1967年、特撮テレビドラマ「コメットさん」で主人公のコメットさん役を演じ、絶大な人気を博すも、人気絶頂だった1970年、突然、「週刊ポスト」に、目の整形手術と男性遍歴を赤裸々に告白したとされる、スキャンダラスな記事を書かれ、トップアイドルの座から一気に奈落の底に落ちてしまった、九重佑三子(ここのえ ゆみこ)さんですが、
九重佑三子さんは、30年後、驚くべき真相を明かしています。
今回は、九重佑三子さんが、当時、告白したとされたスキャンダラスな記事と、その真相をご紹介します。

九重佑三子は目の整形と男性遍歴を告白したとする記事で人気が急落していた
男性遍歴を告白?
特撮テレビドラマ「コメットさん」でブレイクし、順調満帆な芸能生活を送っていた九重佑三子さんですが、
そんな人気絶頂の1970年、「週刊ポスト」(10月9日号)に、
営業用の「清純さ」を捨て、官能の女に生まれ変わった私 この変貌!私を「熟れさせた」男たち すばらしかった二十一歳の初体験
とのタイトルで、自ら、男性遍歴を告白したとする記事が掲載されました。

黒澤久雄
その記事によると、九重佑三子さんは、21歳の時、黒澤久雄さん(元歌手、現在は映画プロデューサー)と、某テレビ番組で知り合ったのをきっかけに仲良くなり、夏のある日、黒澤久雄さんに、
私、泳ぎたいな
と、言ったところ、
行動派の黒澤久雄さんは、
よし、じゃあ、明日、みんなで泳ぎに行こう
と、さっそく、泳ぎにいくことと迎えに来てくれることを約束したそうですが、
黒澤久雄さんは、次の日、ジャガーで迎えに来るも、他には誰も来ず、2人っきりだったそうで、
そんな中、陽が沈むまで2人で泳いだそうですが、バンガローに戻り、九重佑三子さんが水着を脱ぐも、黒澤久雄さんは見向きもしなかったそうで、
そんな黒澤久雄さんの態度に、自意識の強い九重佑三子さんは、女性としての自尊心が傷つけられ、黒澤久雄さんを振り向かせようと意地に・・・
すると、黒澤久雄さんの目がだんだん変わってきたそうで、
いけないことになるなって思ったけど、その時はもう黒沢くんを受け入れてもかまわないという心境だった・・・痛みはやはりあったわ。
でも彼って女のからだを扱うのがうまいの。思わず彼の背中に両腕をまわした私を記憶しているわ。私の初体験はしあわせだった。
と、黒澤久雄さんとの初体験を赤裸々に語ったというのです。
田辺靖雄
また、九重佑三子さんは、現在の夫の田辺靖雄さんとのことも、
私のこと、性格から何まですべて理解してくれているし、私もやっちゃん(田辺さん)のことはよく知っている、彼となら結婚してもうまくやっていけると思うの。
でも、やっちゃんには黒沢くんの「鉄の意志」、加山雄三さんの「行動力」がない、引きずり込まれそうな男っぽい強い魅力がないんだわ。
それでも、わたしたち、いつか結ばれていたので。こんなこというとやっちゃんには失礼だけど、黒沢くんと別れて、その反動だったかもしれない。私のほうが積極的だった。
と、語っていたといいます。
(九重佑三子さんは、そのほか、あと二名(いずれも大物俳優)と結婚の約束をするも破局したことも、記事で明かしたとされていたそうです)
目の整形手術は清純派からのイメージチェンジ?
また、この「週刊ポスト」には、九重佑三子さんが、同年、当時ではまだ珍しかった、目の整形手術を受けたという記事も掲載されていたそうですが、


清純派の女優で歌手でもあった九重佑三子さんの、この、あまりにもイメージとかけ離れた衝撃の告白は、世間を驚かせたそうで、
(当時は、清純派からのイメージチェンジを図ったと考えられていました)
九重佑三子さんは、人気が急落し、NHKをはじめとする全てのレギュラー出演番組を降板させられ、CMも打ち切られてしまったのだそうです。
九重佑三子の事務所は「週刊ポスト」側に全く抗議をしなかった
ただ、当時の所属事務所は、この記事について、「週刊ポスト」側には何の抗議もしないまま、レコード会社など関係者各位に土下座して回ったそうで、
この記事の内容が真実として世間に認知されたまま、月日は過ぎて行ったのだそうです。
九重佑三子が30年後に明かした真相とは?
「目の整形手術」の真相
そして、30年という長い年月を経た2000年、九重佑三子さんは、ついに、バラエティ番組「いつみても波瀾万丈」に出演した際、この時の真相を明かしています。
まずは、「目の整形手術」の記事についてですが、九重佑三子さんによると、週刊誌の暴露事件よりも3ヶ月前の、1970年7月4日の朝、突然、両目が開かなくなったそうで、
事務所から、
4日のうちに治せ
と命令され、治療のため、目の整形手術を受けさせられたそうですが、
手術後、鏡を見ると、
これは私じゃない
と思うほど、はっきりと一重から二重に変わってしまっていたといいます。
(目が開かなくなったのは、過密スケジュールによる過労で、「筋無力症」になっていたのが原因だったそうですが、それを知ったのは、ずっと後だったそうです)
しかし、事務所はそんな九重佑三子さんの気持ちは無視して、
目を整形したのは、「イメージ・チェンジのため」
と、発表したのだそうです。
(ボーイッシュで天真爛漫なイメージから、恍惚の表情を持った大人の女性へと転身、と言った具合に)
「男性遍歴告白」の記事の真相
そして、その3ヶ月後には、先述の「週刊ポスト」の「男性遍歴」の記事が世に出回ったそうで、
あの天真爛漫な子が何人もの男性遍歴を重ねているなんて信じられない
と、世間に衝撃を与えたのですが、
何よりショックを受けていたのは、九重佑三子さん本人だったそうで、
私はあんなことをしゃべっていない。告訴も考えている。
と、この記事がデタラメであったことを告白しています。
ただ、推測や伝聞ではなく、本人が語った言葉として記事が書かれていたことから、関係者を含め、世間が内容を信じ、
九重佑三子さんは、昨日まで親しくしていた関係者からも、
よくも俺の顔に泥を塗ってくれたな
などと、手のひらを返したような態度を取られて、孤立無援になったそうで、
マネージャーには、いくら言っても、
とにかく謝るしかない
と、釈明の機会を与えてもらえず、時間だけが過ぎて行ったのだそうです。
マネージャーが振られた腹いせに中傷記事を捏造し週刊誌に売っていた
しかし、それから数年後、ついに、九重佑三子さんはこの騒動の真実を知ったといいます。
なんと、真犯人は、九重佑三子さんのマネージャーだったというのです。
実は、九重佑三子さんは、マネージャーと交際していたそうですが、九重佑三子さんがマネージャーを振ったことから、このマネージャーが腹いせに中傷記事を捏造(ねつぞう)して、週刊誌に売っていたそうで、
道理で、九重佑三子さんがいくら訴えても、マネージャーは動いてくれず、事務所窓口だったマネージャーが各誌の取材申込を断り続け、九重佑三子さんの釈明の機会を奪っていたのでした。
マネージャーの卑劣すぎる策略
ちなみに、九重佑三子さんは、1970年8月25日の15時~16時に銀座の「煉瓦亭」で、翌26日の20時30分~24時に六本木で、取材対応をしていたそうですが、
その取材に同席した副担当マネージャー(当時2年目の新人)の証言によると、
(その取材が終わり、みんなで食事をしながら雑談していた時)だれと交際があったかという話になり、九重もちゃんと答えていたようです。
前にも週刊誌で話題になったことのある人たちのことでしたからね。ところが、記者の方々がだんだん酔ってきて、自分の性体験を話し始めたんです。声を立てるとか、背中にツメを立てるとか・・・
ところが、記事になったのをみると、それがみんな、九重が言ったことになってるんですよ。びっくりしましたねえ。まさかあんな露骨な表現で書かれるなんて、まるで予想もしてなかったことですから。
取材の申込みのときは、あの告白シリーズで、ということではなく、九重の人間像を書きたい、ということでした。
とのことで、
このマネージャーが、九重佑三子さんを陥(おとしい)れるため、この取材時から、手の込んだ卑劣な策略を巡らせていたことが判明したのだそうです。
(この時に同席していた副担当マネージャーは、まさか自分の上司が真犯人だとは夢にも思っていなかったそうです)
さて、いかがでしたでしょうか。
事務所が、目の整形について、「大人の女性へのイメージチェンジ」とデタラメな発表をした3ヶ月後というタイミングで、男性遍歴のデタラメ記事が出たことで、すんなり、世間に男性遍歴の記事を信じられてしまった九重佑三子さん。
その後、九重佑三子のファンが、掲示板に、これらの真相をより詳しく書き込んで九重佑三子の潔白を訴えると、
九重佑三子さんは、自ら、
皆さんのお気持ちをこれからの糧にして頑張っていきたいと思います。今後とも宜しくお願いします。ありがとうございます。 九重佑三子
と、コメントしているのですが、
まだまだ当時の情報を鵜呑みにしたまま、真相を知らない方もいることでしょう。
失われた時間は取り戻せませんが、今後、ご主人の田辺靖雄さんとの活動が、末永くうまくいくよう祈るばかりです。
「九重佑三子の夫・田辺靖雄との馴れ初めは?結婚後の夫婦仲は?現在は?」に続く



