「銃砲刀剣類所持等取締法違反」と「関税法違反」で起訴され、懲役8ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた、里見浩太朗(さとみ こうたろう)さんですが、少しの期間の謹慎後、復帰されると、やがて、映画産業全体が斜陽化したことから、活動をテレビへと移されます。
「里見浩太朗は昔ピストル所持で山城新伍と共に起訴されていた!」からの続き
ヤクザ映画にも出演していた
謹慎明けも、精力的に映画に出演されていた里見さんですが、「十三人の刺客」(1963)、「大殺陣」(1964)に出演されて以降、時代劇が激減したため、里見さんも、当時流行りのヤクザ路線に転向することになると、
1964年には、鶴田浩二さん主演の「博徒」で、初めてヤクザ映画に出演。
体中に入れ墨をし、髪は刈り上げ、着物をまとった姿に、
こういう恰好もいいな
と、思えたそうですが・・・
「博徒」より。
その後に出演されたのは、背広姿でピストルを構えるようなヤクザ映画だったため、途端にやる気がなくなってしまったそうで、
そんな折、映画産業全体が斜陽化してきたことも重なったため、1970年頃、活動の場をテレビに移され、時代劇を中心に出演されるようになったのでした。
「水戸黄門」と「大江戸捜査網」を同時撮影
そんな里見さんは、1971年11月29日からスタートした「水戸黄門」第3部から、杉良太郎さんに代わり、(2代目)助さんこと佐々木助三郎を演じられると、第17部まで、約17年間にも渡り、助さん役を演じられているのですが、
「水戸黄門」より。中央が助さんに扮する里見さん。
その期間中の1974年に、「大江戸捜査網」の主役のオファーを受けたそうで、
え~っ。僕は助さんの撮影を毎日やっていますよ。どうやって主役を演じきれるだろう。
と、最初はお断りされたそうですが、
三日だけでいいのでどうしても
と、お願いされ、話し合いの結果、土曜・日曜・月曜で「大江戸捜査網」の撮影をすることになったそうです。
というのも、「水戸黄門」は日曜は撮影をしていなかったことから、その前後の土曜と月曜の2日間の撮影から助さんを外すことができたら、「大江戸捜査網」のための時間を確保できると、提案されたそうで、
最終的には、里見さんは、
僕の土・日・月を差し上げましょう!
と、出演を承諾されたのでした。
「大江戸捜査網」より。
「水戸黄門」と「長七郎天下ご免!」を同時撮影
ちなみに、撮影場所は、「水戸黄門」が京都、「大江戸捜査網」が東京だったため、金曜の夜に東京へ行き、土曜・日曜・月曜に「大江戸捜査網」の伝法寺隼人役を演じられると、
火曜の朝には京都へ戻って、「水戸黄門」の助さんを演じる、という日々を、1979年まで、5年間続けられた里見さんですが(松方弘樹さんにバトンタッチ)、すぐさま(同年中)、「長七郎天下ご免!」の撮影がスタート。
「長七郎天下ご免!」より。
ただ、今回は、どちらも京都での撮影だったため、午前は「助さん」、午後は「長七郎」と、「大江戸捜査網」の時と比べると、随分、楽にやりくりできたそうです。
唯一の水戸黄門3役コンプリート俳優
そんな里見さんも、1988年、ようやく、「水戸黄門」の助さん役を、あおい輝彦さんにバトンタッチされているのですが、
2002年には、「水戸黄門」第31部で、病気により降板した石坂浩二さんに代わり、5代目・水戸光圀役となられています。
里見さんは、デビュー初期の東映作品で、格さんこと渥美格之進役も演じられていることから、これで、黄門様、格さん、助さんの3役を演じた、史上唯一の俳優となられたのですが・・・
時代の流れからか、「水戸黄門」は、2011年12月19日、第43部「最終回スペシャル」をもって、42年にも渡るシリーズの終了が決定。
里見さんは、記者会見で、
突然、ズバッと後ろから斬られた感じ。残念というより、痛い。
言葉が出ない。重苦しい思いが体全体を包んでいるようだ。
と、無念さをにじませるも、
それでも、最後は、
最後の黄門らしい黄門を一生懸命、全力で演じていきたい。
と、締めくくられたのでした。
「水戸黄門 最終回スペシャル」より。雛形あきこさんと里見さん。