大学3年生の時、情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」の「しろうとコメディアン道場」で初代チャンピオンに輝き、芸能界入りすると、その後は、「ラビット関根」の芸名で活動し、
1982年、29歳の時には、「欽ちゃんのどこまでやるの!」で小堺一機さんとのコンビでブレイクを果たした、関根勤(せきね つとむ)さん。
今回は、そんな関根勤さんの、若い頃から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

「関根勤の生い立ちは?中学からモノマネ!大学時代「ぎんざNOW!」に合格!」からの続き
関根勤は大学3年生の時に芸能界デビューするも思うように実力が発揮できなかった
大学3年生(21歳)の時、「ぎんざNOW!」の「しろうとコメディアン道場」で5連続勝ち抜き、見事初代チャンピオンに輝いた関根勤さんは、「浅井企画」の浅井良二社長にスカウトされ、大学を卒業するまでの1年間、芸能界でやってみようと芸能界入りすると、
同年、「ぎんざNOW!」で司会のせんだみつおさんのアシスタントとしてデビューしたそうですが・・・
緊張のあまり、思うように実力を発揮できない日々が続いたそうです。
(当時は、師匠の下で修業を積んでデビューするのが当たり前の時代だったそうですが、関根勤さんは、素人からいきなり芸能界の第一線で活動を始めるという異例のスタートだったそうです)

「ぎんざNOW!」より。(左から)関根勤さん、清水健太郎さん、せんだみつおさん。
関根勤は30歳まで芸能界でダメなら辞めようと方針転換していた
そして、そうこうするうち、自身で決めていた大学卒業というリミットが迫ってきたそうで、
関根勤さんは、元々、消防士だったお父さんの後を継いで消防士になろうと考えていたことから、消防士になろうかと思ったそうですが、
もし、今辞めれば、20代後半になって同世代の芸人が脚光を浴びた時、絶対に後悔する
との気持ちがあったことから、
そんな未練を抱えながら消防活動をするのは失礼だ
と、最終的には、30歳までは続けて芽が出なければ本当に辞めようと考え直したのだそうです。
(ただ、この方針転換には、お父さんはがっかりしたそうです)
関根勤は22歳の時にTBSラジオ番組「ヤングタウンTOKYO 桂三枝の大放送」の前説を務めていた
そんな中、関根勤さんは、1975年、22歳の時、TBSラジオ番組「ヤングタウンTOKYO 桂三枝の大放送」の前説をやることになったそうですが、
芸名を募集していた中、なかなか良い芸名が集まらなかったことから、桂三枝(現・六代目桂文枝)さんに相談すると、
関根勤さんの顔がうさぎに似ていたこともあり、この年(1975年)の干支だった卯(うさぎ)にちなみ、「ラビット関根」と命名されたのだそうです。
(ちなみに、桂三枝さんからは、もし、売れなければ、次の年は辰年だから「ドラゴン関根」、その次の年は巳年だから「スネーク関根」と、毎年、芸名を変え、十二支全てで売れなければ、芸人をあきらめるよう言われたそうです)
関根勤は24歳の時に「カックラキン大放送!!」で”殺人者カマキリ男”で有名になるも嫌われキャラだった
すると、関根勤さんは、その後、千葉真一さん、ジャイアント馬場さん、長嶋茂雄さんなど、これまで誰もやらなかった有名人のモノマネで、次第に注目されるようになっていったそうで、
1977年、24歳の時には、「カックラキン大放送!!」に起用され、刑事ドラマのパロディコントの犯人役で、カマキリ拳法の使い手の”殺人者カマキリ男”を演じると、
バカバカしいと思うなよ。やってる本人、大真面目!
の決め台詞と共に「ラビット関根」の名前はたちまちお茶の間に浸透したのですが・・・

「カックラキン大放送!!」でカマキリ男に扮する関根勤さん。
関根勤さんが演じていた”殺人者カマキリ男”は、気持ちの悪いキャラで、(関根勤さんいわく)今で言う江頭2:50さんのようなキャラクターだったことから、収録に訪れていた観客からは、かなり気持ち悪がられていたそうで、
(しかも、後に、気持ち悪がられていただけではなく、嫌われていたことも知り、ショックを受けたそうです)
有名にはなったものの、人気はなく、仕事のオファーも全くなく、悶々とした日々を送ったのだそうです。
関根勤は27歳から小堺一機と活動するようになると、28歳からは「コサラビ(コサキン)」として人気を博していた
そんな中、1980年(関根勤さん27歳)、関根勤さんと同じ「ぎんざNOW!」の「しろうとコメディアン道場」の17代チャンピオンになった、2歳年下の小堺一機さんが、関根勤さんの所属事務所「浅井企画」に入ったそうで、
もともと仲が良かったという関根勤さんと小堺一機さんが一緒に遊んでいる様子を見て、「このコンビは面白い」と思った放送作家の大岩賞介さんに、
若い芸人が仲良くしているだけじゃダメだよ。せっかくだからコンビでも組みなよ
と、アドバイスされ、
関根勤さんと小堺一機さんは、1981年6月から、毎月2回土曜日に、下北沢のライブハウス「下北沢スーパーマーケット」を借りて、2人でコントライブ「土曜の夜にしゃらくせえ」をスタート。
(このライブは1982年1月まで続いたそうです)
そして、1981年10月からは、TBSラジオでの帯番組「夜はともだち コサラビ絶好調!」がスタートすると、1994年には「コサキンDEワァオ!」に改名、2009年3月には、一旦、放送が終了するのですが、
2023年4月には、「コサキン ポッドキャストDEワァオ!」として復帰し、2026年現在も続いています。
(「夜はともだち コサラビ絶好調!」は回を重ねるごとに人気が増していったそうですが、当初は、伸び悩んでいたことから、関根勤さんは、なんとかやめたいと思っていたそうです)
ちなみに、関根勤さんは、小堺一機さんのことを、
彼は頭の回転が速くて、相当の切れ者。彼と出会えて本当によかった。一人じゃここまでこられなかったと思います。
小堺一機くんに出会わなければ今の自分はない。親友でありライバルであり、パートナーであり、恩人である
などと、語っています。
関根勤は29歳の時に「欽ちゃんのどこまでやるの!」の「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」で人気を博していた
また、関根勤さんは、1982年(29歳)には、同じ「浅井企画」の先輩・萩本欽一さんにコント番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」に呼ばれ、先に呼ばれていた小堺一機さんとコンビで出演するようになっているのですが、
その後、「欽ちゃんの週刊欽曜日」で「泣いちっちマイ・ハート」を唄う風見慎吾(現・風見しんご)さんのバックダンサーを経て、
「欽ちゃんのどこまでやるの!」のミニコーナー「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」に出演すると、一躍、人気者になったのでした。
(ちなみに、これらの番組では、「コサラビ」や「コサキン」とは名乗っていません)

「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」より。関根勤さん(左)と小堺一機さん(右)。
関根勤は32歳の時に「笑っていいとも!」で全国的な人気を博していた
その後、関根勤さんは、1985年4月、31歳の時には、「森田一義アワー 笑っていいとも!」にピンでレギュラー出演すると、
有名人に顔が似ている身内や友人を紹介するコーナー「身内自慢コンテスト」の司会を担当するなど、全国的な人気を博しています。
(関根勤さんは、「笑っていいとも!」には、2014年3月の番組終了時まで、29年間に渡って出演しているのですが、これは、司会のタモリさんを除いて歴代最長です)

「身内自慢コンテスト」より。左端が関根勤さん。
関根勤は34歳の時には小堺一機との初の冠番組「コサキン勝手にごっこ」で「コサキン」として全国的な人気を博していた
また、関根勤さんは、同年(1985年)には、小堺一機さん主演の舞台「小堺クンのおすましでSHOW」に出演すると、
1987年(34歳)には、小堺一機さんとの初の冠番組「コサキン勝手にごっこ」がスタートし、以降、「コサキン」として全国的な人気を獲得したのでした。

「コサキン勝手にごっこ」より。小堺一機さん(左)と関根勤さん(右)。
関根勤は35歳の時に演劇集団「カンコンキンシアター」を旗揚げしていた
その後、関根勤さんは、1989年、35歳の時には、演劇集団「カンコンキンシアター」を旗揚げし、活動の場をテレビ以外にも広げており、
関根勤さんは、
(「カンコンキンシアター」を立ち上げた頃あたりから)楽しくなってきました。それまでは、「結果を残さなきゃ!」というプレッシャーがあって、「生き残っていかなければいけない」というサバイバル感があったんです。
と、語っています。
(ちなみに、「カンコンキン」は「関根勤」を全て音読みしたものだそうです)

「カンコンキンシアター」より。
関根勤の現在の活動は?
そんな関根勤さんは、現在も、小堺一機さんとのインターネットラジオ「コサキン ポッドキャストDEワァオ!」や、自ら座長を務める「カンコンキンシアター」の活動を継続するほか、ラジオ番組「シン・ラジオ -ヒューマニスタは、かく語りき-」のパーソナリティーも務めています。
また、自身のYouTubeチャンネル「関根勤チャンネル」も開設し、健康に関する話題、自身の経験によるエピソードなどを積極的に発信しており、2026年7月24日には、初のYouTubeオフ会を開催するなど、現在も、精力的に活動中です。
「関根勤の師匠・萩本欽一との出会いは?カマキリで嫌われ7年拒絶されていた!」に続く
大滝秀治・関根勤のショートコント
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1982年、29歳の時、「欽ちゃんのどこまでやるの!」に出演すると、「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」で一躍人気を博した、関根勤(せきね つとむ)さんですが、 所属事務所「浅井企画」に入ってから7年もの間、先輩の萩本欽 …








