「東映」岡田茂さんにスカウトされ、サラリーマンから俳優に転身すると、いきなり主演で俳優デビューした、渡瀬恒彦(わたせ つねひこ)さんですが、やんちゃなほどの熱い情熱で、早々に周りを認めさせ、一目置かれる存在になっていきます。
「渡瀬恒彦は昔サラリーマンから俳優に転職していた!」からの続き
当初はひどい演技だった?
演技経験が全くない中、サラリーマンから俳優に転身し、数日後には、岡田茂さんからの「やれ」の一言で、映画「殺し屋人別帳」の主演でデビューされた渡瀬さんですが、
当初、その演技は、凄まじいまでにひどかったそうで、渡瀬さんは、間違った世界に来てしまったかと、とても落ち込んだそうです。
「殺し屋人別帳」より。
東映のバックアップで現代的なアクションスターに
しかし、そんな渡瀬さんの思いとは裏腹に、悩む暇がないほど、次から次へと仕事のオファーが舞い込んで来たそうで、
1970年「監獄人別帳」
「三匹の牝蜂」
「不良番長 出たとこ勝負」
「経験」
「最後の特攻隊」
「㊙️女子大寮」
「ずべ公番長 東京流れ者」
「三匹の牝蜂」より。大原麗子さんと渡瀬さん。
1971年「博徒外人部隊」
「博奕打ち いのち札」
「関東テキヤ一家 喧嘩火祭り」
「ずべ公番長 ざんげの値打もない」
「暴力団再武装」
「不良番長 やらずぶったくり」
「博徒斬り込み隊」
「悪の親衛隊」
「現代やくざ 血桜三兄弟」
「不良番長 突撃一番」
「暴力団再武装」より。鶴田浩二さんと渡瀬さん。
1972年「銀蝶渡り鳥」
「ゾロ目の三兄弟」
「ギャング対ギャング 赤と黒のブルース」
「木枯し紋次郎」
「まむしの兄弟 傷害恐喝十八犯」
「不良番長 一網打尽」
「やくざと抗争」
「昭和極道史」
「銀蝶流れ者 牝猫博奕」
「狼やくざ 葬いは俺が出す」
「麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄」
「麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄」より。千葉真一さん(左)と渡瀬さん(右)。
1973年「仁義なき戦い」
「仁義なき戦い 代理戦争」
「鉄砲玉の美学」
「まむしの兄弟 刑務所暮し四年半」
「恐怖女子高校 暴行リンチ教室」
「狂走セックス族」
「女番長 感化院脱走」
「実録 私設銀座警察」
「ボディガード牙 必殺三角飛び」
「女番長 タイマン勝負」
「仁義なき戦いシリーズ」より。
と、立て続けに映画に出演。
というのも、「東映」は、それまで着流しのやくざが悪を退治するという任侠映画をヒットさせて来たのですが、渡瀬さんが入社した頃には、すでに日本は高度経済成長が過去のものとなり、先行きが不透明な時代に突入していたことから、
単純に、悪をやっつけてハッピーエンドという展開が観客に受け入れられなくなり、その路線は人気に陰りを見せ始めていたそうで、
そんな状況を打破すべく、新人の渡瀬さんを現代的なアクションスターに仕立てようと、大々的に売り出していたのでした。
デビュー当時からやんちゃで別格扱いだった
ところで、デビュー当時の渡瀬さんはというと、とにかくやんちゃで熱く突っ走っていたそうで、渡瀬さんと旧知の仲だった「東映」の奈村協さんによると、1972年、テレビドラマ「かげろう忍法斬り」で渡瀬さんと初対面された際には、
(当初、「かげろう忍法斬り」はお兄さんの渡哲也さんが主演として出演されていましたが、渡さんが体を壊し、渡瀬さんが途中から代役での出演となっていました)
「かげろう忍法斬り」より。渡瀬さん(左)と近衛十四郎さん(右)。
奈村さんが、ある朝早く、「東映」京都撮影所に入ると、撮影所の駐車場から「キキーッ」という凄まじい音が聞こえてきたため、何かと思って見に行くと、渡瀬さんが、愛車の「フェアレディ240Z」を使ってスピンの練習をしていたり、
(渡瀬さんいわく、車やスタントが好きだったとのこと)
突然、
奈村な、東京へ運ぶ荷物がないか?
と、聞いてきて、
当時、新幹線でも東京から京都まで3時間15分かかるところを、
俺だったら3時間で本社に運んだる
と、豪語されたりしたそうです(笑)
そして、そんなやんちゃで熱い渡瀬さんは、次第に、「東映」京都撮影所でも認められていったそうで、通常、若い人は、愛称で「〇〇ちゃん」「〇〇ぽん」と呼ばれるところを、
渡瀬さんだけは別格で、中島貞夫、工藤栄一、深作欣二、山下耕作といった監督をはじめ、あらゆる人から、「恒さん」と呼ばれようになっていったのでした。
「渡瀬恒彦の若い頃はスタント無しでジープの下敷き!大ケガしていた!」に続く