幼い頃から相撲ファンで、OL時代は「日本相撲協会」に転職しようと、何度も電話をかけた逸話を持つ、内館牧子(うちだて まきこ)さん。今回は、そんな内館さんと元横綱・朝青龍の話題について調べてみました。
「内館牧子の終わった人ほか脚本一覧(ドラマ映画)を画像で!」からの続き
朝青龍とバトル
内館さんは、相撲好きが高じて、2000年8月、女性初の「日本相撲協会横綱審議委」に就任すると、以降10年間にわたり、横綱審議委員を務めます。
ただ、相撲を愛するあまり、2003年1月場所後、朝青龍が横綱に昇進した際には、朝青龍の目にあまる行動や言動に我慢ならず、正面から叱り続けており、
対する朝青龍は、叱られるとますます態度を悪くし、当時、お二人は、「天敵」とまで言われるようになります。
(内館さんは、朝青龍へ苦言を呈するたびに、マスコミから興味本位に書きたてられたのですが、それでも言うべきことは言うという姿勢を貫かれていたそうです)
朝青龍とハグで和解?
ただ、そんなお二人も、内館さんが2008年末に心臓の病気で倒れ、4ヶ月もの入院生活の末、2009年4月に退院し、横綱審議会の稽古総見に出席した際、
(内館さんは、車椅子でないと動けないのではと危ぶまれる状態だったのですが、弱みを見せたくないと思われたのか、国技館では歩かれました。)
力士たちが緊張の面持ちで次々と登場し、ずらりと並ぶ審議委員の前で一礼する中、朝青龍は、内館さんに向かっていたずらっぽい目をしてOKサインを出したそうで、
稽古が終わると、ダーッと駆け寄ってきて、
治ってよかったですね
と、内館さんをハグ。
朝青龍と内館さん。
会場からは、「内館さん、もう朝青龍のこといじめないでね」といった野次が飛び、
内館さんも、そんな朝青龍に、
思わず、あ、こいつ、いいやつじゃんって(笑)
と思い、泰然と微笑んだのでした。
ちなみに、内館さんは、朝青龍について、自身の著書「十二単衣を着た悪魔」の主人公・光源氏になぞらえ、
朝青龍には、悪い一面があっても、人を惹きつけるどこか魅力的なヒーローの要素を持っている、光源氏と同じ「人たらし」の面を持っている
と、おっしゃっています。
度重なるトラブルで朝青龍が引退
その後、内館さんは、2010年1月25日をもって、「横綱審議委員」の任期を満了するのですが、この日、最後となる横綱審議委員会の席で、月場所中の1月16日に泥酔暴行騒動を起こした朝青龍に対して、
日本相撲協会はあまりにも朝青龍に甘過ぎる。今回も『厳重注意』で済む問題じゃない。普通の企業なら間違いなくクビ、又次に何かやったら『引退勧告』すべきです。
と、苦言を呈します。
そして、その数日後、朝青龍が暴行した相手が、当初は個人マネージャーと報道されていたのが、実は一般人だった事が発覚すると、
朝青龍は、内館さんの横審委員退任からわずか10日後の2月4日、度重なるトラブルに対して責任を取る形で、突如、引退を表明。
すると、内館さんは、
朝青龍が自ら引退したことはベストの選択だったと思う。今後は日本であれ外国であれ、その国と業界及びその仕事に対し、敬意を払うことを忘れないでほしい。
と、コメントし、朝青龍の人となりは認めていたものの、最後まで「横綱の品格」を欠く朝青龍に対して、毅然とした態度を貫かれたのでした。
横綱の品格?
そんなことから、内館さんは朝青龍のことが嫌いなのだと、世間からは思われていたのですが、
内館さんは、そのことについて、
朝青龍とのバトルが取りざたされていた最中から、私は“朝青龍は男としては魅力的。でも横綱としては最悪”と言っていました。
彼は頭の回転もよくて、男気も情もあり、血の気も多くて、なおかつチャーミング。だから男としてはとても魅力的で、プロスポーツ選手としては尊敬していたんです。
相撲には相撲道という精神があり、横綱は俗世間の人間くささや男くささを封じ込めて、人間離れした境地に立たなくてはなりません。
双葉山しかり、大鵬しかり、貴乃花しかり、白鵬しかりですが名横綱と呼ばれる人たちは、そういった社会の俗のところを封じ込めて、己を磨いてきた人たちです。その点でいうと朝青龍は横綱としての品格が欠けていたから、苦言を呈していました。
私は“横綱”として朝青龍を認めていなかっただけで、もしも相撲と離れたところで出会っていたなら、きっとすごく気があっていたと思います。
と、決して嫌いだったわけではなく、「横綱としての品格に欠けていた」ことが我慢ならなかっただけだということを明かしておられます。
ちなみに、この、内館さんのおっしゃる「横綱としての品格に欠けていた」部分とは、
- 2007年、朝青龍は、左手や腰痛を理由に巡業を休んだのですが、その間、故郷モンゴルで、サッカーに興じていた
- この頃、うつ病と診断され、「死にたい」と漏らしていた
- 2010年1月場所中の1月16日、泥酔暴行騒動を起こした
などを、あげておられるのですが、
一方、朝青龍は、後に、「横綱の品格」について、
何でしょうね。みんなに合わせる、ということかな。私は他人の生き様より自分の生き様が大事で、常にマイウェイだったから。
と、おっしゃっており、
内館さんと幾度もバトルを繰り返したことについても、
(ニヤリと笑って)元気に生きてますか? 彼女の辛口も、私を強くしてくれたと思うよ
と、語っておられました。
夫は?子どもは?
そんな内館さんの、気になるプライベートですが、内館さんは、これまで一度も結婚されておらず、独身です。
そのため、お子さんもいらっしゃいません。
さて、いかがでしたでしょうか。
内館さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 幼少期は病的に内気だった
- 幼稚園から相撲に夢中に
- 小学生時代は「神童」と呼ばれる
- 東京の小学校ではカルチャーショック
- 中学・高校では水泳部に入部
- 早稲田大学不合格で武蔵野美術大学に
- 枠にはまらない武蔵野美術大学の学生に圧倒される
- 「三菱重工業」にコネで入社
- 「日本相撲協会」に転職希望し何度も電話
- シナリオライター養成学校に通う
- NHKで脚本の指導を受けラジオドラマを手掛ける
- 「向田邦子になります」と会社を退職
- 「バラ」での菅原文太の一言を励みに
- 松下由樹との関係からドラマ「オイシーのが好き!」の脚本オファー
- 「想い出にかわるまで」が大ヒット
- NHK朝の連続テレビ小説「ひらり」がメガヒット
- 「終わった人」
- 「すぐ死ぬんだから」
- 脚本作品(映画、テレビドラマ)
- 朝青龍とバトル<
- 朝青龍とハグで和解?
- 度重なるトラブルで朝青龍が引退
- 横綱の品格?
- 夫は?子どもは?
について、まとめてみました。
転職目的で習い始めたシナリオライター養成学校で、最初はなかなか芽が出なかったものの、最終的には、見事、時代の波に乗り、あれよあれよと人気シナリオライターとなられた内館さん。
とはいえ、13年間務められた会社員生活も、創作するうえで非常に役に立っていることから、すべて、シナリオライターになるための、必要な経験だったのかもしれませんね。
デビュー時すでに40歳ということで、内館さんのバイタリティには驚かされますが、70歳を回っている現在も現役続行中ということで、これからも、まだまだ内館さんからは目が離せません!!
「内館牧子の相撲好きは幼少期のイジメがきっかけ?小学校時代は神童?」