1982年、29歳の時、「欽ちゃんのどこまでやるの!」に出演すると、「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」で一躍人気を博した、関根勤(せきね つとむ)さんですが、
所属事務所「浅井企画」に入ってから7年もの間、先輩の萩本欽一一さんには、門前払いの厳しい拒絶に遭っていたといいます。
今回は、関根勤さんが後に”永遠の師匠”と仰ぐ萩本欽一さんとの出会い、お茶の間の人気者へと導いてもらった萩本欽一さんからの教えなど、エピソードを交えながらご紹介します。

「【画像】関根勤の若い頃はラビットでカマキリや小堺一機とコサキン!現在は?」からの続き
関根勤は萩本欽一から”カマキリ”を嫌われ7年も拒絶されていた
バラエティー番組「ぎんざNOW!」の「しろうとコメディアン道場」で初代チャンピオンに輝いたことをきっかけに、「浅井企画」の浅井良二社長からスカウトされ、芸能界入りした関根勤さんですが、
所属した「浅井企画」の先輩・萩本欽一さんには、会うことすらできず、実に7年もの間、門前払いされていたといいます。
というのも、萩本欽一さんは、関根勤さんが、別のバラエティ番組「カックラキン大放送!!」で、”殺人者カマキリ男”という不気味で強烈なキャラクターのコントをしているのを初めて見て、
ちょっとやばいな、なるべく近寄りたくない
と、感じ、
関根の笑いはわからない。なんか嫌い
と、強烈に拒否していたそうで、
関根勤さんは、萩本欽一さんに、挨拶をしても返事すらしてもらえなかったのだそうです。
(浅草の軽演劇の世界で師匠に弟子入りし、基礎からみっちり修業して芸を磨いた萩本欽一さんにとって、関根勤さんの”シロウト芸”は底が浅く見えていたようです)

「カックラキン大放送!!」でカマキリ男に扮する関根勤さん。
関根勤は萩本欽一と初対面の時にアドリブテストを課されていた
それでも、せっかく関根勤さんをスカウトした事務所としては、「視聴率100%男(レギュラー番組の視聴率を足すと100%)」の萩本欽一さんの番組に、なんとか関根勤さんを出演させたいと思い、
浅井良二社長が、関根勤さんを連れて、萩本欽一さんの自宅に行ったそうで、関根勤さんは、ついに萩本欽一さんとの対面が叶ったそうですが、
浅井良二社長が、
欽ちゃん、関根くんとどうにか一緒に仕事してあげてよ
と、切り出すと、
なんと、萩本欽一さんは、関根勤さん本人の目の前で、
俺はお前なんかと仕事したくねぇよ!
と、言い放ったのだそうです。
とはいえ、関根勤さんは、ショックを受けるよりも、
俺の芸風が嫌いなんだな、正直な人だな。本当に真っ直ぐな人だな。
と、萩本欽一さんの裏表のない人柄にむしろ感銘を受けたといいます。
すると、萩本欽一さんは、話の途中で、
ハイ、時代劇のヤクザの出入り
と、いきなり役を振り、アドリブ芝居のテストを仕掛けてきたそうで、
関根勤さんは、懐の刀をサヤから出して、大上段にかまえつつ、
てめぇ、コノヤロウ。か、かかってきやがれ・・・
と、腰の引けた状態で全身をブルブル振るわせる演技を披露したそうですが、
萩本欽一さんには、
ハイ、60点(関根勤さんによると「40点」だったかもしれないとのこと)
と、言われたのだそうです。
ただ、萩本欽一さんは、すぐに、
刀を全部抜く必要はないだろ? 精いっぱい虚勢を張りながら、刀を抜く手をブルブル震わせるだけで、ビビってる様子は充分、伝わるじゃないか
と、アドバイスしてくれたそうで、
関根勤さんは、納得し、プロのコメディアンの芸と素人芸との圧倒的な差を思い知らされたのだそうです。
関根勤は萩本欽一に芸名の「ラビット関根」を改名させられていた
ともあれ、ようやく存在を認めてもらえた関根勤さんは、1982年、29歳の時、「欽どこ(欽ちゃんのどこまでやるの!)」のレギュラーメンバーに抜擢されるのですが、
萩本欽一さんから、
ラビット関根なんて変な名前のヤツを、俺の番組に出したくない。
この番組だけでも名前を変えろ
と、言われ、
「ラビット関根」という芸名をやめ、本名の「関根勤」に戻したそうです。
ちなみに、後に、萩本欽一さんが、「ラビット関根」が、桂文枝(当時は桂三枝)さんに名付けられた名前だと知ると、
言えよ、お前!
と、言われたそうです(笑)
関根勤は「欽どこ」のレギュラーに抜擢されると、「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」で一躍人気を博していた
さておき、関根勤さんが、「欽どご」で最初に与えられた役は、番組から誕生したアイドルグループ「わらべ」のメンバーである、当時、中学生だった倉沢淳美さんの恋人役でした。
というのも、萩本欽一さんは、関根勤さんが童顔だったため、てっきり若いと勘違いして起用したのだそうです。
ただ、萩本欽一さんが、関根勤さんの年齢を知って驚き、3週目で恋人役を降ろされると、その代わりに与えられたのが、すでに黒子を務めていた小堺一機さんの相方となる、黒子役だったそうで、
関根勤さんは、小堺一機さんと「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」でコンビを組むと、一躍人気を博したのでした。

「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」での関根勤さん(左)と小堺一機さん(右)。
関根勤は萩本欽一によって全国区に育ててもらっていた
とはいえ、当初、関根勤さんは、”殺人者カマキリ男”のイメージが強かったせいでお客さんからのウケが悪かったそうで、
とにかく結果を残さなければ
と、焦るあまり、演技が空回りしてオーバーアクトになり、なかなか結果を出せずにいたといいます。
すると、ある日、萩本欽一さんに、
お前はね、100万円の札束を持って、どうだ、オレはこんな大金を持ってるんだぞ!って、有り金全部を見せようとしているの。
そうじゃないの。そうじゃなくて、5万円だけ見せて、残りの95万円はポケットに隠し持ってる。そういう気持ちでやりなさい
と、アドバイスされたそうで、
萩本欽一さんの教えに従い、次の週から、激しい動きを封印し、「5万円を持っている」という引き算の、小さめな動きを心がけると、
それから3ヶ月後には、お客さんにどんどんウケるようになっていき、自分でも仕事に手応えを感じられるようになっていったそうで、
関根勤さんは、後に、萩本欽一さんが、不気味なキャラクターのイメージを払拭し、全国区に育ててくれた手腕について、
萩本さんの手腕は、中華料理でいう「油通し」のようなものだったと思います。
中華料理は油っこい印象がありますけど、調理の下準備に具材をササッと油にくぐらせることで野菜の色が鮮やかになったり、食感がよくなったりしますよね。
萩本さんは、そんな荒療治で僕の「一部の人にしか刺さらないヌメリ芸」を「全国のお茶の間に伝わる芸」に矯正してくれたんですね。
僕は確かに師匠について修業はしませんでしたけど、20代を通して、テレビという大舞台でひたすら公開修業をさせられていたって感じでしたね(笑)
と、語っています。
関根勤にとって萩本欽一は”永遠の師匠”
そんな関根勤さんは、もともと正式な形で萩本欽一さんに弟子入りした訳ではありませんが、
後年、小堺一機さんと共に、
僕らは萩本さんの弟子ということでよろしいでしょうか?
と、恐る恐るお伺いを立てたところ、
萩本欽一さんは、
いいよ
と、快く認めてくれたそうで、
関根勤さんにとって萩本欽一さんは、門前払いから長い”公開修業”を経て、今もかけがえのない”永遠の師匠”だといいます。
ちなみに、当初、萩本欽一さんには、芸風を認められず、「嫌い」とまで言い放たれていた関根勤さんですが、
後に、萩本欽一さんには、その理由を、
最初に俺が優しいと、お前ら若いから『大丈夫だ、芸能界』って思っちゃう。だから、ちょっと厳しいこと言った
と、明かされたといいます。
「関根勤の病気は?冠動脈狭窄でカテーテル(ステント留置手術)!現在は?」に続く
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