1957年、松竹映画「気違い部落」で女優デビューされると、1960年代には、特撮作品のヒロインを多く演じられ、その妖艶な魅力で、たちまち男性たちを虜にした、水野久美(みずの くみ)さん。そんな水野さんの生い立ちから特撮ヒロインとしてブレイクされるまでについて調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
水野さんは、1937年1月1日生まれ、
新潟県三条市のご出身、
身長158センチ、
体重48キロ、
血液型はA型、
学歴は、
新潟県立三条東高等学校卒業、
ちなみに、本名は五十嵐麻耶(旧姓:水野)です。
父親が酒乱で女たらし
水野さんは、お父さんが酒乱で女遊びが激しく、そんなお父さんの子どもを生みたくないと思ったお母さんが、水野さんを妊娠中、流産しようと階段から飛び降りられるのですが、そのショックで、たった7ヶ月半で生まれ落ちてしまいます。
そのため、水野さんは、生まれた瞬間、仮死状態だったそうですが、なんとか一命を取り留め、成長。
しかし、そんなことがあったにもかかわらず、お父さんの酒癖の悪さは治らず、幼い水野さんもまた、お父さんの酒乱に悩まされたのでした。
「ミス・ジュニアそれいゆ」でグランプリ
その後、水野さんは成長し、芸者になりたいと思った時期があったそうですが、やがて、演劇に目覚められると、高校時代には演劇部に所属。演劇発表会では、3年連続でヒロインを演じられたほか、
1955年には、ティーン向け雑誌「ジュニアそれいゆ」主催による「第1回ミス・ジュニアそれいゆ」に応募されると、見事、グランプリを獲得されるなど、この当時から、水野さんの美貌は抜きん出ていたのでした。
「ジュニアそれいゆ」当時の水野さん(18歳)
松竹映画「気違い部落」でデビューするも・・・
そんな水野さんは、高校卒業後、女優を志して、「俳優座演技研究所」に入所されると、1957年には、松竹映画「気違い部落」で女優ビューされるのですが、翌年の1958年には、東宝に入社。
「気違い部落」より。左が水野さん。
実は、水野さんは、松竹でデビュー作を撮ったにもかかわらず、何か行き違いがあったようで、東宝と専属契約してしまい、以降、松竹から、
義理人情を欠く超ドライ娘
と、バッシングを受けることに・・・
また、はっきりした性格の水野さんは、東宝でも、
(お人形さんのような)主役はいりません。(個性を出せるような)準主役で結構。
と、言い放ったそうで、本当に主役がこなくなってしまったのでした。
若い頃の出演作品(映画)
以降、水野さんは、
1958年「眠狂四郎無頼控 魔剣地獄」
「若い娘たち」
「風流温泉日記」
「若旦那は三代目」
「二人だけの橋」
「重役の椅子」
「鰯雲」
「密告者は誰か」
「東京の休日」
「続新日本珍道中東日本の巻」
「鰯雲」より。木村功さんと水野さん。
1959年「コタンの口笛」
「私は貝になりたい」
「若旦那大いに頑張る」
「狐と狸」
「社員無頼 怒号篇」
「日本誕生」
「花嫁さんは世界一」
「社員無頼 反撃篇」
「ある日わたしは」
「上役・下役・ご同役」
「社長太平記」
「上役・下役・ご同役」より。(左から)水野さん、加東大介さん、山内賢さん。
1960年「サラリーマン目白三平 亭主のためいきの巻」
「別離の歌」
「独立愚連隊西へ」
「サラリーガール読本 お転婆社員」
「サラリーマン御意見帖 出世無用」
「国定忠治」
「銀座退屈娘」
「サラリーマン御意見帖 男の一大事」
「黒い花びら」
「現代サラリーマン 恋愛武士道」
「独立愚連隊西へ」より。水野さん(左)と中丸忠雄さん。
1961年「新入社員十番勝負」
「情無用の罠」
「暗黒街の弾痕」
「青い夜霧の挑戦状」
「出世コースに進路を取れ」
「B・G物語 二十才の設計」
「妻として女として」
「暗黒街撃滅命令」
「断崖の決闘」
「愛と炎と」
「紅の海」
「顔役暁に死す」
「情無用の罠」より。水野さんと佐藤允さん。
1962年「紅の空」
「吼えろ脱獄囚」
「明日ある限り」
「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」
「女性自身」
「僕たちの失敗」
「暗黒街の牙」
「どぶ鼠作戦」
「女難コースを突破せよ」
「やま猫作戦」
「その場所に女ありて」
「妖星ゴラス」
「続新入社員十番勝負 サラリーマン一刀流」
「妖星ゴラス」より。白川由美さん(左)と水野さん。
と、立て続けに多くの映画に出演されているのですが、作品には恵まれませんでした。
「水野久美は昔マタンゴX星人ゴジラで特撮映画のヒロイン!ブラピも夢中?」に続く