1969年、19歳の時に、「ダニエル・モナムール」で歌手デビューすると、以降、セクシー歌手として人気を博し、近年は、タレント・辺見えみりさんのお母さんとしても有名な、辺見マリ(へんみ まり)さん。今回は、そんな辺見さんの生い立ちをご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

辺見さんは、1950年10月5日生まれ、
京都府京都市のご出身(神奈川県逗子市生まれ)、

身長162センチ、

本名は、逸見万里(へんみ まり)、

学歴は、
錦林小学校
⇒平安女学院中学校
⇒平安女学院高等学校卒業

趣味は、
ゴルフ、釣り、映画鑑賞、

特技は、
クラシックバレエ、ジャズダンス、フラメンコ、

だそうです。


幼い頃の辺見さん。

幼少期に両親が離婚

辺見さんは、軍人(陸軍将校)でスペイン系アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんのもと、神奈川県逗子市で誕生するのですが、マリさんが生後2ヶ月の時、お父さんがケンカで大ケガをし、その治療のためにアメリカに帰国したことで、両親はそのまま離婚。

その後、マリさんが2歳の時、お母さんが故郷の京都に連れて帰り、女手ひとつで育てられます。

そして、マリさんが3歳の時には、お母さんが、京都のバーで流しの歌手をしていた、逸見覃(へんみ ひろし)さんと知り合い、3人で一緒に暮らすようになったそうです。

母親の再婚相手にとても可愛がられ実の父親だと思っていた

ところで、流しの歌手だった覃さんは、毎日、夕方になると仕事に出かけていたのですが、ある日の夕方、いつものように仕事に出かけようとすると、

幼い辺見さんが、

お父ちゃん早く帰ってきてな

と、泣きながら訴えたそうです。

それでも、覃さんは仕方なく仕事に出かけたそうですが、どうしても辺見さんの泣き顔が気になり、すぐに家に帰ってくると、辺見さんがとても嬉しい顔をしたそうで、

本当にあの時のマリは可愛くてね。俺は一生この子の面倒を見るって誓ったんだ

と、お母さんと結婚することを決意。

お母さんは覃さんと再婚し、覃さんが辺見さんの新しいお父さんになったのでした。

ちなみに、辺見さんは、覃さんが帰って来てくれた時のことを、

不思議と私もこの光景だけは鮮明に覚えています。家の玄関でグズっていた私に向かって、真っ赤な西日を背にした父のシルエットが近づいてくる。あの日に見た光景が、私の「家族」や「幸せ」の原風景になっているような気がします。

と、語っておられるのですが、覃さんは、その後、一生懸命働いた稼ぎを、辺見さんに惜しみなく注いでくれたそうで、辺見さんは、そんな両親の愛情を一心に受け、決して裕福ではないものの、とても幸せな子ども時代を過ごされたのだそうです。

(そんなことから、辺見さんは、高校2年生まで、覃さんを本当のお父さんだと思って育ったそうです)


逸見覃さんと幼い頃の辺見さん。

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小学3年生の時の将来の夢はバレリーナ

そんな中、辺見さんは4歳の時、若い頃にバレエをやっていて、「芸は身を助ける」と考えたお母さんにバレエを習わされ、当初は無理矢理バレエ教室に連れて行かれていたそうですが、みるみるうちに上達すると、すぐにバレエが好きになったそうで、

その後、小学校に入っても、学校があまり好きではなかったこともあり、

早くバレエ教室に行きたいなあ

と、バレエ教室に行くことが待ち遠しくてたまらなかったそうです。

そして、小学3年生の頃には、将来、バレリーナになることを夢見るようになったそうですが、

辺見さんは、バレエが好きだった理由について、

学校では、めったに褒められることがなかったんですが、バレエ教室ではいつも褒めてもらえたから(笑)

それにバレエは練習すればしただけ上手に踊れるようになるし、踊りがうまくなれば舞台でもいい役がもらえる。子供心にハッキリと成果が見えるところもよかったのかもしれません。

と、明かされています。

「辺見マリは中3の時に布施明出演イベントでスカウトされていた!」に続く

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