1985年、27歳の時、「放課後」で「第31回江戸川乱歩賞」を受賞し作家デビューすると、以降、「名探偵の掟」「秘密」「白夜行」などを次々と発表し、
2006年に発表した「容疑者Xの献身」では「第134回 直木賞」を受賞し、ミステリー作家としての地位を確立した、東野圭吾(ひがしの けいご)さん。
そんな東野圭吾さんは、幼少期は、読書が嫌いで、テレビアニメを見て夢中になり、自分でもイラストを描くようになったほか、高校時代には、文化祭で映画を作ったことがきっかけで、映画監督に憧れていた時期もあったようですが、
高校2年生の時、「アルキメデスは手を汚さない」を読んだことがきっかけで、推理小説の面白さに目覚めると、推理小説を読み漁る一方、自分でも書き始めたといいます。
今回は、東野圭吾さんの、幼少期(生い立ち)から会社員時代までを時系列でご紹介します。

東野圭吾のプロフィール
東野圭吾さんは、1958年2月4日生まれ、
大阪府大阪市生野区生まれ、
(本籍は東区玉造(現・中央区玉造))
身長180センチ、
血液型はB型、
学歴は、
大阪市立小路小学校
⇒大阪市立東生野中学校
⇒大阪府立阪南高等学校
⇒大阪府立大学工学部電気工学科卒業
趣味は、スノーボード、
だそうです。
東野圭吾の本名は?
ちなみに、「東野圭吾(ひがしの けいご)」は本名だそうですが、もともと「東野」は「とうの」と読んでいたのを、東野圭吾さんのお父さんが「ひがしの」に読み方を変えたといいます。
お父さんが、「ひがしの」に変更した理由は、「ひがしの」のほうが「とうの」よりも、五十音順(アイウエオ順)やイロハ順で「名前が後ろの方にくる」からということだったそうですが・・・
なぜ後ろの方がいいのかは不明です。
東野圭吾が小学1、2年生の時はテレビアニメ(「鉄人28号」「鉄腕アトム」)に夢中だった
さておき、東野圭吾さんは、時計メガネ貴金属の小売店を営む時計職人のお父さんのもと、3人姉弟(姉2人)の末っ子として誕生すると、
小学1、2年生の頃は、「鉄人28号」や「鉄腕アトム」などのテレビアニメを夢中で見ていたそうで、
子供の頃、読書が大嫌いだったという東野さんは、お姉さんたちが世界児童文学全集などを読んでいるのを見て、
あんなものどこが面白いんだ
と、バカにしていたといいます。
東野圭吾は中学生の時イラストレーターになりたいと思っていた
そんな東野圭吾さんは、小学生の時、「鉄人28号」や「鉄腕アトム」などのアニメに影響を受け、自ら漫画を書くようになったそうで、
中学校のテストでは、早々に解答を諦め、答案用紙の裏にイラストを描いて時間をつぶしていたそうですが、
ある時、その落書きが先生に見つかると、
怒られるどころか、
うまいもんやなあ。
と、感心されたそうで、
この一言がきっかけで、東野圭吾さんは、本気でイラストレーターになりたいと思い、美術の先生に相談したこともあったそうです。
(東野圭吾さんの中学時代の成績は、オール3だったそうです)
東野圭吾は高校時代に文化祭で映画を作っていた
また、東野圭吾さんは、高校生の時には、文化祭の出し物でクラスで映画を作ることになったそうで、人気ドラマ「必殺仕置人」をパロディ化したシナリオを書くことになったそうですが、
(大阪弁と低俗なギャグ満載のシナリオだったそうです)
いざ撮影に入ると、出演者の演技力がまるでなく、シリアスな場面でも笑ってしまうほか、アフレコでも少し長い台詞になると、棒読み状態になってしまうなど、大苦戦。
ただ、なぜか、女子生徒が嫌がっていた下品な台詞だけは妙に臨場感があったそうで、特に「インキンタムシッ」と罵るシーンは、何度聞いても笑えるほど、強烈なインパクトがあったそうです。
そして、完成した作品は、アクションシーンにも下ネタが多く、特にクライマックスでは下ネタ全開のアクションシーンがあるなど、文化祭には不釣り合いなほど下品な内容だったそうで、
東野圭吾さん自身も、試写を見て複雑な心境になったそうですが・・・
いざ上映されると事態は一変。
狙ったギャグは滑ったものの、下手な演技と台詞の間の悪さが不思議な味を生み出し、全く予想していなかったシーンで爆笑が起きたりしたほか、
心配されたラストシーンでは、爆笑に加え、拍手まで巻き起こり、映画は大盛況のうちに幕を閉じたのだそうです。
(ちなみに、東野圭吾さんは、2年目の文化祭でも、シナリオ、キャスト、衣装やロケ地に至るまで徹底的にこだわり、クラス一丸となって、妥協せずに本格的な作品を作り上げたそうですが、カメラ担当が完全な素人だったため、全体の半分近くの映像がピンぼけしていたそうで、大失敗に終わってしまったのだそうです)
東野圭吾は高校2年生の時に「アルキメデスは手を汚さない」を読み推理小説に夢中になっていた
そんな東野圭吾さんは、将来は、映画監督になりたいと思っていた時期もあったそうですが、
1974年、高校2年生の時、偶然手にした小峰元氏の推理小説で江戸川乱歩賞受賞作品「アルキメデスは手を汚さない」を読むと、主人公が自分と同じ高校生だったことで、推理小説に興味を持ったそうで、
東野圭吾さんは、
この小説との出会いが、本嫌いだったバカ高校生の運命を変えた
と、以降、推理小説を読み漁るようになり、
特に、松本清張さんの作品に夢中になったのだそうです。
1953年、「或る『小倉日記』伝」で「第28回芥川龍之介賞」を受賞し、その後、「点と線」「眼の壁」で推理小説ブームを巻き起こした、作家の松本清張(まつもと せいちょう)さん。推理小説以外にも、現代小説、ノンフィクション、 …
東野圭吾は高校2年生の時に推理小説「アンドロイドは警告する」を書き上げるも現在まで発表されていない
また、東野圭吾さんは、「江戸川乱歩賞」の存在を知り、やがて、自分でも推理小説を書くようになったそうで、
高校2年生の時に、「アンドロイドは警告する」という小説を書き上げたそうですが、2026年現在に至るまで、発表されておらず、内容も公開されていません。
(エッセイ「あの頃ぼくらはアホでした」で大まかな背景が触れられています)
東野圭吾は高校2年生の時に2作目の推理小説「スフィンクスの積木」を書き始めるもそれほど夢中になれなかった
そして、東野圭吾さんは、「アンドロイドは警告する」の後、2作目として、「スフィンクスの積木」という小説も書き始めたそうですが、それほど夢中になることができなかったそうで、
1978年、大学生の時に、ようやく完成させたものの、友人たちからの評判はさほど良くなかったそうです。
(この「スフィンクスの積木」も、エッセイ「あの頃ぼくらはアホでした」で、触れられているのですが、2026年現在、発表されていません)
東野圭吾は大学卒業後は日本電装株式会社(現・デンソー)にエンジニアとして入社していた
そんな東野圭吾さんは、高校生の頃、ぼんやりと、「小説家になりたい」と思うようになっていたそうですが、
高校卒業後は、1年間の浪人生活を経て、大阪府立大学工学部電気工学科に進学すると、1981年、大学卒業後は、日本電装株式会社(現「デンソー」)にエンジニアとして入社したそうです。
東野圭吾は25歳、26歳の時、会社勤務のかたわら、「人形たちの家」「魔球」で「江戸川乱歩賞」に応募していた
ただ、会社員生活のかたわら、推理小説は書き続けていたそうで、
1983年、25歳の時には、「人形たちの家」で「第29回江戸川乱歩賞」に応募すると、二次予選通過、
(「人形たちの家」は、2026年現在、発表されていません)
1984年、26歳の時には、「魔球」で、再度「第30回江戸川乱歩賞」に応募すると、最終選考まで残ったそうです。
予定に続く
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