ある年齢以上の日本人なら誰もが知っている、あのドラえもんの声で有名な、大山のぶ代(おおやま のぶよ)さん。そして、ドラえもんの声は大山のぶ代さん以外には考えられないと思えるくらい独特の声でしたが、実は少女時代はその声でイジメられ、ふさぎ込む毎日を送っていたといいます。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

大山のぶ代さんは、1933年10月16日生まれ、
東京府東京市渋谷区(現・東京都渋谷区)のご出身、

身長162センチ、

血液型はO型、

学歴は、
渋谷区立広尾中学校
⇒東京都立三田高等学校卒業

ちなみに、本名は「山下 羨代(やました のぶよ)」(旧姓:大山)で、
愛称は「ペコ」だそうです。

趣味はアルカノイド!別荘に筐体も!

大山のぶ代さんは、1988年、空港や駅での待ち時間の暇つぶしとして始めた、ブロックくずしゲーム「アルカノイド」に夢中になったそうで、それ以降、仕事で地方へ行くと、ゲームセンターを回るようになったそうです。

そして、ついには、自身の別荘にアルカノイドの筐体(きょうたい)を所有するまでになったそうで、結果、自己最高記録は公式2位の記録(約120万点)に匹敵するするほどだったそうです。

(ちなみに、「アルカノイド」以外のゲームは一切苦手だそうです)

特徴的な声がコンプレックスだった

さて、大山のぶ代さんは、幼い頃は、

3分間黙っていられたらおやつをあげる

と、お母さんにあきれられるほど、とにかくおしゃべりな子どもだったそうですが、

中学校に入学すると、突然、同級生に声をからかわれるようになったそうで、やがて、声が出なくなり、学校から家に帰ってもふさぎ込む日々を送ったそうです。

そのうち、お母さんが、そんな大山のぶ代さんの様子に気付き、大山のぶ代さんが学校での出来事を打ち明けたところ、

お母さんは、

声が変だからといって、その弱いところをかばってばかりいたらもっと弱くなってしまう。声を出すような部活動をしなさい。

と、言ったそうで、大山のぶ代さんは、それならばと、応援部に入ろうとしたそうです。

ただ、応援部は、女性ということを理由に断られてしまい、そのため、放送研究部に入ることに。

そして、毎日、校内マイクでアナウンスをしたり、ラジオドラマを作って流したりしていると、最初はバカにする人もいたそうですが、ついには、面と向かって大山のぶ代さんをからかう人はいなくなったのだそうです。

その後、大山のぶ代さんは、演劇部に誘われ、シンデレラの継母役で初舞台を踏んだそうで、そこでお芝居の楽しさに目覚めると、高校進学後は演劇部に入部。演じることが、どんどん楽しくなっていったのだそうです。

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高校2年生の時に母親が他界

しかし、大山のぶ代さんが高校2年生の時、お母さんが「子宮ガン」で、42歳という若さで他界。

大山のぶ代さんは、常日頃、お母さんから、

これからは女も手に職の時代

と、言われて育ったそうですが、

自分も大人になり結婚して子供を持っても、母位の年になったらきっとこうして癌で死んでゆく、それでは死んでゆく私も可哀そうだけど残された子供はもっと可哀そうだ…。

だから私は一生子供は持つまい、子供を持たないのだから結婚もすまい、と心に決めたのです。でも、それから考えました、女が一生一人で生きてゆくためには何か手に職をつけておかなくてはいけない、それにどうせ職業で一生食べてゆくのなら自分の好きなことを職業にしたい。

と、あまりに早いお母さんの死が、そんな大山のぶ代さんに輪をかけ、

お芝居やマイクの前で話すことが好きだったことから、一生、一人で生きていくため、

女優になろう

と、決心されたのでした。

「大山のぶ代の若い頃は俳優養成所!喜劇役者もしていた?」に続く

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