予備校仲間が漫画家を目指す姿に感化されると、子どもの頃の夢を思い出し、役者を目指す決意をされた、山崎樹範(やまざき しげのり)さん。そんな山崎さんの、大学時代、劇団「カムカムミニキーナ」入団、売れない時代について、調べてみました。

「山崎樹範の生い立ちは?俳優目指したきっかけはダラダラ浪人時代?」からの続き

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「獨協大学演劇研究会」に入部&退部

こうして、山崎さんは、まずは大学に受かってからだと真剣に勉強を始めると、晴れて獨協大学に合格し、入学式の翌日には、演劇サークル「獨協大学演劇研究会」に入部。

その後は、授業にも出ず、熱心に演劇活動に打ち込まれると、その熱心さが評価され、大学2年生の中頃には、他の部員たちから部長に押し上げられます。

ただ、山崎さんは、

1年半しか芝居してないのに、俺が何を教えるんだろう

と、思われたことや、とても憧れていた先輩が引退してしまうこともあり、「演劇研究会」を退部してしまいます。

八嶋智人に圧倒され劇団「カムカムミニキーナ」に入団

その後、山崎さんは、他の劇団のオーディションを受けようと、いろいろ見て回ると、劇団「カムカムミニキーナ」八嶋智人さんのお芝居を見て圧倒されたそうで、

この劇団はすごい。大きくなるだろうな

と、そこに自身の夢や目標も見出し、オーディションを受けると、見事合格。

山崎さんは、1995年、21歳の時、晴れて、劇団「カムカムミニキーナ」に入団されたのでした。

ちなみに、合格した理由は、

「声、でかかったから」

だったそうです(笑)

「緊急美人」でいきなり準主役も・・・

そして、同年、新人公演に出演されると、その後、本公演「緊急美人」でも、いきなり準主役に抜擢されるのですが、

公演が終わると、

芝居どうこう抜きに、箸にも棒にも引っかかんない

人間として興味が湧かない

と、徹底的にダメ出しをされてしまいます。(以降、山崎さんは、3~4年ほどこの言葉を引きずったそうです)

また、短いシーンを繰り返し演じさせられることもあったそうで、一つのセリフを言うと、

全然面白くないから変えろ。もう1回。

と、言われ、

もう一度挑戦するものの、

変わってねえだろ、おい。もう1回。

と、その日が一日中その稽古で終わることもあるほど、稽古はとても厳しかったのでした。

(この特訓は、毎回誰かがターゲットになるため、以来、山崎さんは、なるべく目立たないように、目をつけられないように気をつけていたそうです)

大学を2年留年

ところで、山崎さんは、演劇活動にのめり込むあまり、稽古に行っては、週3回くらい夜中にバイトをする繰り返しで、大学の授業にはほとんど行かなかったことから、2年も留年。(お母さんにすごく泣かれ、さすがに山崎も泣いたそうです)

そして、ようやく大学を卒業すると、

芝居続けたい

と、家族に宣言するも、家族からは、

芝居のことなめてる

と、とがめられ、

本当にやりたいんだったら自立しろ

と、言われ、家を出られたのでした。

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売れない時代

ただ、これまでは実家暮らしだったため、週3回のバイトで演劇活動に打ち込むことができたのですが、家を出てからは、生活のために寝る時間を削ってバイト三昧となり、そのうえ、稽古に行っては怒られる、の毎日で、

これをあと何年続けたら売れるんだろう、食えるようになるんだろう

と、気が遠くなるような思いになり、テレビへの近道だと思って始めた芝居が、実際は、まったく遠く、先の見えない日々が続いたのでした。

ちなみに、初めてお金をもらった仕事は、1996年、テレビアニメ「るろうに剣心」の斬られ役(声)で、セリフは、「ウギャ~~~~~~~!!」のみ。

また、テレビドラマデビューは、その翌年の1997年、「白線流しスペシャル~19の春~」の劇団員役だったそうです。

「山崎樹範の若い頃は八嶋智人と?出演ドラマ映画は?アニメ声優も?」に続く

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