対外的には「キャロル」として大ブレイクした、矢沢永吉(やざわ えいきち)さんですが、バンド内では、メンバーの不祥事や失踪ほか、数々のトラブルがあり、ついに、1975年、人気絶頂のさなか解散。今回は、その解散の原因について調べてみました。

「矢沢永吉は昔ミッキーカーチスに騙されていた?」からの続き

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キャロル解散

バンド内では様々な軋轢(あつれき)を抱えつつも、1974年3月にはヨーロッパツアーに出発し、3月21日~4月5日にはパリで行われた山本寛斎さんのファションショー「カンサイ・イン・パリス」に出演して、「ルイジアンナ」「ヘイ・タクシー」「憎いあの娘」を演奏し、帰国後の4月13日からは全国ツアーを開始するなど、精力的に活動していた「キャロル」ですが、

ついに破綻し、1975年4月13日には、日比谷野外音楽堂で解散ライブを行うことになります。

すると、解散ライブ当日は、3千人収容の会場に7千人が詰めかけ、さらには、特殊効果用の火がセットに燃え移って「CAROL」と書かれた電飾が焼けて崩れ落ちるというハプニングにも見舞われたそうで、

そのあまりにも印象的なハプニングを演出と思ったファンも多く、後にファンの間では伝説となり、現在も、歴史的な名シーンとして語り継がれることとなったのでした。

ちなみに、解散ライブの模様は、同年7月12日に、「特番ぎんざNOW!」という番組で1時間枠が組まれ、「グッバイ・キャロル」というタイトルで放送されたのですが、日本のロックバンドのライブ映像がテレビ放映されたのは、これが初めてだったそうです。

矢沢とジョニー大倉が不仲

ところで、この解散の原因はどのようなものだったのでしょうか。

ジョニーさんは、2013年、「週刊新潮」(1月24日号)で、矢沢さんと確執があったことを明かされています。

ジョニーさんは、2013年1月16日、「キャロル」の曲をセルフカバーしたアルバム「アイ・リメンバー・キャロル・バイ・ジョニー」を発売されているのですが、

ジョニーさんによると、矢沢さんが作詞作曲をしたキャロルの曲「涙のテディ・ボーイ」「夏の終り」を収録しようとし、矢沢さんに許可を求めるも、矢沢さんが許可してくれなかったそうで、

とにかく矢沢さんは“キャロルは俺のもの”という意識が強い

と、話すほか、

矢沢さんが、前年の2012年、横浜・日産スタジアムで40周年記念ライブを開催した際、「キャロル」でリードギターを担当していた内海利勝さんと37年ぶりに共演を果たしたことについても、

内海くんだけは呼んで(中略)僕には声もかけやしない。そういうひどいことを平気でする

また、「キャロル」解散後、ジョニーさんは俳優に転身されているのですが、ジョニーさんが俳優として評価され始めた頃、矢沢さんから、

ジョニー、ギャラいくらもらってんだ

と、声をかけられ、

相変わらず金にうるせえオヤジなんだなって思ったね

さらには、10年前、矢沢さんの事務所が「キャロル」の肖像権や商標を管理することに自身が合意したにもかかわらず、

矢沢さんには美味しいところを全部持っていかれた悔しさがあるかな……

と、矢沢さんに対する恨み節を連ねたのでした。

ジョニー大倉はキャロルのファンにも嫌われていた?

ただ、某音楽関係者は、

キャロルの解散、長年の確執の原因は、矢沢がキャロルの実権を握ったのをジョニーが恨んでいるからだが、バンドの中期にジョニーがドラッグ依存で失踪、生活に破綻を来たすなど、バンドに多大なる迷惑をかけた。

それでも、矢沢はジョニーの音楽性を高く評価していたが、最後はジョニーが不満を爆発させて活動わずか3年で解散。

ジョニーはしばらくおとなしくしていたが、矢沢にキャロルの権利関係を押さえられて納得いかなかったようで、03年に「キャロルは矢沢だけのものじゃない。(メンバーの)3人(ジョニー、内海、ユウ岡崎)は矢沢のバックバンドじゃない」と発言して反撃ののろしを上げると、以後2冊の“暴露本”やメディアで矢沢バッシングを繰り返してきた。

しかし、矢沢はまったくジョニーの挑発に乗ることがなかった。

と話しており、

そんなことから、ジョニーさんは、矢沢さん以上に、矢沢さんの側近、矢沢さんの当時の奥さんから嫌われていたほか、音楽業界からも冷ややかな目線が向けられており、

しかも、この音楽関係者によると、

おそらく、矢沢の40周年コンサートにジョニーが出てきても、これまでの経緯から大ブーイングを浴びることになっただろう。

ファンの間でも知られるエピソードとして、キャロル時代から矢沢の(元)妻は、内海から自宅に電話があればゴキゲンで矢沢に取り次いだが、ジョニーからの電話は「いい話じゃないな」と直感して、居留守などを使って取り次がなかったという。

と、なんと、「キャロル」のファンもジョニーさんを嫌っていたというのです。

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キャロル解散はジョニー大倉の逆恨みが原因だった?

その後も、この音楽関係者は、

とにかく、矢沢の妻が嫌ったのがジョニーの“二枚舌”。別の関係者には平気で矢沢の悪口を言うくせに、矢沢の前では急にいい顔をしたりすることがキャロル時代からあった。

最近のメディアのインタビューを見てみても、今回の「新潮」では堂々と矢沢批判を展開しているくせに、先に発売されたスポーツ紙では、デビュー40年間で最も印象的だったことを聞かれて「宿命的に矢沢永吉と出会ったこと」と即答。

矢沢のライブについても「矢沢さんの40周年を祝い、何万人ものファンがきた。彼の力。そこで内海君が3曲ほどやったそうですね。うれしいことです」と歯の浮くようなコメントをしている。一体、どちらが本当のジョニーなのか?

と、ジョニーさんをこき下ろしているのですが、

矢沢さんは、これからもっともっと大きくなって人気が出るであろうバンド「キャロル」を解散したくない気持ちが強く、ドラッグをやってステージを空けたジョニーさんが帰ってくるのをいつまでも待ち、許していたにもかかわらず、ジョニーさんが解散を望み、解散となったといわれているので、

解散の直接の原因は、ジョニーさんの矢沢さんに対する逆恨み(嫉妬)だったのかもしれません。

ただ、矢沢さんが最初に組んだバンド「ザ・ベース」で、矢沢さんとともに音楽活動をされていた木原敏夫さんは、後に、

(矢沢さんと大倉さんが不仲だったことについて)それはしょうがないよ。キャロル時代になるとビジネスが絡んできた。曲を作る矢沢がリーダーで、そこにジョニー大倉(川崎出身の元キャロルのメンバー)のようなナンバー2がいれば反感持つのは当たり前だよ。その点、俺たちの頃は20歳の損得のないときだった。

だから、俺と藤田ともう一人の相沢(矢沢さんがソロになったときバックバンドのバンドマスターを任された人)の4人は、矢沢と親睦を深めて今でも仲が良いんだ。

相沢は藤田と同じ神大(神奈川大学)の音楽クラブに所属してて、ギターが上手かった。木原と同時期くらいに神大の文化祭で矢沢に紹介した。俺たちは今でも年に2・3回は会って食事したりしてるよ。今の政治のこととか、普通のおじさんの話をしてるんだ。

と、ジョニーさんにも理解を示されていることから、外部からは分からない、メンバーならではの問題もあったのかもしれませんね。

「矢沢永吉は昔35億の詐欺被害も借金完済したうえ15億ビル建設していた!」に続く

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