1992年、近鉄バファローズの監督に就任すると、1年目の春季キャンプで、自身の信念を強制するトレーニングを課したことで、選手やコーチたちと軋轢(あつれき)が生じ、対立状態になっていたという、鈴木啓示(すずき けいし)さんですが、

その軋轢は、日本プロ野球史における「伝統的な精神野球」と「個人の調整重視」の価値観が激突した象徴的な出来事として知られており、中でも、最も有名なのが、当時のエース・野茂英雄投手との確執でした。

今回は、鈴木啓示さんと野茂英雄さんの間に生じた確執の原因、決別を決定づけた出来事、その後についてご紹介します。

鈴木啓示と野茂英雄

「鈴木啓示はダメ監督だった?監督時代の成績は?選手のコメントは?現在は?」からの続き

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鈴木啓示は野茂英雄の調整方法や投球フォームを否定し自身の信念を強要していた?

野茂英雄さんは、1989年のドラフト会議で史上最多の8球団から1位指名を受け、抽選の結果、近鉄バファローズが交渉権を獲得し、近鉄に入団しているのですが、その際、「投球フォームを改造しないこと」を条件としていました。

また、当時の仰木彬監督は、これを快諾し、調整方法も本人に一任したことから、野茂英雄さんは自分を信頼してくれる仰木彬監督のために、チームに貢献しようと、圧倒的な成績を残していたのですが、

仰木彬監督は、1992年には退任。

野茂英雄さんは、後年、

自分を信頼してくれた仰木さんを胴上げするためにチームに貢献しようと頑張っていたが、仰木さんが監督を辞められたことでその気持ちは薄れてしまった

と、語っています。

そんな中、1993年、鈴木啓示さんが監督に就任するのですが、

鈴木啓示さんは、仰木彬さんとは違い、野茂英雄さんに対し、調整方法だけでなく、投球フォームまで否定したといいます。

調整方法

野茂英雄さんは、中6日のローテーションで球数を抑え、中6日の調整期間には、立花龍司コーチのマンツーマン指導で、ウエイトトレーニングや遠投で調整するスタイルだったのですが、

現役時代、「走り込み」と「投げ込み」で体を作るという調整方法を取っていた鈴木啓示さんにはこれを理解できず、

野球選手はひたすら走るもの

投げ込む筋肉は投げてつける

という持論を、野茂英雄さんに強要したといいます。

そこで、野茂英雄さんが、

では一体、何周走ればいいんですか?

と、尋ねると、

鈴木啓示さんは、

何周とかと違う。野球選手はひたすら走るもんなんや

と、言ったといいます。

また、野茂英雄さんは、開幕前に調子が整えばいいと考えていたそうですが、鈴木啓示さんはというと、オープン戦から結果を要求したといいます。

そして、野茂英雄さんは、登板後、疲労回復のため、音楽を聴きながら、ウエートルームでエアロバイクを漕いでいたそうですが、

鈴木啓示さんはというと、外野フェンスに沿ってひたすらジョギングをするという考えだったといいます。

鈴木啓示と野茂英雄
鈴木啓示さん(左)と野茂英雄さん(右)。

投球フォーム

さらに、鈴木啓示さんは、監督就任直後、道上洋三さんのラジオ番組に出演した際、

三振は取るが四球が多すぎる。(投球)フォームを改造しなければ

今のフォームではいずれ通用しなくなる。その時に私に頭を下げてこられるかどうかだ

と、野茂英雄さんのフォームを完全否定していました。

そんな中、鈴木啓示さんと野茂英雄さんは対立し、二人の溝はどんどん深まっていったのだそうです。

鈴木啓示は野茂英雄が練習をサボっていると誤解していた

また、練習に関しても、野茂英雄さんは、全体練習の前にトレーニングを済ませていたそうで、それを公表しない”プロの美学”(練習ではなくグラウンドでのパフォーマンスを見てほしい)を持っていたそうですが、

鈴木啓示さんは、野茂英雄さんのことを理解しようとしなかったことから、練習をサボっていると誤解していたといいます。

ちなみに、捕手だった光山英和さんは、

野茂は、グラウンドに来る前に全部練習が終わっているんです。ウエートトレーニングだけじゃなくて、ランニングもやります。だから、試合前の全体練習が始まったら、外野で球拾いをやってるんですよ、キャッキャッ言いながらね。

その姿が、多分、鈴木啓示さんは気に入らなかった。僕らは一緒にトレーニングも行ったし、その後、ランニングしているのも聞いていたんです。野茂は、全体練習が始まるときには、もうやることがなかったんです。

あいつ、わざわざ『トレーニング、行ってきました』とか誰にも言わんし、『走ってきました』とも言わんのです。でも、食事のコントロールだってやってたし、何もかも、登板に向けてやっていたんです。

その姿勢を、選手全員が見て、知っていて、あんなわがままなヤツやけど、その野球に対する姿勢はホントにすごくて、石井(浩郎)さんとか、セカンドの大島(公一・現法大監督)とか『だから、あと一歩が動く』って、いつも言ってたんです。

野茂の練習する姿を見ているから、何とか捕ろう、何とか止めようと思うって、それ、よく話していました。僕も、野茂の登板の前日とかは、石井さんと『明日、野茂やから外出やめよう』とかってなりましたからね

と、語っています。

鈴木啓示と野茂英雄
鈴木啓示さん(左)と野茂英雄さん(右)。

鈴木啓示は立花龍司コーチを冷遇して退団に追い込んだことで野茂英雄ら投手陣の反感を買っていた

そんな中、1993年のシーズンオフには、近鉄投手陣から絶大な信頼を寄せられていたコンディショニング担当の立花龍司コーチが、鈴木啓示さんとの対立により退団しているのですが、

鈴木啓示さんが、アメリカ式の合理的なトレーニングを推進する立花龍司コーチを冷遇したことで、野茂英雄さんだけでなく赤堀元之さんら他の投手陣も鈴木啓示さんへの不信感を募らせていったといいます。

鈴木啓示と野茂英雄の決別が決定的となった出来事とは?

そして、翌年1994年のシーズンには、鈴木啓示さんと野茂英雄さんの決裂が決定的となった出来事があったといいます。

1994年の西武との開幕戦、試合前、鈴木啓示さんは、

今日は野茂と心中や

と、マスコミにコメントすると、

それに応えるように、野茂英雄投手も8回までノーヒットノーランの投球を見せ、近鉄が3-0とリードしていたのですが、

9回、先頭の清原和博選手にヒットを打たれ、その後、2四球で満塁とされると、鈴木啓示さんは、野茂英雄投手を降板させ、守護神の赤堀元之投手を投入。

これに、野茂英雄さんは激怒し、後に、捕手の光山英和さんも「ずっと怒っていた」と証言しています。

(ちなみに、赤堀元之投手も、試合前の鈴木啓示さんのコメントを鵜呑みにし、準備不足だったことから、伊東勤選手に逆転満塁本塁打を浴びてまさかの逆転負けとなり、これが尾を引き、チームも6月までBクラスに沈んでいます)

また、このシーズン、後半、野茂英雄さんは右肩を痛め、二軍調整となったことから、最終的には8勝に終わっているのですが・・・

なんと、オフの契約更改では、球団と激しく対立し、任意引退という形で退団となったのでした。

(任意契約となると、選手が再び現役復帰を目指す場合、原則として最後に所属した球団に復帰しなければならず、他球団でプレーしたい場合は、元の球団が移籍を許可するか、自由契約に身分を変更してもらうことが必要となります)

実は、野茂英雄さんは、当時、チームメイトだった金村義明さんの著書「勝てる監督 負けるボス」で、

僕は、別にどうしてもメジャーでやりたかったわけじゃない。ただ、あの監督(鈴木)の下ではやれないと思った、それだけなんです

と、語っており、

野茂英雄さんが、鈴木啓示監督のもとで野球をやりたくないことを球団に訴えるも、球団は、トレードも自由契約も許さず、「嫌なら野球を辞めろ」となり、任意引退となったようで、

当時は、任意引退でも、メジャーとは契約できたことから、野茂英雄さんは、野球を続けるため、翌1995年2月13日、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだのでした。

(ただ、その後、NPBは、任意引退による日本人選手の流出に危機感を感じて協約を改定しており、現在は、任意引退すると、メジャーほか世界各国のプロ野球球団と契約することが出来なくなっています)

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鈴木啓示と野茂英雄は和解した?現在の関係は?

ちなみに、鈴木啓示さんは、後に、

走っとったら、足のほうは大丈夫やね。それを同じようにして、近鉄の監督のとき、野茂あたりに「走れ、走れ」言うたら、もう拗(す)ねてしもうて(笑)。

自分の感覚で「人はついてきてくれる」「育ってくれる」と思うたけど、あかんわ。彼だけはわからんわ。3つカンカンカーンとフォアボール出しよんねん。

それで代えなあかんな、と思ったら、3つ三振取りよんねん。そういうピッチャーやったからね、わかれへん。で、走るとか、投げ込むとかいうのをしないね、あの子はね。

それでも勝っちゃったから、「もうちょっと走り込んでみいや、もうちょっと投げてみいや。今で15勝も16勝もできんねやから、やったら20勝くらいすぐできるで」(と言った)

立花(龍司)いうトレーニングコーチがおったんや。あれがアメリカのやつばっかり。本人は勉強したんやろうけど、野茂に薦めよったんや

と、語っているほか、

2024年3月15日、落合博満さんのYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」に出演した際にも、

選手にやっぱりうまくなってもらいたい思うやんか。だから何とか1つでも勝ってもろて、奥さん喜んでくれたり、子供も喜んでくれたりしたら嬉しい思うやんか

逆にそれが裏目になって、俺が一方的に説教じみて言うとるみたいに思われたんや。持っていき方が下手やねん

俺がモノ言うたら説教してるみたいに言われんねんて

(中日で監督を務めた落合博満さんに)あんたみたいに柔らかいところがあったらええねんけどね

と、語っており、

現在も、自身の指導方法自体が間違っていたとは考えていないようですが、

彼の残した実績やアメリカでの活躍は素晴らしい

と、野茂英雄さんの偉業は称えています。

一方、野茂英雄さんも、公の場で鈴木啓示さんを非難することはしていません。

そんな二人は、現在、はっきり和解したことは明らかになっていないものの、顔を合わせた際、挨拶は交わしているとのことで、大人の関係は保っているようです。

さて、いかがでしたでしょうか。

鈴木啓示さんの、

  • 鈴木啓示の生い立ちは?右投げから左投げに矯正!育英高校野球部には即合格!
    • 鈴木啓示のプロフィール
    • 鈴木啓示は4歳の時に右腕を骨折すると父親に左利きに矯正されていた
    • 鈴木啓示は少年時代、阪神タイガースの小山正明投手とキャッチボールをしたことがあった
    • 鈴木啓示はプロ野球選手に憧れ、野球の名門・滝川高校を受験するも不合格となっていた
    • 鈴木啓示は地元の県立西脇高校に合格するも強豪校である育英高校にこだわっていた
    • 鈴木啓示は育英高校野球部の入部テストでは即合格していた
  • 鈴木啓示の高校時代は1年生でエース!甲子園は?練習試合では江夏豊とも!
    • 鈴木啓示は高校1年生の時に毎日300球投げ続けたことで理想的なフォームを習得していた
    • 鈴木啓示は高校1年生の夏からエースとして活躍していた
    • 鈴木啓示は高校2年生秋の近畿大会決勝戦で延長17回を投げきり向陽高校にサヨナラ勝ちしていた
    • 鈴木啓示は高校3年生春の選抜甲子園の初戦・2回戦で徳島商業高校に敗退していた
    • 鈴木啓示は高校3年生の夏の兵庫県予選決勝で0-1xのサヨナラ負けを喫していた
    • 鈴木啓示は高校3年生の時、練習試合で大阪学院高校の江夏豊と投げ合っていた
  • 【画像】鈴木啓示の若い頃が凄い!プロ野球現役時代の経歴を時系列まとめ!
    • 鈴木啓示はドラフト会議で近鉄バッファローズに2位指名を受けていた
    • 鈴木啓示が近鉄バッファローズに入団した理由は800万円の札束だった
    • 鈴木啓示は1年目(18歳)からエース格で活躍していた
      • 入団1年目(18歳)にして「このチームを強くしてやろう」と決意していた
      • 入団1年目(18歳)にして48試合に登板し、10勝12敗、160奪三振、防御率3.19
    • 鈴木啓示は2年目(19歳)の時、44試合に登板し、21勝13敗、投球回数276.0回、奪三振222、防御率2.77という素晴らしい成績を残していた
    • 鈴木啓示は3年目にはノーヒットノーランを達成していた
    • 鈴木啓示は4年目(21歳)の時、24勝で初の最多勝を獲得していた
    • 鈴木啓示は5年目(22歳)も21勝挙げていた
    • 鈴木啓示は6年目(23歳)の時、2度目のノーヒットノーランを達成していた
    • 鈴木啓示は7年目(24歳)~9年目(26歳)も20勝には届かないながら二桁勝利は継続しエースとして活躍していた
    • 鈴木啓示は10年目(27歳)には22勝6敗で最高勝率を獲得し、ベストナインにも選出されていた
    • 鈴木啓示は13年目(30歳)の時、パ・リーグの投手主要3部門(勝利・防御率・奪三振)をほぼ独占する圧巻のパフォーマンスを見せていた
    • 鈴木啓示は16年目(33歳)の時、二桁勝利が15年連続で途切れ引退を決意するも西本幸雄監督に諭されていた
    • 鈴木啓示は17年目(34歳)~19年目(36歳)は再び二桁勝利
    • 鈴木啓示は19年目(36歳)の時、通算300勝を達成していた
    • 鈴木啓示は300勝時、左足は痛風が悪化、右足はアキレス腱が断絶寸前ほか満身創痍だった
    • 鈴木啓示は20年目(37歳)の時、現役を引退していた
  • 鈴木啓示の現役時代の成績が凄い!ノーノー2回!通算317勝340完投71完封!
    • 鈴木啓示の現役時代の投手成績と年俸
    • 鈴木啓示は最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率などタイトル多数
    • 鈴木啓示は投手3冠王、ノーヒットノーラン2回ほか記録多数
    • 鈴木啓示はMVP、野球殿堂競技者表彰ほか表彰も多数
    • 鈴木啓示の背番号は?
  • 鈴木啓示は西本幸雄監督との出会いで本物のエースになっていた!
    • 鈴木啓示は入団7年目には二桁勝利を維持するも思うように勝てなくなっていた
    • 鈴木啓示が入団9年目の時、名将・西本幸雄が近鉄バッファローズの新監督に就任
    • 鈴木啓示は西本幸雄監督に投球スタイルを変えるように助言されるも反発していた
    • 鈴木啓示は阪神の吉田義男監督に自ら電話してトレードを頼んでいた
    • 鈴木啓示は西本幸雄監督の粘り強さに根負けする形でアドバイスに耳を傾けていた
    • 鈴木啓示は西本幸雄監督のアドバイスを受け入れて投球スタイルを変革し22勝6敗の成績を挙げていた
    • 鈴木啓示は西本幸雄監督の辞意を感じ留任するよう直訴していた
    • 鈴木啓示は1979年の日本シリーズ第2戦で完封勝利し西本幸雄監督に「見たか、おやじ!」と言い放っていた
    • 鈴木啓示は1980年の日本シリーズ第7戦では西本幸雄監督に持ち上げられるも敗戦していた
    • 鈴木啓示は西本幸雄監督の「つらいほうの道を選んでみい」の言葉で引退を思い留まっていた
    • 鈴木啓示の引退(引き際)のタイミングを西本幸雄は理解していた
  • 鈴木啓示はダメ監督だった?監督時代の成績は?選手のコメントは?現在は?
    • 鈴木啓示は45歳の時に近鉄バッファローズの監督に就任
    • 鈴木啓示は46歳(近鉄バッファローズ監督就任1年目)の時、春季キャンプで練習方針を巡りコーチや選手と摩擦があった
    • 鈴木啓示は46歳(近鉄バッファローズ監督1年目)の時、優勝候補からまさかの4位に終わっていた
    • 鈴木啓示は47歳(近鉄バッファローズ監督2年目)の時、首位に7.5ゲーム差をつけられ2位(オリックスと同率)
    • 鈴木啓示は48歳(近鉄バッファローズ監督3年目)の時、開幕直前にエース候補・吉井理人投手をトレードで放出していた
    • 鈴木啓示は48歳(近鉄バッファローズ監督3年目)の時、シーズン途中で近鉄バッファローズの監督を解任されていた
    • 鈴木啓示の監督時代の成績は?
    • 鈴木啓示の監督時代の選手のコメントは?
    • 鈴木啓示の監督退任後~現在は?
  • 【画像】鈴木啓示と野茂英雄の確執の原因は?現在は和解している?
    • 鈴木啓示は野茂英雄の調整方法や投球フォームを否定し自身の信念を強要していた?
      • 調整方法
      • 投球フォーム
    • 鈴木啓示は野茂英雄が練習をサボっていると誤解していた
    • 鈴木啓示は立花龍司コーチを冷遇して退団に追い込んだことで野茂英雄ら投手陣の反感を買っていた
    • 鈴木啓示と野茂英雄の決別が決定的となった出来事とは?
    • 鈴木啓示の現在の考えは?

について、ご紹介しました。

現役時代、歴代4位の通算317勝を積み上げ、戦後唯一の”300勝投手”という金字塔を打ち立てるも、

その分、自身の練習法・調整法・考え方などに絶対的な自信を持ち、コーチや選手の取り組み方や考え方を深く理解しようとせずに、次々と離れていかれ、ネット上では、「ダメ監督」「無能」などと言われてしまった鈴木啓示さん。

ただ、そのお陰で、野茂英雄さんがメジャーに行くことになり、メジャーで大活躍して、その後の、イチローさん、松井秀喜さん、松坂大輔さん、佐々木主浩さん、岩隈久志さん、ダルビッシュ有さん、黒田博樹さん、田中将大さん、大谷翔平さん、山本由伸さんほか多くの選手のメジャーリーグでの大活躍に繋がったとも言えるのですが・・・

さておき、鈴木啓示さんが素晴らしい投手だったことは紛れもない事実なので、ぜひ、鈴木啓示さんには、自身が実践してきた練習や投球技術を論理的に分析して、現在の日本の野球界に役立ててほしいものです。

お読みいただきありがとうございました

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