1964年、ホームドラマ「七人の孫」で、主演の森繁久彌さんの孫を演じ、一躍人気を博した、松山英太郎(まつやま えいたろう)さん。その後、数多くのホームドラマや時代劇に出演され、特に、「大岡越前」「江戸を斬る」などの時代劇での、主人公をサポートする密偵役がはまり役となり、お茶の間の人気者となられました。

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父は?弟は?本名は?

松山さんは、1942年7月9日生まれ、
東京都武蔵野市吉祥寺のご出身、

学歴は、
大成高等学校中退、

本名は、
松山英太郎(まつやま ひでたろう)、

父親は、
歌舞伎俳優の5代目河原崎國太郎さん、

弟は、元俳優で、
日本俳優連合専務理事の松山政路さんです。

ホームドラマ「七人の孫」で人気に

松山さんは、5歳の時、お父さんの河原崎國太郎さんが設立した、
歌舞伎劇団「前進座」「弁天小僧」で初舞台を踏むと、

1953年、11歳の時に、
「ひろしま」で映画デビューし、

その後も、

1954年「狂宴」
1955年「姉妹」
1958年「一粒の麦」

などの映画に出演。

そして、1860年、18歳の時に高校を中退し、
「俳優座養成所」に12期生として入られると、
1963年には「俳優座養成所」を卒業し、

翌年の1964年「七人の孫」で、
テレビドラマデビュー。

主演の森繁久彌さんの7人の孫のうちのひとりを演じ、
ドラマのヒットと共に一躍人気を博したのでした。


「七人の孫」より。(前列左から)長谷川哲夫さん、勝呂誉さん、森繁久彌さん、松山さん、
(後列左から)高橋幸治さん、いしだあゆみさん、島かおりさん、田島和子さん。

出演ドラマ映画

その後、

テレビドラマでは、

1965年「光る海」
1968年「肝っ玉かあさん」
1969年「こんにちは!そよ風さん」
1970年「時間ですよ」
     「大岡越前(第2部~第4部、第6部~第11部)」
      (※第5部は実弟の松山政路さんが同役を演じられています。)

1970~1971年「おさな妻」
1972~1973年「パパと呼ばないで」
1973年「江戸を斬るシリーズ」
1974年「だいこんの花」
1975年「水戸黄門」シリーズ


「大岡越前」より。叶和貴子さんと松山さん。

1976年「七色とんがらし」
1977年「ジグザグブルース」
1979年「熱愛一家・LOVE」
1980年「なぜか初恋・南風」

1981年「清水次郎長 勢揃い清水港」
1982~1983年「松平右近事件帳」
1984年「大奥」
1985年「暴れん坊将軍」シリーズ
1986年「おやじのヒゲ」シリーズ


「清水次郎長 勢揃い清水港」より。和田浩治さんと松山さん。

1987年「田原坂」
1988年「五稜郭」
1989年「翔んでる!平賀源内」
1990年「凛凛と」

映画では、

1964年「喜劇 駅前音頭」
1965年「アンコ椿は恋の花」
1966~1967年「喜劇 駅前」シリーズ
1968年「祇園祭」
1969年「喜劇 駅前桟橋」

1970年「トラ・トラ・トラ!」
1973年「喜劇 黄綬褒章」
1976年「喜劇 百点満点」
1978年「ピンクレディーの活動大写真」


「トラ・トラ・トラ!」より。渥美清さんと松山さん。

ほか、数多くの作品に出演され、

特に、
「大岡越前」の猿の三次、
「江戸を斬る」第1部「梓右近隠密帖」の葵小僧、
「江戸を斬る」第2~6部「梓右近隠密帖」の鼠小僧次郎吉、

など、主人公をサポートする密偵役がはまり役となり、
ホームドラマや時代劇には欠かせない存在として、
お茶の間の人気者になられています。


「江戸を斬る」より。(左から)春川ますみさん、遠藤真理子さん、
松坂慶子さん、松山さん、西郷輝彦さん。

ちなみに、1977年には、プロデューサーに転身し、
一時的に俳優を引退されていましたが、

うまくいかなかったのか、
翌年の1978年には俳優に復帰されています。

死因は?

しかし、1990年9月、
東京宝塚劇場の公演中に体調不良を訴え、
杏林大学医学部付属病院に検査入院されると、
検査の結果は「食道がん」

その後、松山さんは闘病生活を送られたのですが、
入院からわずか4ヶ月後の1991年1月11日、
48歳という若さで他界されたのでした。

ちなみに、松山さんのあまりにも突然過ぎる死は、
時代劇ファンや芸能関係者に衝撃を与えたのですが、

なかでも、「七人の孫」「だいこんの花」「おやじのヒゲ」
シリーズなどで共演し、松山さんを息子のようにかわいがっていた、
森繁久彌さんは号泣してその死を悼み、

親友だった竹脇無我さんは、

親友を失った悲しみが、
同年代の自分もいつそうなるか分からないという、
足元が揺らぐような思いといっしょになって僕を襲った。

それを紛らわせるには、酒を飲み続けるのがいちばんよかった。
しらふでいると気がめいる。

酔っぱらってしまえば、どうでもいいやという、
捨てばちな気分がわいてきて、ほんの少しらくになれる。

僕の心と体の歯車は、この頃から、
少しずつきしみ始めていたのかもしれない。

と、自身がうつ病となるきっかけとなるほどの、
衝撃を受けたことを語っておられます。

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妻は?子供は芦田伸介の養子に

ところで、松山さんは、
俳優の芦田伸介さんの一人娘、亜子さんと結婚され、

結婚後は女の子と男の子に恵まれるも、後に離婚。
その後、亡くなるまで独身だったようです。

また、お子さんは二人とも、
松山さんの生前から芦田伸介さんの養子となり、

長女の由夏(ゆか)さんは、女優として活動、
(旧芸名は、芦田由夏)


由夏さん

長男の昌太郎(しょうたろう)さんは、
俳優、サイクリストとして活動されています。


芦田昌太郎さん

ちなみに、昌太郎さんは、子役をしつつ、
獨協大学外国語学部フランス語学科に入学されると、

卒業後の1999年にはフランスに渡り、
フランスの中学校で日本語教師をされ、その後、
パリのソルボンヌ大学で学ばれていたこともあったそうです。

さて、いかがでしたでしょうか?

ある年代以上の人には、名前は知らなくても、
一度は見たことがあるほど、お馴染みの顔だった松山さん。

48歳での早すぎる死は残念でなりませんが、
これをきっかけに、時代劇やホームドラマで活躍する、
松山さんをご覧になってみてはいかがでしょう。

松山さんのご冥福をお祈り致します。

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