1973年、「劇団四季」のミュージカル「アプローズ」で注目を集めると、翌年の1974年には、主演舞台「ショーガール」が観客動員数60万人を超す大ヒットを記録するほか、1982年には、五木ひろしさんとのデュエット曲「居酒屋」が大ヒットを記録し、女優としても歌手としてもその人気を不動のものにされた、木の実ナナ(きのみ なな)さん。今回は、そんな木の実さんの生い立ちをご紹介します。

Sponsored Link

年齢は?出身は?身長は?

木の実さんは、1946年7月11日生まれ、
東京都向島区寺島町(現・東京都墨田区向島)のご出身、

身長160センチ、

血液型はB型、

学歴は、
墨田区立第一寺島小学校
⇒墨田区立寺島中学校
⇒城西高校中退

趣味は、
フラメンコ、剣道、スキューバダイビング、

特技は、三味線だそうです。


2歳の時の木の実さん。

本名は?芸名の由来は?

ちなみに、木の実さんの本名は、「池田鞠子(いけだ まりこ)」なのですが、1962年、「東京キカンボ娘」でレコードデビューした際、この曲を作詞・作曲した菊村紀彦氏が、「歌だけでなく、踊りも芝居もできる人になってほしい」との思いを込め、漢字、ひらがな、カタカナの3つがそろった「木の実ナナ」と名付けられたそうです。

とはいえ、木の実さんは、当初、この、どこまでが名字でどこから名前か分からない芸名を、「変な名前だなあ」と気に入らなかったそうです。(今では大好きだそうです)

もう一つの芸名の由来「着の身着のまま」は本当か?

また、木の実さんは、雑誌のインタビューで、この「木の実ナナ」という芸名には、

着の身(木の実)着のままでファンのなかに飛び込んでいく

そしてそこで「ラッキーセブン(ナナ)=幸せをつかんでいく」

という、もう一つの意味があることを明かされていたことがあったのですが、

別のインタビューでは、当時、「木の実」を「このみ」と呼ばれることがよくあったため、木の実さんが、「着の身着のままの「き」です」と言っていたところ、これが芸名の由来だと勘違いされて広まったと、真逆のことをおっしゃっていたこともあり、その真意はよく分かりませんが、現在、木の実さんが、この名前を大変気に入っていることは間違いないようです。

未熟児だった

さて、木の実さんは、トランペット奏者のお父さんと、ショーダンサーをしていたお母さんのもと、「鳩の街」と呼ばれた赤線地帯(現在でいう歓楽街)で、2人姉妹の長女として誕生するのですが、

(木の実さんが誕生した時、お父さんは19歳、お母さんは20歳という若さだったそうです)

「オギャー」と泣き声を上げなかったことから(未熟児だったそうです)、医師は半ばあきらめながら、産後のお母さんの面倒を見ていたそうです。

しかし、しばらくすると、蚊の鳴くような声で「……んぎゃ」と言う声が、かすかに聞こえたきたそうで、お母さんたちは、「キャー、生きてる~!」と大騒ぎになったのだそうです。

幼少期は病弱だった

その後、木の実さんは、近所の人たちもびっくりするほど、日に日に成長していったそうですが、それでも、体が弱く、3歳まで歩けなかったそうです。

また、小学校時代も、運動会や遠足ではいつも熱を出していたため、お母さんに、「少し体を動かしたほうがいい」と勧められ、5歳の時にバレエを習い始めたそうです。

Sponsored Link

幼少期から歌と踊りが上手だった

ただ、木の実さんは、赤ちゃんの頃には、ラジオから流れる、美空ひばりさんの歌や広沢虎造さんの浪曲を子守り歌代わりとして眠り、

物心ついた頃には、いつも、赤線のおねえさんの部屋の蓄音機から流れてくるジャズを耳にするなど、音楽的に恵まれた環境で育ったそうで、

お母さんが振り付けした美空ひばりさんの歌で踊ったり、近所の大人たちの宴会によく呼ばれては歌を歌うなど、歌と踊りがとても上手な子どもだったことから、近所の大人たちのアイドル的な存在だったそうです。

「木の実ナナの幼少期は極貧のうえイジメられっ子だった!」に続く

幼少期の木の実さん。

Sponsored Link