ジャニーズ事務所の中で最も高い歌唱力を誇る、「V6」のリーダー、坂本昌行(さかもと まさゆき)さん。現在は、その歌唱力を活かし、「V6」の活動と並行して、主にミュージカルで活躍されています。


Sponsored Link

プロフィール!

坂本さんは、1971年7月24日生まれ、
東京都のご出身です。

身長175センチ、

靴のサイズは26.5センチ、

血液型はO型、

趣味は、
CADで建物づくり、

特技は、
ダンス、歌、料理、バレーボール、野球、

だそうです♪

ジャニーズ事務所へ入所

坂本さんは、高校生の時、
単調な生活に嫌気が差し、
芸能界入りを決意されたそうで、

メンズノンノや、様々な劇団、芸能事務所に、
履歴書を送られたのですが、全て不合格。

ただ、その中のひとつ、ジャニーズ事務所は、
半年後にオーディションを受け、見事合格。

こうして、1988年に、
ジャニーズ事務所に入所された坂本さんですが、

事務所に入ること自体が目的だったため、
その後のことは深く考えておらず、
最初の1ヶ月は、レッスンにも参加せずにいると、

ジャニー喜多川社長から、
電話で促され、レッスンに参加。

しかし、まったくついていけず、
その悔しさから、その後は、
熱心にレッスンに通うようになったそうです。

サラリーマンへ

ただ、20歳目前になると、
先の見えない現状に不安を感じたそうで、

坂本さんは、ジャニーズ事務所を辞めて、
サラリーマンになることを決意。

旅行会社に就職されると、満員電車に揺られて通勤し、
電話番やパソコンで資料を作る日々を、
送られたそうです。

坂本さんは、

会社主催の「ねるとんパーティー」の、
ツアコンをしたこともあります。

フリータイムになって別室にいたら、
男性の参加者が「何とかしてください」と言ってきた。

会場を見ると、男女とも分かれて話してる。
ゲームも用意していなかったから、
フルーツバスケットをやったんですが、
盛り上がらなかったなぁ。

スキーツアーの出発前、
雨がひどくて中止になったんです。

「なんで中止なんだ」と言われ、
天候不良で、と答えたら、「予測しとけ!」ってね。
30分くらい、とにかく謝るだけでしたね。

などと当時を振り返り、
サラリーマン時代の苦しさを明かしておられます。

芸能界復帰

そんなサラリーマン生活に疲れ始めた頃、
坂本さんは、営業中、電車の中で、
千葉へ向かう「KinKi Kids」のお二人に、
偶然、出会われます。

そして、お二人に、

今、坂本くんは何してんの?

と聞かれたそうですが、
坂本さんは、何も答えられなかったのでした。

その後、事務所の同期や後輩たちが、
活躍する姿をテレビで観て、

もう一度、芸能界に戻りたい。

と強く思われた坂本さんは、
TOKIO」の国分太一さんに電話をし、

戻りたい、申し訳ないけど、
間に入ってくれないか。

と、ジャニーさんに口を聞いてくれるようお願いすると、
国分さんは喜んで引き受けてくれ、

早速、翌日に、ジャニーさんから、

You、お仕事があるからおいで。

と、電話があったそうで、あっさりと、
ジャニーズ事務所に復帰することができたのでした。

(ちなみに、事務所に戻って最初の仕事は、
 事務所の野球大会のキャッチャーだったそうです。)

こうして、坂本さんは、
勤めていた旅行会社を退職され、

東山紀之さんの付き人から、
再スタートを切られたのでした。

「V6」でデビュー

それから3年ほど下積みを経た、
1995年9月、

「バレーボールワールドカップ」のイメージキャラクターとして、
「V6」が結成されると、坂本さんは、メンバーに抜擢。

同年11月には、ファーストシングル、
「MUSIC FOR THE PEOPLE」で、
CDデビューを果たされています。

「MUSIC FOR THE PEOPLE」

リーダーに抜擢

また、坂本さんは、
24歳と最年長だったこともあり、
リーダーに抜擢されています。

ただ、当初は、
個性の強いメンバーをまとめるのに、
とても苦労されたそうで、

初めはバラバラだった。
話を聞かなかったのは(森田)剛。
最初は言っても何も反応が返ってこなかった。

でもあるとき強く言ったら、
すごい目でにらんできた。

真っ正面から向かってきてくれた、
と感じて、うれしかった。
それからいろいろな話をするようになりました。

と、振り返っておられました。

そして、坂本さんが、
みんなをまとめるのに気をつけたのは、
たったひとつのことだけだそうで、

あいさつだけですね。
この6人はまとめようと思っても、
まとまらないなと思った。

むしろ僕の言葉でまとまるようでは、
つまらないグループになっちゃうなと。

おっしゃっていました。

坂本さんがリーダーに抜擢されたのは、
ただ、最年長だっただけではなく、

サラリーマン時代に培った、
様々な経験を買われたのかもしれませんね。

ちなみに、「TOKIO」のリーダー、
城島茂さんは、そんな坂本さんを、
「理想のリーダー像」と称えられています。

Sponsored Link

森田剛

そんな坂本さんが、「V6」結成当初、
最もてこずったのは、森田剛さんなのですが、

坂本さんは、2016年、
ご自身初となるワンマンステージ、
「ONE MAN STANDING」出演にあたり、

森田さんに相談したことを、
明かされています。

森田さんは、2008年
「GO MORITA LIVE 2008 PAINT IT BLACK」を開催し、

「V6」の中で、唯一、
ソロコンサートを成功されていたことから、
感想や手応えなどを尋ねたそうですが、

正直もう1回やりたいかと言われたらわからない。

との返事が。ただ、その後、

・・・けど

と続けられた森田さんの言葉を、
坂本さんは、いろいろ考えられたそうで、

大変だけど、それと同じくらい、
得るものがあるということだろうな、
と思ってコンサートに臨みました。

と、おっしゃっていました。

あまり多くを語らない森田さんですが、
少ない言葉で通じ合える、
お二人の絆の強さを感じるエピソードですね。

さて、いかがでしたでしょうか?

事務所を辞め、一旦はサラリーマンになるも、
再び戻られるという稀有な経歴を持つ坂本さん。

「ジャニーズJr.」時代には、レッスン中、
先生に「帰れ」と怒られ、本当に帰ってしまったり、

先輩のコンサートでステージを横切り、
「誰だ、今やったの!」
と激怒したジャニーさんに向かって、
「俺だけど、何!!」と怒鳴り返すなど、

数々のやんちゃエピソードもお持ちなのですが、

そんなところも、坂本さんの大きな魅力となって、
人を引きつけるのでしょう。

これからも、「V6」として、ソロとして、
様々な方面でのご活躍を期待したいですね。

応援しています!!

https://www.youtube.com/watch?v=2sYRGfZr_N0

Sponsored Link