歯科医を目指して浪人中の1969年、「ザ・フォーク・クルセダーズ」のデビュー曲、「帰って来たヨッパライ」を聴き、音楽に転向することを決意した井上陽水(いのうえ ようすい)さんは、1969年4月、RKBラジオ番組「スマッシュ!!11」の視聴者が作った音楽を流すコーナーに、自作曲「カンドレ・マンドレ」を持ち込まれると、見事採用され、放送後は多数のリクエストを集めます。そして、同年6月には、RKBからホリプロを紹介され、上京後するのですが・・・
プロフィール!
井上さんは、1948年8月30日生まれ、
福岡県嘉穂郡幸袋町(現在の福岡県飯塚市幸袋)生まれ、
福岡県田川郡糸田町育ち、
血液型はAB型、
出身高校は、西田川高校、
本名は、
井上陽水(いのうえ あきみ)、
旧芸名は、
アンドレ・カンドレ、
だそうです♪
幼い頃から歌の才能を発揮
井上さんは、お父さんが歯科医院を開業されており、
幼い頃から家業を継ぐべく英才教育を施されていたのですが、
9~10歳くらいの時に、町内旅行の貸切りバスの中で、
美空ひばりさんの歌を歌ったところ、うまいと褒められたことから、
人前で称賛されることの喜びを感じると同時に、
ご自身の美声も意識されたそうです。
ビートルズとの出会い
そんな井上さんは、中学に入学すると、
8歳年上のお姉さんの影響で、
プラターズやエルヴィス・プレスリーなどの洋楽を聴くようになり、
ヒットパレード系のラジオに夢中になるのですが、
1963年、中学3年生の時、ラジオ番組で、
ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」
を初めて聴くと、衝撃を受け、
以降、一日中、ビートルズのレコードを聴くなど、
ビートルズに熱中していきます。
そして、高校入学後は、ますます、ビートルズ熱がエスカレートし、
周りからは、ビートルズ狂いと呼ばれるほどになったそうで、
一日中、仲間たちとビートルズを歌い、
休日には当時出始めたオープンリールのテープレコーダーで、
自身の歌声を録音されるなど、ビートルズ漬けの生活を送られたのでした。
(そのうち、仲間内だけではなく、町内でも、
音楽狂として名が知られるようになったそうです♪)
「帰って来たヨッパライ」を聴いて音楽を志す
こうして、井上さんは、
1967年、九州歯科大学を受験するも不合格。
(井上さんいわく、失敗の原因は、
ビートルズ、女性、性的不安だったそうです)
翌年の1968年には、予備校に通い、
再び受験するも、またも不合格。
(井上さんいわく、今度の失敗の原因は、
ビートルズ、女性、パチンコ、マージャンだったそうです)
そして、二浪中の1969年、ラジオの深夜放送で聴いた、
「ザ・フォーク・クルセダーズ」の「帰って来たヨッパライ」が、
テープの高速回転のテクニックを使っていたことから、
ご自身も高校時代、歌を録音する際に、
早回しで遊んでいたことを思い出し、
「これなら自分にもできる」
と、思われると、
「音楽でひと山当てたい」
と考えるようになり、
見よう見まねでギターを始められたのでした。
(ちなみに、3度目の大学受験(1969年)も、当然のごとく不合格。
井上さんいわく、失敗の原因は「受験慣れ」だったそうです♪)
「カンドレ・マンドレ」
その後、1969年4月に、RKB毎日放送で、
ラジオ番組「スマッシュ!!11」が放送開始するのですが、
この番組には、視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、
井上さんは、自作曲「カンドレ・マンドレ」を、
自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)
して、4月16日にRKBに持ち込むと、見事採用されます。
(この時、井上さんは、芸名を「マンドレ」と考えていたのですが、
ディレクターの野見山実さんによって、「アンドレ・カンドレ」
に変えられています。)
すると、「カンドレ・マンドレ」は番組内で放送され、
数多くのリクエストを受けることに。
(ただ、後に井上さんが、「友人にリクエストのはがき百枚配った」
とおっしゃっていることから、リクエストの大半は、
井上さんが友人(主に浪人仲間)にハガキを配って、
リクエストを出すよう依頼したものだったようです。)
芸名「アンドレ・カンドレ」でデビュー
そして、放送後、RKBのスタッフからホリプロを紹介され、
同年6月、レコーディングのため上京することになると、
井上さんは、お父さんには、
「東京で勉強して大学入学を目指す。」
と伝え、上京。
同年9月1日には、芸名「アンドレ・カンドレ」として、
楽曲「カンドレ・マンドレ」でデビューを果されたのでした。
「カンドレ・マンドレ」
ただ、ほとんど注目されないまま、
(井上さん本人は、「大ヒット間違いなし!」
と確信されていたそうです)
続く、同年12月には、
「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」
「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」
1970年10月には、
「花にさえ、鳥にさえ」(松山猛さんと加藤和彦さんから楽曲提供)
「花にさえ、鳥にさえ」
をリリースするも、
これまた、鳴かず飛ばず。
こうして、「アンドレ・カンドレ」としての活動は、
シングル3枚で終わることとなったのでした。
「昔、大麻で逮捕されていた!傘がない!夢の中へ!氷の世界!」へ続く