1951年、19歳の時、「我が家は楽し」で映画デビューを果たすと、あっという間にスター女優に駆け上った、岸恵子(きし けいこ)さんですが、人気絶頂の1957年、25歳の時、フランス人映画監督イヴ・シャンピさんと電撃結婚し、世間を驚かせます。
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夫はフランス人映画監督イヴ・シャンピ
イギリス人監督デヴィッド・リーンさんの新作映画「風を知らない」への出演は叶わなかった岸さんですが、1956年、日本・フランス合作映画「忘れえぬ慕情」に出演されると、この映画の出演がきっかけで知り合われた、フランス人映画監督イヴ・シャンピさんと、翌年の1957年、25歳の時に電撃結婚し、世間を驚かせます。
イヴ・シャンピさんと岸さん。
岸さんによると、大スターとして扱われていた自分を、イヴ・シャンピさんだけが普通の女の子として接してくれたことから、次第に惹かれていったそうで、
後に、その時の気持ちを、
心に春風が入ってきた
と表現されています。
ジャン・コクトー、三島由紀夫らと親交を持つ
そんな岸さんは、結婚後はパリに住み、フランスと日本を往復しながら女優活動を続けられると、ジャン=ポール・サルトル氏、シモーヌ・ド・ボーヴォワール氏、アンドレ・マルロー氏、ジャン・コクトー氏ら、フランスの著名人とも親交を持ち、
1961年には、ジャン・コクトー氏演出の舞台で、パリのアリアンス・フランセーズ劇場で上演された、「濡れ衣の妻」に出演。
当時の日本は、民間の海外旅行が禁じられていた時代だったことから、この舞台を観た日本人はわずか5人だけだったそうですが、その中の一人である、作家の三島由紀夫さんは、楽屋に岸さんとジャン・コクトーを訪ね、演技や演出の素晴らしさを涙ながらに褒め称えたといいます。
「濡れ衣の妻」より。
娘出産も離婚
そして、1963年、31歳の時には、娘の「デルフィーヌ=麻衣子・シャンピ」さんを出産し、その後は、公私共に充実した生活を送られていると思われていたのですが・・・
(左から)夫のイヴ・シャンピさん、娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピさん、岸さん。
1975年、43歳の時に離婚。
岸さんは、著書「ベラルーシの林檎」の中で、
夫と私を離婚に追い込むために、相手の女性が弄したあの手この手は、決して美しいとは言えないものであったが、それは私側の理屈であった。
妻子ある相手に万難を排して近付き、思いを実らせた行為こそ、もしかしたら「美」であり「善」であったかも知れない。日本人の得意とする「潔さ」などを引っ提げて、さっさと身を引いた私の方が苦労無しの腰砕けなのだった。
離婚の話をしている時、夫は、「僕は君の日本に、到底勝てないと思った・・・」とぽつりと言った。私の一方的な我儘で長期不在をしていた時、彼が陥った深い孤独感を私はその時理解した。
と、綴られています。
「岸惠子は80代で恋愛小説「わりなき恋」を執筆しベストセラーになっていた!」に続く