強面のヤクザ役から、気のいいおっちゃん役、普通のお父さん役と、どんな役でもこなし、幅広い演技が高く評価されている、國村隼(くにむら じゅん)さん。今回は、そんな國村さんの生い立ちから映画デビューまでをご紹介します。
「國村隼の歴代愛車が渋い!趣味はエンジンとフライフィッシング!」からの続き
エンジニアを目指して高専に進学するも中退していた
國村さんは、熊本県八代市で誕生すると、0歳の時に両親に連れられ、兵庫県尼崎市に転居し、小学2年生の時には、大阪府大阪市へと移り住んだそうです。
そんな國村さんは、小学校5年生の時、友達と演劇部に入部したそうですが、そのまますぐに演劇の道には進んだ訳ではなく、車のエンジンが好きだったことから(エンジンの構造やそのメカニズムを見るのが好きだったそうです)、エンジニアを目指して、大阪府立工業高等専門学校(現・大阪府立大学工業高等専門学校)に進学したそうです。
ただ、いざ、高等専門学校でエンジンの設計を勉強し始めると、自分が理系ではないと気づき、留年の末、4年生(20歳)の時に中退。しかも、何のあてもなく高専を辞めてしまったため、日がな一日することがなくなってしまい、毎日、暇を持て余したのだそうです。
「大阪放送劇団付属研究所」のオーディションに合格
そこで、小学校時代、同じ演劇部だった友人に電話をかけたところ、
どうせ暇だったら、昔やっていた演劇をやってみたら?
劇団のオーディションがあるから、暇つぶしに受けてみないか?
と、勧められたそうで、
暇つぶしに、「大阪放送劇団付属研究所」の試験を受けると、なんと、見事、合格。
こうして、國村さんは、20歳の時、「大阪放送劇団付属研究所」研究生(第9期)として入団すると、以降、アルバイトで食いつなぎながら、1年半ほどレッスンを受けると、徐々に演じることの楽しさに目覚めていったのだそうです。
井筒和幸監督「ガキ帝国」で映画デビュー
そして、1976年、21歳の時、「にしむくさむらい」で初舞台を踏むと、1979年には、NHK朝の連続テレビ小説「鮎のうた」でテレビドラマデビュー、1981年には、井筒和幸監督作品「ガキ帝国」で映画デビューも果たしているのですが、
この「ガキ帝国」、大阪を舞台に、ケンカや遊びに明け暮れる若者たちの姿を描いた作品で、國村さんは、鉄くずを盗む朝鮮人集団のリーダーを演じているのですが、
製作資金がわずか500万円(1000万円ともいわれています)だっため、エキストラが本物の不良だったり、撮影許可を申請していなかったりで、人目を忍んで撮影したり、電車での乱闘シーンをゲリラ撮影したりしていたそうで、
國村さんは、
僕は舞台からこの世界に入ったので、初めて映画に出演したときは、「なんて大変なんだ」と。
たぶん撮影許可を取っていなかったから、おまわりさんが来るとみんなでワ~っと逃げるような現場だったんですが、完成したらすごく面白い作品に仕上がっていたんです
と、語っています。
「國村隼は昔「ブラック・レイン」で松田優作に可愛がられていた!」に続く
「ガキ帝国」より。