主要メンバーが大量脱退し、存続の危機にひんした「碇矢長一とザ・ドリフターズ」ですが、いかりや長介(いかりや ちょうすけ)さんは、1964年、加藤茶さん、仲本工事さん、荒井注さん、高木ブーさんとともに新生「ザ・ドリフターズ」を結成。すると、1969年からスタートした「ザ・ドリフターズ」が主演のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」が最盛期には40% ~50%の高視聴率を記録。「お化け番組」「怪物番組」と呼ばれるほど一世を風靡したのでした。
新生「ザ・ドリフターズ」誕生
「碇矢長一とザ・ドリフターズ」がコミックバンドとして人気を博すも、
主要メンバーが脱退して窮地に立たされたいかりやさんは、
残留した加藤茶さんとともに新たなメンバー探しに奔走されると、
「クレージーウェスト」の元同僚であった、
仲本工事さん、荒井注さん、高木ブーさんを誘い、
1964年、新生「ザ・ドリフターズ」を再結成。
(左から)高木ブーさん、荒井注さん、いかりやさん、
加藤茶さん、仲本工事さん。
その後、営業に走り回る日々を送られると、
徐々にテレビ番組への出演も増加。
すると、いかりやさんは、コミックバンドというよりも、
ますます、ドタバタコントに傾倒していったのでした。
「8時だョ!全員集合」がスタート
そして、1969年には、
「ザ・ドリフターズ」主演のバラエティ番組
「8時だョ!全員集合」がスタートするのですが、
放送当初は、クイズやミニコーナーがメインのバラエティで、
裏番組「コント55号の世界は笑う」にはかなわず、
視聴率が伸び悩んだことから、コントでテコ入れを図ることに。
すると、いかりやさんの、
「やるなら、徹底した本物志向で、世界観を作り上げなきゃ」
との強い主張があり、
セットなどで多額の予算がかかるにもかかわらず、
その意見をプロデューサーが通してくれたそうで、
「ザ・ドリフターズ」は本格的に、
コントに挑むこととなったのでした。
実際、いかりやさんは、納得がいくまで
何度もリハーサルを繰り返していたそうで、
メンバーの仲本さんは、当時を振り返り、
生放送だから失敗が絶対にできないのはもちろんだけど、
アドリブも一切ダメ。だから稽古の時点で、
完璧な状態になるまで練習をする必要があったんだ。
筋書き通りに進めないと、カメラマンもどこを映したらいいか、
分からなくて困るから。すべて計算。計算されてない笑いは無かったよ。
それを作ってたのがいかりや(長介)さんだから、
いかりやさんの才能はスゴイよね。
と、明かされています。
また、いかりやさんは、5人それぞれの個性を活かすべく、
演出もすべてひとりで行っていたそうで、
そのせいか、上下関係がとても厳しく、
メンバー全員、いかりやさんには絶対服従。
打ち合わせの時は、いかりやさんが、
ベースとなるアイディアを思いつくまで、
メンバー、スタッフ全員が、シーンとした状況の中、
待っておられたそうです。
志村けん加入で爆発的な人気に
しかし、1974年、そんなワンマンないかりやさんに、
嫌気が差した荒井注さんが脱退。
ただ、その後、いかりやさんの付き人をしていた、
志村けんさんが加入すると、当初は、なかなか、
ウケなかった志村さんですが、
ある時、いかりやさんが、志村さんを、
「いなかもの」と馬鹿にしたことがきっかけで、
志村さんが「東村山音頭」
(志村さんの故郷で、静岡県東村山市のご当地ソング)
を歌うと、これが観客に大ウケ。
このことから、志村さんは、一躍人気者となって、
ドリフになくてはならない存在となり、
ヒゲダンス、最初はグー、早口言葉などで、
次々と観客を沸かせるようになります。
そして、志村さんだけではなく、
「あんたも好きねェ~」「ちょっとだけョ~」
と、突然ストリップを始める加藤さんと、
「やめなさい!」
とそれを止めるいかりやさんとの掛け合いや、
いかりやさん、高木さん、仲本さんが、
3人そろった「雷様」など、
お馴染みのコントが人気を博し、
「8時だョ!全員集合」は、
爆発的な人気を獲得することとなったのでした。
俳優としても「踊る大捜査線」で人気
そんな「8時だョ!全員集合」も、
時代の流れとともに視聴率が低下していき、
1985年に放送が終了すると、
いかりやさんは、
その後、俳優としての活動を開始。
1987年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」をはじめ、
火曜サスペンスや月曜ドラマスペシャルなどの、
2時間ドラマを中心に出演されると、
1997年「踊る大捜査線」での、
主人公の青島俊作巡査部長(織田裕二さん)を指導する、
叩き上げの老刑事、和久平八郎役が、
その渋い演技ではまり役となり、
1999年「踊る大捜査線 THE MOVIE」では、
「日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞」を受賞。
俳優としても、見事、才能を開花されたのでした。
出演作品(テレビドラマ、映画)
それでは、ここで、
いかりやさんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。
テレビドラマでは、
1977年「ムー」第1話
1987年「独眼竜政宗」
「ベイシティ刑事」
1989~2001年「鬼平犯科帳 第1-9シリーズ」
1989年「美し国ニッポン」
1990年「性風俗家族 日野本家の場合」
1990~1991年「西村京太郎スペシャル1-3」
「独眼竜政宗」より。
(左から)北大路欣也さん、鶴田忍さん、いかりやさん。
「鬼平犯科帳」より。(左から)二代目中村吉右衛門さん、
三代目江戸家猫八さん、いかりやさん。
1991年「ふたりの秘密」
「検事・若浦葉子」
「松本清張作家活動40年記念 黒い画集 坂道の家」
「世にも奇妙な物語 第2シリーズ『海亀のスープ』」
1992年「世にも奇妙な物語 冬の特別編『穴』」
「しあわせの決断」
「追いかける」
「東京チャッカリ娘」
「松本清張作家活動40年記念 黒い画集 坂道の家」より。
黒木瞳さんといかりやさん。
1992~1996年「サザエさん」
1993年「徹底的に愛は…」
「家政婦は見た!12」
「八丁堀捕物ばなし」
1994年「本日休診」
1994~2003年「取調室」
1996年「八丁堀捕物ばなし2」
「MMR未確認飛行物体」
「誰かが誰かに恋してる」
「徹底的に愛は…」より。いかりやさんと吉田栄作さん。
1997年「俺たちの世直し強盗」
「踊る大捜査線」
「踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル」
「イヴ~Santaclaus Dreaming~」
1998年「踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル」
「湾岸署婦警物語 初夏の交通安全スペシャル」
「聖者の行進」
「踊る大捜査線」より。織田裕二さんといかりやさん。
1999年「わんちゃ夫婦 金沢陶芸殺人紀行」
2000年「蘇える金狼」
「ブラック・ジャック カルテII」
「涙をふいて」
2001年「白い影」
「金田一少年の事件簿 第3シーズン」第1話-第2話
「ガッコの先生」
「金田一少年の事件簿」より。いかりやさんと松本潤さん。
2001~2002年「外科医零子 1-2」
2001~2003年「告発弁護士シリーズ 弁護士猪狩文助 1-5」
2001~2003年「壁ぎわ税務官 1-3」
2002年「逃げ口上~路線バス爆破事件!」
2003年「GOOD LUCK!!」
「あなたの隣に誰かいる」
「弁護士猪狩文助」より。香西かおりさんといかりやさん。
「壁ぎわ税務官」より。
(左から)野際陽子さん、小泉孝太郎さん、いかりやさん。
映画では、
1970年「喜劇 右むけェ左!」
1971年「喜劇 昨日の敵は今日も敵」
1990年「夢」
1991年「息子」
1998年「踊る大捜査線 THE MOVIE」
「喜劇 右むけェ左!」より。いかりやさんとジャイアント馬場さん。
2000年「しあわせ家族計画」
「GO-CON!」
「川の流れのように」
2003年「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」
2004年「恋人はスナイパー 劇場版」
2010年「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」
「しあわせ家族計画」より。(左から)阿部寛さん、
渡辺えり子(現・渡辺えり)さん、いかりやさん、野際陽子さん。
ほか、数多くの作品に出演されています。
死因は?
こうして、「8時だョ!全員集合」を知らない、
若い世代にも広く知られるようになったいかりやさんでしたが、
2003年5月末に「原発不明頚部リンパ節がん」
が見つかると、出演予定だったテレビドラマ、
「高原へいらっしゃい」を降板し緊急入院。
(原発不明とは、出処がどこか分からないこと。)
ただ、入院中に放射線治療などをされ、
経過良好ということで、同年7月17日に一旦退院され、
翌々日の19日には、
「踊る大捜査線 THE MOVIE2レインボーブリッジを封鎖せよ!」
の、映画舞台挨拶に参加。
(後列左から)真矢みきさん、小泉孝太郎さん、北村総一朗さん、
小野武彦さん、筧利夫さん、(前列左から)いかりやさん、
深津絵里さん、織田裕二さん、柳葉敏郎さん、水野美紀さん、
ユースケ・サンタマリアさん。
8月6日には、
「SMAP×SMAP」コーナー「BISTRO SMAP」
のゲスト出演での収録をされ、仕事復帰されたのですが・・・
実は、7月17日の退院直後に、
担当医からご家族には、
「余命はもって数ヶ月」
と宣告されていたそうで、(ご本人には内緒)
その後、2004年3月15日、
再び、体調悪化により都内の病院に入院されると、
「原発不明頚部リンパ節がん」の転移のため、
3月20日、72歳で他界されたのでした。
葬儀
ちなみに、3月24日に行われた葬儀では、
「ザ・ドリフターズ」のメンバーをはじめ、
芸能関係者約800人が弔問に訪れたほか、
1万人ものファンが記帳に訪れ、
出棺の際には、ファンから、
いかりやさんの持ちネタである、
「オイッス!」
と、声がかけられたり、
「和久さん、お疲れさま!」
と、「踊る大捜査線」でいかりやさんが演じた、
和久平八郎の名前を呼びながら、敬礼するファンも見られたそうで、
いかりやさんが、いかに多くの人びとから、
慕われていたかが分かる葬儀となっています。
葬儀で合掌する、(左から)加藤茶さん、志村けんさん、
仲本工事さん、高木ブーさん。
加藤茶が弔辞
それでは、最後に、「ザ・ドリフターズ」の中では、
いかりやさんと一番長い付き合いだった加藤さんが読まれた、
「弔辞」をご紹介しましょう。
長さん・・・。随分急いで向こうに行っちゃったんだね。
あんた、最後の最後に嘘ついたよなぁ。
去年の12月に「大爆笑」のオープニング撮るときに久しぶりに会って、
「40周年の記念で「全員集合」と「大爆笑」、この2本撮りたいね」って。
長さん「いいね」って、「やろうよ」って、そう言ったよね。
うちのメンバー4人もその気になってたんだよね。
だけどその約束を守れないうちに逝っちゃったね。
40年間一生懸命、一生懸命走ってきて絶対に妥協を許さない長さんだったよな。でも40年間本当に気を抜かないで一生懸命やってきたんだと思う。
本当にご苦労さん。これから俺たち4人でドリフターズまだやっていくよ。あんたが残した、財産だからね。
荒井注さんが亡くなった時、長さん言ってたよな。
「俺も、もうじきそっちに行くから、一緒に酒飲もう」って。
本当にそんな日が来てしまったな。でもちょっと早すぎたんじゃないか?
もう少し我慢してほしかったな。
まぁ2人してつもる話もあるだろうけど、あまり深酒しないように。
それから、いきなりそっちから「全員集合!」と言われても、
俺たち4人は集まれないからね。
たぶんそのうち本当に「全員集合」になるかもしれないけど、
その時はやっぱりまた向こうでコントをやろうよ。
40年間本当にありがとう。そしてご苦労さんでした。
何も心配なくゆっくり休んでちょうだい。さよなら。
この機会に、5人揃ったドリフ、
是非、ご覧下さい。
いかりやさんのご冥福をお祈り致します。
https://www.youtube.com/watch?v=oWL8q32N8mM