大学在学中に、劇団「自由劇場」にスタッフとして入団されるも、大学を約1年半で中退された、笹野高史(ささの たかし)さん。その後は、演劇活動を辞められていたのですが、ひょんなことから、俳優に復帰されます。そんな笹野さんの、俳優復帰、憧れだった渥美清さんとの共演・エピソードについて、調べてみました。
「笹野高史の生い立ちは?少年期は陸上と音楽?学生運動から自由劇場に!」からの続き
船乗りになるも・・・劇団「自由劇場」に復帰
こうして、大学在学中に、劇団「自由劇場」にスタッフとして入団された笹野さんですが、政治的な活動が原因かは不明ですが、大学を約1年半で中退。
その後は、お兄さんの知り合いのつてで、船会社に就職して船乗りになると、海外の港を行き来する生活が気に入り、船乗りとして安定した生活を送られます。
船乗り時代の笹野さん(20歳頃)
しかし、そんなある日のこと、たまたま、船内のテレビで、「東大安田講堂事件」(学生紛争)のニュースを見ると、再び、俳優への情熱が目覚めたそうで、
劇団「自由劇場」の主宰者・串田和美さんに連絡を取って、劇団「自由劇場」に復帰すると、1972年、「ヴォイツェ」で初舞台を踏まれたのでした。
以降、笹野さんは、劇団「自由劇場」の公演に次々と出演されると、1979年には、舞台「上海バンスキング」のバクマツ役で注目を集められるのですが・・・
「上海バンスキング」より。(左から)串田和美さん、吉田日出子さん、笹野さん。
端役の日々
1982年に、劇団「自由劇場」を退団されると、同年、「刑事ヨロシク」で、テレビドラマデビュー。翌年の1983年には、「ふしぎな國 日本」で、映画デビューも果たし、
その後も、
テレビドラマでは、
1983年「北の国から」
「北の国から」より。笹野さん(左)と、岩城滉一さん。
映画では、
1983年「竜二」
1984年「麻雀放浪記」
1985年「哀しい気分でジョーク」
「CHECKERS IN TAN TAN たぬき」
「竜二」より。金子正次さん(左)と笹野さん。
などに出演されるのですが、どれも、店員役など端役ばかり。
笹野さんは、どんな役も器用にこなすものの、個性が乏しくて、今ひとつパッとせず、同世代の俳優仲間が、次々とテレビ・映画・舞台で大きな役を射止め、華々しく活躍する中、コツコツと地道に活動を続けられたのでした。
「男はつらいよ」で渥美清と共演
すると、1985年、37歳の時、映画「男はつらいよ」の第36作「柴又より愛をこめて」で、寅さんのテキ屋仲間「下田の長八」役として、ワンシーンながら出演することになり、ついに憧れの渥美清さんと共演。
「男はつらいよ~柴又より愛をこめて」より。渥美清さん(左)と笹野さん。
以降、
1986年「男はつらいよ 幸福の青い鳥」(市役所の職員 役)
「男はつらいよ 幸福の青い鳥」より。
1987年「男はつらいよ 知床慕情」(大家 役)
「男はつらいよ 寅次郎物語」(旅館の主人 役)
「男はつらいよ 知床慕情」より。
「男はつらいよ 寅次郎物語」より。
1988年「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」(泥棒 役)
「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」より。
1989年「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」(車掌 役)
「男はつらいよ ぼくの伯父さん」(ホモのライダー 役)
「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」より。
「男はつらいよ ぼくの伯父さん」より。
1990年「男はつらいよ 寅次郎の休日」(内藤 役)
「男はつらいよ 寅次郎の休日」より。
1991年「男はつらいよ 寅次郎の告白」(釣り人 役)
1993年「男はつらいよ 寅次郎の縁談」(琴島の駐在警官 役)
「男はつらいよ 寅次郎の縁談」より。
1995年「男はつらいよ 寅次郎紅の花」(箕作伸吉 役)
「男はつらいよ 寅次郎紅の花」より。
と、「男はつらいよ」シリーズでのワンシーン出演が定番になったのですが、
実は、渥美さんが、笹野さんの才能をいち早く見抜き、シリーズへの出演を推薦されていたそうで、笹野さんは、渥美さんにかわいがられ、柄本明さんも交え、3人でよくお芝居を観に行き、帰りにご飯をごちそうになる、ということを、しょっちゅうされるような間柄になっていたのでした。
(柄本さんも、笹野さんと同じ、劇団「自由劇場」出身で、寅さんシリーズに出演経験があったことから、3人は仲良くなったようです)
ちなみに、笹野さんも柄本さんも、渥美さんがレジでお金を払っている姿を一切見たことがなかったそうで、笹野さんは、そんな渥美さんをとてもかっこいいと思い、公私共に師と仰いでいたのだそうです。
渥美清からかけられた忘れられない言葉
そんな笹野さんには、師と仰ぐ渥美さんからかけられた、忘れられない言葉があるそうです。
いつ頃のことか時期は定かではありませんが、「男はつらいよ」で、ワンシーンのみの出演の笹野さんは、ロケ地に3時間かけて行かれるも、撮影はたったの30分だけ、ということがあったそうで、
帰り際、渥美さんに挨拶をすると、渥美さんから、
帰るの?いいねえ、ロケにスッと来て、おいしい場面タっと演って、シュッと帰って行く。オレもそうなりたかった!
と、言われたというのです。
ただ、最初、笹野さんはその言葉の意味が分からず、
なんであんなこと言ったんだろう
と、帰りの電車の中で、ずっと考え込んでしまったそうですが、
もっとセリフも喋りたいだろうけど、腐らずに頑張れよ、そのうちきっと芽が出るから
と、励ましてくれたのだと、ようやく理解すると、思わず電車の中で涙がこぼれたそうで、
笹野さんは、それ以来、胸を張って「ワンシーン役者」をやってやろうと、決意されたのでした。
「笹野高史の出世作は?秀吉では猿の演技?歌舞伎の出演作品は?」に続く