史実に基づいた演出を追求するあまり、共演者やスタッフから疎まれ、「新五捕物帳」では山城新伍さんと険悪になったという、杉良太郎(すぎ りょうたろう)さんですが、そのリアリティの追求は半端なかったようです。
「杉良太郎は山城新伍と不仲だった!鶴田浩二も激怒させていた?」からの続き
切腹シーンで本当に切腹?
杉さんは、舞台では、「水戸黄門」「遠山の金さん」「大江戸捜査網」などテレビ時代劇でのヒーロー役とは打って変わって、悲劇的な死を迎える役を多く演じられており、
今度はどうやって死んでやろうかって、ずっと考えているんです。死の美学というのを追求してね。人間は誕生する時には意思はないけど、死は自分の手によってできる。
ですから、この役はどう斬られ死んでいったのか、苦しかったのか、痛かったのか、どんな想いでいたのか、追求するんですよ。私は狂気の世界に入りたかった。
と、おっしゃっているのですが、
例えば、大阪「新歌舞伎座」で行われたお芝居での、ラストの徳川家康の嫡子・信康が切腹するシーンでは、
千秋楽に本当に腹を切りたくなった。お客さんの目に焼き付けて本当に死んでやりたい、と一週間くらい考えたんです。
と、考えた結果、小道具係にホルモン屋で”豚の腸”を買ってきてもらうと、
よくできてるじゃないか。人間のもあんまり変わらんな。
と思われたそうで、
回り舞台の奈落の下にラップを敷いて、バケツに入った豚の臓物を並べ、その臓物に血のりをたっぷりと足し、ラップでしっかりと巻き、それを、鎖かたびらを着た上に、お腹のあたりに置いて、上から白いサラシで巻き、さらにその上に白装束を着られたそうで、
舞台では、最後の切腹の場面で、着物をはだけ、なんと、さらしの上から、本物の短刀を突き刺したというのです。
腹から腸が垂れ大パニック
すると、大量の血が客席まで噴き出し、客席はシーンとなったそうで、そこで、杉さんは、とどめに、短刀を右へグググッと斬ると、お腹からは腸(豚の腸)が。
さすがに、それを観たお客さんはドン引きし、「うわあ…」とイスに沈み込んだそうですが、その後、介錯(かいしゃく)されて、杉さんが倒れたところに、緞帳(どんちょう)が下りたため、
会場は、
救急車!
警察へ電話せえ
と、大パニックになったというのです。
その後、楽屋に戻った杉さんは、
あれは本当にやったんやで
いや、本当に死ぬか?
えらいこっちゃ
などという会場の声をモニターを通して聞いたそうですが、
杉さんは、
これが杉演劇や!みたいな。ほかの人にはできない、考えもしない。千秋楽ですから、それまでにすでに何度も見てくださっているお客さんもいますよね。
普通の演出家は、それまでと変わらない脚本・演出で、無事に終われば「あぁ、良かった」という思いではないでしょうか。
だけど私は座頭として責任があるから、お客さんには「絶対また行こう」「舞台はテレビよりすごいな」と思ってもらいたい。客を呼ぶ芝居をしなければ、商業演劇は成り立たないですよ。お客様にいかに楽しんでもらえるかを考えた時に、リアリズムの追求が大事だと思ったんですよね。
「森の石松」では本見の刀を使って立ち回りをしたことがある。相手役の首元を斬ると、血のりがバーッと舞台に広がって。出演者まで「救急車、救急車」と言うほど。
と、語っておられました。
人を斬った時に出る音は「ズバッ」ではない?
また、テレビ時代劇を観ていると、人を斬った時に、「ズバッ」「ザバッ」などの効果音が入りますが、杉さんによると、本当はそうではなく、「濡れ雑巾を地べたに叩きつけたような音」がするそうで、
(人間(生き物)は水分でできているため、水気の多いものを斬ると、そのような音がするそうです)
杉さんは、そんな効果音にまでリアリティにこだわるほか、
相手の刀が竹光だったら怖いものなしだけど、本身の刀だったらこっちも用心する。切っ先が当たっただけで指が飛ぶからね。それは許されないわけですよ。
本物の刀を持ってにらみ合っていたら、自然と立ち回りも慎重になるし、緊張感が生まれる。それは客席には伝わりますから。
と、出来る限りのリアリティを求めておられるのだそうです。
ただ、杉さんは、
私の芝居はリアリズムと様式美の混合。新劇はリアリズムを追いかけた芝居。歌舞伎は様式美で魅せます。だから私はリアリズムと様式美の真ん中を行く。それが杉演劇だと。
とも、おっしゃっています。
「遠山の金さん」ではリアリティを求め勝手にセリフを変えていた
そんな杉さんは、テレビ時代劇「遠山の金さん」で、主人公の江戸町奉行・遠山金四郎景元を演じられた際には、
罪人を裁くシーンで、罪人に情をかけ、情状酌量するシーンがあったそうですが(情状酌量するのもどうかと思うほどの重罪だったそうです)、
罪人役の役者が、
ありがとーございます
と、ものすごく軽い演技をしたそうで、
これにムカついた杉さんは、監督を呼んで、
このセリフが気に入らない。役者に心がないよ。だから、俺は情状酌量したくない。打首獄門にすればいい。
と、言われたそうで、
監督が、ストーリーが変わってしまうと戸惑うのも構わず、本番の撮影では、
本来ならばこうしたいところだが…
打首獄門に処す!
と、勝手にセリフを変えられたのだとか。
これには、罪人役の役者も驚き(台本にはそのようなことが書かれていないため)、
えっ、打首獄門。私がですか?
と、なったそうですが、この場面は、そのままテレビで放送されたそうで、
いつまでも甘い顔してるんじゃない! 遠山さんだって厳しい時があるんだ。罪の意識が足りないよ
と、杉さんはおっしゃっていました(笑)
感情までリアルに
ちなみに、杉さんは、このことについて、
これが本当の遠山裁きよ。遠山さんだって、いつも優しいわけじゃない。当たり前のこと。
この時も本当は小遣いまで渡して「これで幸せに暮らせよ」って言うはずだったんだけど、何が幸せだこの野郎!って。撮影前に役者をお白洲の前に呼んだわけ。
「お前、心ってもんがないのか? 命を助けられて、これだけ優しく言われて、小遣いまでもらって…台本のどこを読んだんだ」
普通だったら、お白洲の玉砂利を握って、控室まで泣きながら帰るぐらいの場面だよ。それを軽く「ありがとーございます」って。監督も何も言わないし。
「テレビのドラマだし、堅いこと言わなくても。優しく言ってやってくださいよ」と言われても、「テレビだからって気を抜いていいわけじゃない。たくさんの人が見てるんだよ」と思うんです。
と、おっしゃっており、
見た目だけでなく、感情のうえでも、徹底したリアリティを追求されているのだそうです。
「杉良太郎の人脈が凄い!田中角栄に福田赳夫に竹下登に小渕恵三に・・・」に続く