「アルツハイマー型認知症」を発症後は、長らくご主人の砂川啓介さんの献身的な自宅介護を受け、砂川啓介さんのガン闘病に伴い、老人ホームに入所してからも、砂川啓介さんに支えられた、大山のぶ代(おおやま のぶよ)さん。今回は、そんな大山のぶ代さんと、砂川啓介さんの馴れ初めほか、お二人の深い絆についてご紹介します。

「大山のぶ代は老人ホームの人気者も夫の法要には出席できず!」からの続き

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夫・砂川啓介との馴れ初め

大山のぶ代さんは、1964年、俳優でタレントの砂川啓介さんと結婚されています。


大山のぶ代さんと砂川啓介さんの結婚式より。

お二人は、1963年8月、舞台「孫悟空」での共演がきっかけで知り合い、その後、交際に発展するのですが、ご主人・砂川啓介さんの著書「カミさんはドラえもん」によると、


カミさんはドラえもん

二人でドライブに行った際、不良に絡まれている中学を卒業したくらいの少年を見かけたそうですが、お互い示し合わせた訳でもないのに、とっさに田舎から出てきた夫婦を演じてその不良に道を尋ね、そのすきに少年を逃してあげた、という出来事があったそうで、このことがきっかけとなり、結婚を考えるようになったとのこと。

ちなみに、砂川啓介さんは、1961~1969年、NHK教育番組「うたのえほん」(1966年に「おかあさんといっしょ」に統合)の初代「たいそうのおにいさん」として活躍されており、


「たいそうのおにいさん」時代の砂川啓介さん。

大山のぶ代さんも、当時、NHK教育番組「おかあさんといっしょ」内のコーナー、人形劇「ブーフーウー」で声優をされていたのですが、お互い面識はなく、

大山のぶ代さんは、舞台「孫悟空」の楽屋に挨拶に来た砂川啓介さんを、なんと、出前のおそば屋さんだと勘違いされたそうです(笑)

子どもを2度も失い妊娠恐怖症に

ちなみに、結婚後、大山のぶ代さんは、どれほど「ドラえもん」で人気を博そうとも、亭主関白だった砂川啓介さんを立て、いつも一歩引いた控えめな奥さんだったこともあり、おしどり夫婦と呼ばれるほど仲が良かったお二人でしたが、お子さんはいらっしゃいません。

実は、大山のぶ代さんが32歳の時、第1子となる男の子を妊娠するも、妊娠7ヶ月で死産してしまい、38歳の時にも、第2子である女の子が誕生するのですが、妊娠7ヶ月の未熟児で、先天性の心臓と肺の疾患のため、生後3ヶ月で亡くなっているのです。

そして、ついに、お二人に子供が授かることはなかったのですが、

砂川啓介さんは、著書「娘になった妻、のぶ代へ」の中で、

実は、僕たちは娘の絵梨加を亡くして以来、今日に至るまで、ずっと寝室を別にしている。そう、いわゆる“夫婦生活”がまったく存在しなかったということだ。お腹に宿した二つの命を失ったカミさんは、妊娠恐怖症──つまりセックスを怖がるようになった。

と、その理由を明かし、

「自分はもう夫の子供を産むことができない」と思った大山のぶ代さんから、

他の女性と浮気してもいいわよ

と、言われたことがあったことも明かされています。


娘になった妻、のぶ代へ

夫・砂川啓介による献身的な介護

そんなお二人ですが、2012年に、大山のぶ代さんが「アルツハイマー型認知症」を発症し、

  • 5分前のことを忘れる
  • 徘徊するようになる
  • トイレの使い方を忘れ、ところかまわず粗相をする
  • 排泄物をつかんだ手でベッドやシーツを触る
  • 大人用のおむつをするも、おむつに出した排泄物も、また、手で触ろうとする

などの症状が現れると、

排泄物の処理や汚れたシーツを洗うほか、衣服を汚した大山のぶ代さんをお風呂に入れて体を洗うなどの世話は、夫である砂川啓介さんの日課となるのですが、70代も半ばに差し掛かる砂川啓介さんにとって、それは想像を絶する重労働だったそうです。

また、医師から処方された認知症を遅らせる、いくつかある薬の飲み方を何度説明しても忘れてしまう大山のぶ代さんに、砂川啓介さんは声を荒げてしまうこともあったそうですが、そのたびに自己嫌悪に陥り、心身ともに追い詰められ、お酒の量も増えていったのだそうです。

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夫・砂川啓介は亡き娘と認知症の大山のぶ代を重ね合わせていた

それでも、砂川啓介さんは、

「おやすみなさい、啓介さん」。こう言うと両手を大きく広げて、あのドラえもんのような笑顔で僕にハグを求めるカミさん。

(中略)結婚から半世紀経った今になって、毎晩ギュッと夫婦で抱きしめ合うようになるなんて。この年になって初めて、夫婦のぬくもりを今、痛切に感じている。

と、大山のぶ代さんを施設に入れるという選択肢はなかったそうで、

代わりに今、妻が子供になって自分の元に来てくれたんだって。

今、彼女は完全に子供になっている。やんちゃな娘ができたという感じでいとおしい。

と、微笑みながらハグを求めてくる大山のぶ代さんに、赤ちゃんのうちになくなった娘さんの姿を重ね合わせ、大山のぶ代さんと肉体的な触れ合いがなくなったからといって、夫婦としての絆が切れることはなかったのでした。

さて、いかがでしたでしょうか。

大山のぶ代さんの、

について、まとめてみました。

万が一、自身が先に逝ってしまった時の、一人残された大山のぶ代さんのことを心配し、

子供はいないんだから、「孫=俺の生まれ変わり」が欲しい。ひ孫でもいい。俺の生まれ変わりが欲しいな。そんな事しか思いがいかない、最近。

と、著書「娘になった妻、のぶ代へ」に綴られていた砂川啓介さんですが、

当の大山のぶ代さんは、棺の砂川啓介さんを見た瞬間は、「お父さん」と言って泣き出したものの、その数分後には忘れてしまい、その後は、それっきり忘れてしまったかのか、一切、砂川啓介さんの話をされていないという、悲しい現実。

現代社会では、けして他人事ではないのかもしれません。

「大山のぶ代の生い立ちは?少女時代は変な声とイジメられていた!」


新婚当時の大山のぶ代さんと砂川啓介さん。

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