーズンでの達成は史上最年長
※投手3冠+最多完封1回 史上8人目、左投手ではパ・リーグ史上唯一 - ノーヒットノーラン2回
(1968年8月8日、対東映フライヤーズ19回戦、日生球場)※史上40人目、史上48度目
(1971年9月9日、対西鉄ライオンズ26回戦、日生球場)※史上56度目 - オールスター最年少安打(18歳9カ月。1966年第3戦、松川虎生と並ぶタイ記録)
- 10試合連続完投勝利(1978年達成)※パ・リーグ記録
- 通算78無四球試合 ※プロ野球記録
- 通算340完投 ※パ・リーグ記録
- 通算71完封勝利 ※パ・リーグ記録
- シーズン30完投(1978年)※パ・リーグ記録
- シーズン20勝以上8回(1967-1973年、1975年、1977年、1978年)※パ・リーグタイ記録
- 開幕投手14回 ※金田正一と並ぶプロ野球記録(同一球団では単独で最多)。
- オールスターゲーム選出15回(1966年-1973年、1975年-1978年、1980年、1983年-1984年)
と、凄まじい記録を残しています。
また、
- 通算560被本塁打 ※世界記録
- 通算1772失点 ※リーグ最多失点を記録していない投手の中では歴代最多
- 通算1588自責点 ※リーグ最多自責点を記録していない投手の中では歴代最多
と、逆の記録も凄まじい数字を残しています。
鈴木啓示はMVP、野球殿堂競技者表彰ほか表彰も多数
そして、
- ベストナイン3回(1969年、1975年、1978年)
- 野球殿堂競技者表彰(2002年)
- 月間MVP1回(1984年6月)
- パ・リーグプレーオフ優秀選手賞1回(1980年)
- 報知プロスポーツ大賞1回(1978年)
- 新語・流行語大賞 流行語部門大衆賞(1985年、「投げたらアカン」)
と、数々の賞も受賞しています。
鈴木啓示の背番号は?
そんな鈴木啓示さんの背番号は、近鉄バッファローズ入団1年目の1966年から1985年の引退までの20年間、現役時代はずっと「1」で、監督時代は「70」をつけています。
- 1(近鉄バファローズ 1966-1985年)※永久欠番
- 70(近鉄バファローズ 1993-1995年)
ちなみに、鈴木啓示さんの背番号「1」は、当時のパ・リーグでは唯一の永久欠番だったのですが、
2004年、近鉄とオリックスが合併した際、オリックス球団から背番号「1」をオリックスの永久欠番にすることを相談されたそうですが、鈴木啓示さんが辞退したことから、合併後のオリックス・バファローズでは背番号「1」は永久欠番ではなくなっています。
また、鈴木啓示さんは、背番号「1」を選んだ理由について、2024年、落合博満さんのYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」に出演した際、
落合博満さんに、
ドラフト2位で背番号1番を付けるっていうのは珍しいんじゃないですか?
と、話を振られ、
ええこと聞いてくれたね
初めは40何番やったんや。ところが“こんな番号いらん”言うたんや。何番欲しいって言われて、1番くださいって言うたんや。
“鈴木君、何で1番。プロ野球はね、ピッチャーは背中に2桁なかったらいかんのよ”って言われたんや。私、当時阪神ファンやったから“そんなことないですよ。阪神はバッキーが4番付けてますよ”って言うたら“あれは外国人だから”って言われたんや。
“何でそんな1番欲しいんだ”って言われた時に“日本一のピッチャーになりたいねん”ってワシ言ったらしいわ。大きなこと言うとんねん
(当時)矢ノ浦(国満)さんいう、近鉄でショートしとった人が1番付けていた。その年にたまたまヤクルト(当時サンケイ)にトレードになったんや。1番が空いたんや。で、1番もろたんや
と、明かしています。
ただ、鈴木啓示さんは、背番号「1」をつけたことを、
オープン戦で押し出しのフォアボールを出したりしてさ、その時近鉄ファンが“お前、まだ高校野球のピッチャーじゃ。プロのピッチャー違う”って言われてね。ああ、1番付けんかった方が良かったんかなと思ったんやけどな
と、後悔したこともあったといいます。
(プロ野球のピッチャーで、1番を付けたのは、鈴木啓示さんが初めてだったそうです)
「鈴木啓示は西本幸雄監督との出会いで本物のエースになっていた!」に続く
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