流しの歌唄いを7年もやり、ようやく、作曲家の船村徹さんに引き立てられるも、なかなか芽が出ず、不本意にもギター漫才までさせられた、北島三郎(きたじま さぶろう)さんですが、1962年、26歳の時、ついに、レコードデビューを果たします。
「北島三郎の若い頃の下積みが凄すぎる!流し7年にギター漫才も!」からの続き
「なみだ船」がミリオンセラーに
作曲家・船村徹さんの門下生になるも、時代がロックンロールやロカビリー一色になっていたこともあり、なかなかレコードデビューすることが出来なかった北島さんですが、
ある時、船村さんが、銀座で飲んでおられた際、消防車がサイレンを鳴らして走ってきたのを、みんなが一斉に注目したのを見て、
これだ!
と、ひらめかれたそうで、
お前、生まれつき鼻の穴大きいから、吸い込み良いから。これは、歌えるからいけ。
と、1962年6月、「なみだ船」という曲で、北島さんをデビューさせると、なんと、いきなり、ミリオンセラーとなる大ヒット。
「なみだ船」より。
北島さんは、見事、その年の「レコード大賞」新人賞に輝いたのでした。
ちなみに、船村さんは、
とにかく消防車のサイレンじゃないけど、「なみだの~」と一発ばぁ~んとあの子にね。それでやらしたんですよ。そしたらまぁ~こっち見てくれましてね。ええ。それがデビューがミリオンになりましてね。
と、明かされているのですが、
北島さんの、パンチの効いた歌い出しは、消防車や救急車のサイレンのように、聴いている者の心にインパクトを残したのでしょうね。
本当のデビュー曲は「ブンガチャ節」
ところで、北島さんは、デビュー前、この「なみだ船」と共に、「ブンガチャ節」という曲も録音されていたそうで、
この2曲がメジャーデビュー曲の候補だった中、「なみだ船」でデビューが決まるも、実は、土壇場になって、「ブンガチャ節」でデビューされていたというのです。
「ブンガチャ節」より。
ただ、この曲が、卑猥な表現を含んでいたことから、たった3回放送されただけで、発売から1周間で放送禁止となってしまったそうで、北島さんはガックリ。
すると、船村さんが、
いいじゃないか、お前のデビュー曲は本当はこっちだったんだから、もうレコーディングしてんだから。
と、その3ヶ月後に、「なみだ船」をリリースされ、2曲目となる「なみだ船」が、事実上のデビュー曲と扱われたのでした。
ちなみに、「ブンガチャ節」は、もともと、渋谷等の繁華街で、流しが歌っていた春歌(猥歌)の歌詞を変えて売り出したものだったそうで、「あの娘、いいコだ、こっち向いておくれ~」のあとの「キュッキュキュー」という合いの手が、「ベッドが軋む音」を連想させ、いやらしいとなったと言われています。
「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」が大ヒット
以降、北島さんは、
1962年10月「東京は船着場」
12月「さよなら船」
1963年3月「恋慕流し」
4月「男の灯り」
「男の友情」
5月「思いだしたら泣いてくれ」
6月「東京五輪音頭」
8月「ギター仁義」
10月「なんだんべ」
11月「白壁の町」
12月「純情航路」
「さむらい船」
「銀座の庄助さん」
1964年2月「ソーラン仁義」
4月「喧嘩辰」
5月「やん衆かもめ」
7月「三郎太鼓」
9月「想い出ギター」
10月「男の情炎」
11月「男の日記」
12月「あばよ東京」
1965年1月「にしん場育ち」
3月「ぬかづけ ふるづけ いちやづけ」
と、立て続けにシングルをリリースするも、どれもパッとしなかったのですが、
1965年3月発売の「兄弟仁義」が大ヒットを記録すると、同年4月発売の「帰ろかな」、同年11月発売の「函館の女」も大ヒットを記録。
こうして、北島さんは、演歌歌手としての、人気と実力を不動のものにされたのでした。
「兄弟仁義」より。
「帰ろかな」より。
「函館の女」より。
「兄弟仁義」で映画スターに
また、「兄弟仁義」は、同年、北島さん主演で映画化されているのですが、この映画も大ヒットを記録し、
1966年「兄弟仁義 関東三兄弟」
1967年「兄弟仁義 関東命知らず」
1968年「兄弟仁義 逆縁の盃」
と、シリーズ化。
北島さんは映画スターとしても活躍するようになったのでした。
「与作」が大ヒットを記録
そして、1978年には、シングル「与作」が、NHKで全国的に発表されたことほか、民謡に近いシンプルな歌詞やメロディのため、年代を問わずに人気を獲得し、大ヒットを記録。
「与作」が大ヒット
この「与作」は、当時、エポック社のカセット式家庭用ゲーム機「カセットビジョン」のソフトウエアとして発売された、「きこりの与作」というゲームの中で、「ヘイヘイホー」というフレーズが使われたほか、
1997年には、富士写真フイルム(後の富士フイルム)のレンズ付きフィルム「写ルンです」のCMソング、
2014年には、映画「テルマエ・ロマエII」で、挿入歌とエンディング曲に使われる
など、時代を越えて愛されています。
(実は、北島さんのほか、弦哲也さん、千昌夫さんなどが同曲をリリースしているのですが、原曲に少しアレンジを加えた北島さんのバージョンが一番ヒットしたのだそうです)