1988年、17歳の時、「オールナイト・フジ 女子高生スペシャル」「美少女コンテスト」でベストパフォーマー賞を受賞し、1989年には、アイドルグループ「ribbon」として、ファーストシングル「リトル☆デイト」でデビューされた、永作博美(ながさく ひろみ)さん。そんな永作さんの、デビューから現在に至るまでの経緯について調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

永作さんは、1970年10月14日生まれ、
茨城県行方郡麻生町(現・行方市)のご出身、

身長156センチ、

血液型はB型、

学歴は、
北浦三育中学校(バレーボール部に所属)
⇒茨城県麻生高校
⇒東京調理師専門学校卒業

趣味は、
映画観賞、テレビゲーム、アニメ・テレビ観賞、読書、

特技は、
料理、利き酒、

ちなみに、本名は内藤博美ですが、

中学時代のニックネームは、丸顔だったため、「たまご」だったそうです。
(この丸顔がコンプレックスで、写真を撮られるのが嫌だったそうです)

また、実家はイチゴ農家で、祖父母、両親、姉、妹の7人家族だそうですが、
家族全員、顔が似ていたそうです♪


中学の卒業アルバムより。

若い頃はアイドル氷河期にアイドル

永作さんは、1988年、「オールナイトフジ」の女子高校生版である、「オールナイト・フジ 女子高生スペシャル」が、夏休みに一日だけ放送されるということを知り、そのために開催された「美少女コンテスト」に応募されると、

ベストパフォーマー賞を受賞し、フジテレビが運営するタレント育成講座「乙女塾」の、歌手コース第1期生となられます。

実は、1990年代初頭は、「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」「夜のヒットスタジオ」などの歌番組が次々と終了し、1980年代後半から巻き起こったバンドブームにより、芸能事務所はロックバンドの売り出しに力を入れるほか、

素人性を強く打ち出した「おニャン子クラブ」が出現するなど、アイドルが雲の上の存在でなくなったことなどが原因で、アイドルは冬の時代。

それでも、フジテレビは、「おニャン子クラブ」のようなアイドルを、もう一度、自社で手掛けたかったようで、「乙女塾」を売り出すため、「おにゃんこクラブ」の冠番組だった「夕焼けニャンニャン」と同じ平日17時台の枠で、バラエティ番組「パラダイスGoGo!!」をスタートさせたのでした。

(ちなみに、このフジテレビの「自社アイドル×冠番組」という商法は、1990年代後半の「チェキッ娘」、2000年代の「アイドリング!!! 」へと引き継がれていったそうです。)

アイドルグループ「ribbon」で人気を博す

こうして、永作さんは、1989年、松野有里巳さん、佐藤愛子さんともに、アイドルグループ「ribbon」として、ファーストシングル「リトル☆デイト」でデビューされると、

「リトル☆デイト」は、フジテレビアニメ「らんま1/2」の主題歌に起用され、いきなりオリコン10位にランクイン。


「リトル☆デイト」より。

その後も、「ribbon」は、1990年、「そばにいるね」(アニメ「たいむとらぶるトンデケマン!」のエンディングテーマ)、「Virgin Snow」など、立て続けにヒットを飛ばし、


「そばにいるね」より。


「Virgin Snow」より。

アイドルらしからぬ抜群の歌唱力で、ポップな曲やハーモニーの美しい曲ほか、コミカルな曲まで、様々なタイプの曲を歌いこなす実力派として、アイドル氷河期においても、同じく「乙女塾」からデビューした「CoCo」とともに人気を博したのでした。

(デビュー曲「リトル☆デイト」は、松野さんがセンターを務められていたましたが、セカンドシングル以降は永作さんがセンターを務められています)

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バラドルとしても活躍するも・・・自然消滅へ

また、その一方で、永作さんら「ribbon」は、お笑いに強い「田辺エージェンシー」所属だったため、女性アイドルグループとしては珍しく、自身のコント番組「KURA・KURA」を持ち、番組中にはメンバー全員がコントに挑戦するなど、バラエティーアイドルとしても活躍されていたのですが・・・

1993年10月、シングル「夜明けなんていらない」をリリースし、同年12月、東京厚生年金会館でライブを開催されて以降は、グループとしての活動はほとんどなくなり、


「夜明けなんていらない」

正式な解散発表も解散に関するイベント・リリースも一切なく、自然消滅する形で活動停止。そのため、結果的に、シングル「夜明けなんていらない」はラストシングルに、「東京厚生年金会館でのライブ」は、ラストライブとなったのでした。

「永作博美の週末婚ほか出演ドラマ映画cmは?写真集も!」に続く

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