戦後、映画「子連れ狼」をはじめ、数多くの時代劇に出演し、殺陣の名手と称された、若山富三郎(わかやま とみさぶろう)さん。今回は、そんな若山さんの生い立ちからブレイクまでの経緯についてご紹介します。

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出身は?本名は?旧芸名は?

若山さんは、1929年9月1日生まれ、
東京府東京市深川区(現・東京都江東区)のご出身、

学歴は、
旧制日本大学第三中学校卒業、

ちなみに、本名は「奥村勝(おくむら まさる)」で、旧芸名は「城 健三朗(じょう けんざぶろう)」です。

身長は?

若山さんの身長は不明ですが、弟の勝新太郎さんが173センチだと言われていることから、その勝さんとほぼ背格好が同じ若山さんも、173センチくらいと考えられています。(写真を見る限りでは、若山さんの方が少し高いかもしれません)


若山さん(左)と勝新太郎さん(右)。


若山さん(左)と勝新太郎さん(右)。


若山さん(左)と勝新太郎さん(右)。

ちなみに、身長が156センチの中村玉緒さんとのツーショット写真の勝さんを見る限り、勝さんの身長が173センチというのも妥当そうです。


中村玉緒さんと勝新太郎さん。


中村玉緒さんと勝新太郎さん。

戦前の俳優は身長が低い人が多く、若山さんも勝さんも160センチくらいだったのでは・・・との説がネット上ではあるようですが、これらの写真を見る限りでは、お二人とも、そこまで低かった訳ではなさそうです。

趣味はスーパーマリオブラザーズ

若山さんの趣味は、任天堂のゲーム「スーパーマリオブラザーズ」だったそうで、個人事務所「若山企画」の社員全員に「スーパーマリオブラザーズ」をやらせ、大会を開いて賞金まで出していたそうです。

また、一人でも毎日のようにゲームをし、「腱鞘炎(けんしょうえん)」になっても包帯を巻いてやり続けたそうで、

「スーパーマリオ2」が発売された時には、仕事を休んでまでクリアしようとするなど、相当ハマっていたそうです(笑)

ちなみに、息子の若山騎一郎さんの著書「不器用に生きた男 わが父 若山富三郎」によると、若山さんは、普段、子どもたちには厳しかったそうですが、騎一郎さんと姉の佳代子さんに「スーパーマリオブラザーズ」のゲームを教える時だけは、優しかったそうです。

父親は長唄三味線の名手

さて、若山さんは、長唄三味線の名手だった父・杵屋勝東治さんのもと、2人兄弟の長男として東京・深川で誕生すると、幼い頃から、弟の勝新太郎さんとともに、長唄の修行をさせられたそうですが、身が入らず、かと言って勉強の方も大嫌いで、中学一年生を三回も落第されたのだとか。

(一方で、柔道は、師範(伍段)を目指すほど、熱心に稽古をされていたそうです。)

それでも、1949年、20歳の時には、ようやく長唄の修行を本格的に始めると、お父さんにより、「尾上菊五郎」劇団に預けられ、長唄の和歌山富十郎さんに弟子入りするのですが(この時、芸名を若山富三郎にされたそうです)、

歌舞伎の世界では、「長唄や三味線は役者よりも格下」という厳しい階級制度があったため、若山さんはこれに嫌気が差し、お父さんの跡を継ぐことを辞めてしまいます。

(長唄そっちのけで、殺陣の名人・坂東八重之助さんから、殺陣やトンボを習っていたとも言われています)

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「新東宝」入社は弟・勝新太郎の七光だった?

その後、若山さんは、用心棒などをしていたこともあったそうですが、1954年2月には、お父さんに、弟の勝さんと長唄と三味線のコンビを組まされ、お父さんと一緒に、吾妻徳穂さんの劇団「アズマカブキ」のバックとしてアメリカに巡業されます。

(若山さんが長唄、勝さんが三味線でしたが、勝さんはこの時すでに三味線の才能を開花されていました)

そして、同年6月に帰国すると、スター候補生として「大映」から映画界入りした勝さんが、早くも主演に抜擢されたこともあり、その名声に引きずられる形で、若山さんも「新東宝」からスカウトされます。

ただ、若山さんは、「弟の七光」に気が進まなかったのか、断るつもりで、1本30万円という破格の出演料と運転手付きの車での送迎という条件を提示されると、

「新東宝」がその条件を飲んだそうで、若山さんは「新東宝」に入社されたのでした。

「若山富三郎の若い頃はパッとせず干されたことも!」に続く

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