1964年、「第4期東宝ニューフェイス」として東宝に入社すると、映画「日本のいちばん長い日」、テレビドラマ「ハングマン」シリーズで人気を博し、1978年には、歌手としても「時には娼婦のように」が大ヒットした、黒沢年雄(くろさわ としお)さんですが、
1997年頃には、これまでの二枚目路線から一転、「オウミ住宅」のCMでコミカルなダンスを披露し、関西を中心に再ブレイクを果たしています。
プロフィール
黒沢年雄さんは、1944年2月4日生まれ、
神奈川県横浜市西区のご出身です。
身長175センチ、
体重65キロ、
胸囲96センチ、
胴囲80センチ、
靴のサイズは25センチ、
血液型はAB型、
出身高校は、日大横浜高校、
趣味は、
読書、スポーツ(ゴルフ、野球、テニス)、車、旅行、
ちなみに、本名は「黒沢年男」で、旧芸名も同じでしたが、2000年に、「黒沢年雄」に改名しています。
1964年、映画「女体」で俳優デビューし、1966年には、歌手としてもデビューすると、「やすらぎ」「時には娼婦のように」「酒とバラの日々」が大ヒットし、以降、数多くのテレビドラマ、映画、舞台、CM、バラエティなどに出演し …
東宝映画第4期ニューフェイスとして
黒沢年雄さんは、有名になって金持ちになりたいという理由から、高校卒業後は、キャバレーのバンドマン、工場作業員、訪問販売セールスマン(寝具・生命保険・自動車)、ウェイター、陸送の運転手などの職を転々しながら、俳優を目指し、
1964年、「東宝映画第4期ニューフェイス」に応募すると、面接を受ける日、わざと遅刻したうえ、
俺を取らなかったら映画界の損失になります!
と、豪語したそうで、
そのインパクトがよかったのか、応募者の中で、黒沢年男さんたった1人が合格し、東宝に入社。
同年、「ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」で映画デビューを果たすと、
「ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」より。(左から)美空ひばりさん、雪村いづみさん、江利チエミさん。
以降、岡本喜八さん、福田純さん、西村潔さん、松林宗恵さんなどの作品に数多く出演し、人気を博します。
「日本のいちばん長い日」「ハングマン」などで人気を博す
ちなみに、この頃の黒沢年雄さんは、
- 1967年「日本のいちばん長い日」
「日本のいちばん長い日」より。高橋悦史さんと黒沢年雄さん。 - 1969年「死ぬにはまだ早い」
- 1970年「野獣都市」
- 1970年「激動の昭和史 軍閥」
- 1970年「白昼の襲撃」
などの、戦争もの、ハードボイルド、サスペンスの映画に、真面目一途な青年の役で数多く出演し、
テレビドラマでも、1980年~1987年、「ハングマン」シリーズの日下部孝介役など、シリアスな役柄で人気を博していたのですが・・・
1964年、映画「女体」で俳優デビューすると、1967年には、映画「日本のいちばん長い日」で注目を集め、その後は、東宝のアクションスターとして人気を博し、以降、数多くの映画やテレビドラマに出演するほか、歌手、タレントとし …
「ハングマン」より。(左から)黒沢年雄さん、夏樹陽子さん、植木等さん。
「オウミ住宅」のCMでブレイク!
1997年頃に出演した、滋賀県にある住宅関連企業「オウミ住宅」のCMは、一転、作業着を着た黒沢年雄さんが、パンチみつおさんとともに、音楽に合わせてコミカルなダンスを踊られ、大きな話題に。
楽しそうに踊っている黒沢年雄さんですが、黒沢年雄さんは、このコミカルなCM出演を、引き受けたことについて、
自分には真面目な役が多いがあれは本来の自分でない、一度こういうはじけた役をしてみたかったんだ。
と、明かしており、本当に楽しかったようです。
関西で引っ張りだこに
ちなみに、黒沢年雄さん出演の経済効果は絶大で、40億円だった「オウミ住宅」の年間売上は、翌年には60億円へと大幅に伸び、2005年には100億円を突破したそうで、黒沢年雄さんは関西で引っ張りだこに。
こうして、黒沢年雄さんは、このCMをきっかけに、トーク番組やバラエティ番組に数多く出演するようになり、本来の明るくお茶目なキャラをふんだんに披露したのでした。
また、このCM、ここ10年ほどは放送されていなかったそうですが、2017年には再び放映されるようになったそうで、
黒沢年雄さんは、自身のブログで、
僕が作業服を着て、音楽に乗って踊る、コケティシュなCMで、10年位前まで、関西地方で朝から晩まで頻繁にテレビで放映され、関西地方で大評判になり、僕自身も準レギュラー週3本を持つ程でした。
この数年は放映されませんでしたが、その間も僕は何のお役にも立てず心苦しかったにも関わらず、契約を継続して頂き、本当に有り難かったです…それが最近CMが再開されました。
ブレークしてから10年位、間が空きましたが、若い人には、新鮮に映るかも知れません。僕自身にも、関西地方の方々から、再確認の連絡が入り始めて、評判いいそうです。一生懸命生きてれば、人は必ず評価してくれます。
オウミ住宅のオーナーには感謝の気持ちで一杯です。有り難い僕の人生です。
と、綴っています。
がん
ところで、黒沢年雄さんを「がん」で、多くの方が検索されています。
というのも、黒沢年雄さんは、1989年(45歳)頃から血便が出るようになり、1992年(48歳)のお正月のハワイ旅行中に用を足した際には、血液が大量に出たそうで、帰国後、検査を受けると、S状結腸にポリープができ、その上層部ががん化していることが判明。
内視鏡でポリープを切除したものの、ポリープが予想以上に大きかったことから、転移の可能性を考えて開腹手術をし、ポリープ周辺の腸管とリンパ節を切除したのだそうです。
また、その後も、
- 2008年には膀胱がん
- 2013年には食道がんと胃がん
が判明し、度々手術を繰り返したのだそうです。
ただ、当の黒沢年雄さんは、
がんで立ち直るたびに元気になり、生きる自信を持てるようになった。それは〝つらい〟〝苦しい〟を楽しんで生きてきた、ご褒美だと思っている。
と、前向きに語っています。
(黒沢年男さんのトレードマークのニット帽は、がんとの闘いを決意して、頭を丸めたことから、かぶり始めたのだそうです)
近年は、講演会、バラエティ番組への出演など幅広く活動している、黒沢年雄(くろさわ としお)さんですが、実は、これまで、大腸ガン、膀胱ガン、食道ガン、胃ガンと4つのガンに罹患し、合計8回もの手術を受けていたといいます。 今 …
妻は?娘は?
そんな黒沢年雄さんは、1976年にモデルの街田リーヌ(本名は黒沢街子)さんと結婚しています。
新婚時代の街田リーヌさんと黒沢年雄さん。
馴れ初めなど詳しいことは分かりませんでしたが、黒沢年雄さんの猛アタックの末、交際、結婚に至ったそうで、翌年の1977年には、娘のレイラ(本名は裕美)さんが誕生しています。
ちなみに、レイラさんは、「三井万裕美」名義で女優デビューすると、その後、アメリカに留学(演技の勉強)し、
現地でアメリカ人と結婚し、現在もロサンゼルスで女優を続けているとのことです。
若い頃は、”第二の三船敏郎“として売り出され、ハードボイルド路線の映画でアクションスターとして活躍し、”結婚したい独身男性ナンバーワン”にも選ばれた、黒沢年雄(くろさわ と …
黒沢レイラさん。
さて、いかがでしたでしょうか?
実は、16歳の時、まだ40歳だったお母さんをガンで亡くしている黒沢年雄さん。
そんな黒沢年雄さんは、自身も48歳から、度重なるガンと闘うも、信じられないくらい、いつも明るい笑顔が印象的ですが、
きっと、そんな黒沢年雄さんの存在は病で苦しむ人を大きく励ましていることでしょう。
体調には気をつけて、これからも、トーク番組やバラエティ番組で元気な姿を見せてほしいですね。
応援しています!!