出世作「Gメン’75」を、撮影の過酷さを理由に、自ら降板した原田大二郎(はらだ だいじろう)さんですが、その後も途切れることなく、数多くのテレビドラマや映画に出演されると、1980年代には、ビートたけしさんと知り合われた縁でバラエティにも進出し人気を博します。
「原田大二郎の若い頃は?身長は?新藤監督と?Gメン降板の理由は?」からの続き
出演作品(テレビドラマ、映画、舞台)
それでは、ここで、原田さんの、
「Gメン’75」降板後の出演作品をご紹介しましょう。
テレビドラマでは、
1976年「七色とんがらし」
1977年「秋日記」
1978年「横溝正史シリーズII / 真珠郎」
1980年「戦慄 爆薬を抱く男」
1981年「特捜最前線」第192話
1982年「竜馬がゆく」
「横溝正史シリーズII / 真珠郎」より。原田さんと大谷直子さん。
1983年「若草学園物語」
1984年「長七郎江戸日記」第38話
1985年「忘却の愛」
1986年「ジャンプアップ!青春」
1988年「君の瞳をタイホする!」
1989年「君の瞳に恋してる!」
1990年「芸能社会」
1991年「デパート!夏物語」第5話
1992年「四匹の用心棒 4 かかし半兵衛ひとり旅」
1993年「鬼平犯科帳」第4シリーズ 第9話
1994年「殿さま風来坊隠れ旅」
「鬼平犯科帳」より。中村吉右衛門さんと原田さん。
1995年「刑事・鬼貫八郎5」
1997年「松本清張特別企画・聞かなかった場所」
1998年「新選組血風録」
1999年「あぶない放課後」第9話
2000年「2000年の完全犯罪に挑む二人の女」
2001年「ズッコケ三人組3」
2002年「軽井沢夫人~避暑地の別荘で平穏に暮らす未亡人
~謎の家政婦が来てから次々不可解な事件」
2003年「湯けむり殺人案内 なんにも専務の名推理」
2004年「多摩南署たたき上げ刑事・近松丙吉4」
2006年「新・桃太郎侍 」第6話
2007年「津軽海峡ミステリー航路6」
2008年「柳生一族の陰謀」
「軽井沢夫人」より。(左から)片桐はいりさん、安岡力也さん、
坂口良子さん、原田さん、熊谷真実さん。
2009年「水戸黄門」第39話
2011年「鉄道捜査官12・伊勢鉄道、
引き返せない単線列車からの脱出トリック!!」
2013年「刑事吉永誠一 涙の事件簿」第6話
2014年「遺留捜査」
2015年「佐武と市捕物控」
2016年「検察事務官 黒ユリ」
「水戸黄門」より。原田さんと由美かおるさん。
映画では、
1978年「野性の証明」
1979年「トラック野郎・故郷特急便」
1981年「月光仮面」
1982年「蒲田行進曲」
1983年「きつね」
1986年「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」
「トラック野郎・故郷特急便」より。原田さんと菅原文太さん。
1988年「敦煌」
1992年「課長島耕作」
1993年「ゴジラvsメカゴジラ」
1994年「墨東綺譚」
1998年「ズッコケ三人組 怪盗X物語」
1999年「極道の妻たち」
「ゴジラvsメカゴジラ」より。
2000年「安藤組外伝 掟」
2002年「実録・安藤昇侠道伝 烈火」
2004年「ふくろう」
2006年「長州ファイブ」
2009年「TWILIGHT FILE VI」
「ふくろう」より。
舞台では、
「アンナ・カレーニナ」
「ドラキュラ」
「にごり江」
「王女メディア」
「マクベス」
「夏の夜の夢」
「ジュリアス・シーザー」
「十二夜」
「喜劇おためし遊ばせ」
「喜劇耳かきお蝶」
「Kawai Project Vol.3『ゴドーを待ちながら』」
など、数多くの作品に出演されるほか、
1985年には、ビートたけしさんと、
映画「哀しい気分でジョーク」で共演された縁で、
「哀しい気分でジョーク」より。
たけしさんからその演技力や個性を評価され、
たけしさんの番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に、
幸福配達人としても出演。
気さくでひょうきんなキャラクターは人気を博し、
以降、バラエティや司会でも活躍されています。
妻は?
そんな原田さんの、
気になるプライベートですが、
原田さんは、同じ明治大学で英語サークルのメンバーだった、
規梭子さんと結婚されています。
実は、規梭子さんは、原田さんが俳優になるきっかけとなった、
5大学英語劇コンテスト作品「メディア」で、
原田さん演じるジェイソンの妻メディア役を演じられているのですが、
猫背気味だった規梭子さんは、稽古の際、
先輩に、モップの柄をTシャツの背に挿されながらも、
(涙を流しながらも)ちゃんとお芝居をしていたそうで、
原田さんは、そんな規梭子さんの姿を見て、
惹かれたのだとか。
(コンテストは原田さんら明治大学が優勝し、
規梭子さんは最優秀俳優賞を獲得されたのでした)
ただ、すんなりとはいかなかったそうで、
原田さんは、これをきっかけに、
規梭子さんに交際を申し込まれるのですが
「タイプではないから」
と断られてしまいます。
というのも、お芝居「メディア」では、
夫(原田さん)が妻(規梭子さん)を裏切る内容だったことから、
お芝居とはいえ、当時まだ19歳だった規梭子さんには、
原田さんのイメージがどうしても役柄とリンクしてしまい、
受け入れられなかったというのです。
しかし、そこは原田さんのこと、そんなことではくじけず、
毎日、規梭子さんに手紙を書かれたほか、
規梭子さんの時間割を調べて、
同じ授業を受けるなど、猛アプローチ。
最初のうちは逃げていた規梭子さんも、
ついには、原田さんの情熱に打たれたのでした。
規梭子さんと原田さん♪
原田さんは、当時、奥さんが、
Tシャツの背にモップの柄を挿されながらも、
必死に演じられていた頃を振り返り、
その瞬間だね、この人を俺のヨメさんにするぞ、
この意地っ張りの血を将来の俺の子どもに取り込もう、
と決心したもんね。
と明かされていました。
ちなみに奥さんは、その後、英文学者となられており、
東洋学園大学の学長(5代目)を務められたこともあったそうです。
息子は難病でいじめに
ところで、原田さんと奥さんとの間には、
1974年に、虎太郎さんという息子さんが誕生しているのですが、
実は、虎太郎さんは、出産時の事故と、
幼い頃に患った「ヒルシュスプルング病」の後遺症により、発育が遅れ、
(「ヒルシュスプルング病」とは、別名「先天性巨大結腸症」とも呼ばれ、
先天的に、肛門側腸管の壁内神経節細胞が欠如し、便秘、腸閉塞症状を来す疾患)
その障害が原因で、
小学校、中学校、高校を通してイジメに遭い、
高校では、あと1ヶ月で卒業という時に、
不登校となってしまいます。
そして、それまでの間、原田さんは、自分の子どもには、
なんとしてでも普通の教育を受けさせたいとの思いで、
無理に学校に行かせていたことから、
虎太郎さんとの間にわだかまりを生み、
20年にも渡って深い溝が出来てしまったというのです。
ただ、2014年に、原田さんが、
テレビ番組「ナイナイアンサー」に出演された際、
このことを告白し、虎太郎さんに向かって謝罪したことで、
虎太郎さんもその後、番組のスタッフに、
「この家に生まれてきてよかったと思います」
と、おっしゃったそうで、
ようやく雪解けとなったとのことでした。
(左から)奥さんの規梭子さん、原田さん、息子の虎太郎さん♪
現在は?
さて、いかがでしたでしょうか?
2010年には、参院選に出馬にするも、
落選された原田さんですが、
その明るく気さくなキャラクターからか、
その後も、すんなり俳優業に復帰。
現在は70代とご高齢なため、
以前よりは露出が減っていますが、
これからもマイペースで、
元気なお姿を見せ続けてほしいですね。
応援しています!!