両親と同じ俳優の道を歩き始めて以降、父親・平幹二朗さんとは、これまで離れて過ごしていた時間を取り戻すかのように、公私ともに濃厚な時間を共にしていた、平岳大(ひら たけひろ)さんですが、そんな中、幹二朗さんが突然、他界されます。
父親・平幹二朗が他界
2016年10月23日、幹二朗さんと連絡が取れなくなったと、事務所から連絡があったことから、幹二朗さんの近所に住む岳大さんが、世田谷区内の幹二朗さんの自宅を訪問したところ、浴槽の中で倒れている幹二朗さんを発見したそうで、
岳大さんはすぐに119番通報したそうですが、救急隊員が駆けつけた時にはすでに心肺停止状態だったそうです。
父親・平幹二朗が死去する前日に会っていた
ただ、岳大さんによると、幹二朗さんは、亡くなる前日の夜、岳大さんとその双子の妹さんとその子どもと共に食事をされ、生まれたばかりの孫(岳大さんの双子の妹さんの子ども)にミルクを飲ませるなど、ご機嫌で家族水入らず、楽しい時間を過ごされていたとのことで、
そのことを岳大さんから伝え聞いた佐久間良子さんは、2017年、「文藝春秋」のインタビューで、
(食事の)翌日、事務所が平さんに電話したら出なかったので、岳大が一人暮らしの自宅に駆けつけるとお風呂場で倒れていた。
倒れた時もワインを持ってたそうですから、子供や孫と晩餐を楽しみ、その余韻にひたりながら亡くなられたのではないでしょうか。私が駆けつけた時も、安らかなお顔をしていました。
と、語っておられます。
告別式では喪主を務める
そして、同年10月28日、東京都港区・青山葬儀所でしめやかに告別式が執り行われると、北大路欣也さん、三田佳子さん、富司純子さん、渡辺謙さん、南果歩さん、栗原小巻さん、中尾彬さん、佐々木蔵之介さん、桐谷健太さん、桐谷健太さん、市川猿之助さん、山田涼介さんら約600人を超える弔問客が訪れ、
(前妻の佐久間良子さんは、前日に執り行われたお通夜に参列)
告別式の最後には、岳大さんが、親族の代表として、
本日は、父・平 幹二朗の葬儀にお越しいただきましてありがとうございました。「生前、父は――」という言葉をいつか自分も言う日がくるだろうなと思っていましたが、こんなに早く唐突に来るとは、思っていませんでした。
皆様におかれましても、このようなお知らせ差し上げるようになったことをお詫び申し上げます。生前の父は、どんな逆境に立たされても不死鳥のようによみがえってくる人でした。30年前の肺がんを患ったときも、それから小さな大病を患った時も奇跡のように、小さな奇跡を起こしながら復活を遂げてきました。
これでパワーが衰えるかなと僕は思っていんですけれども、なぜか、病気をすればするほどパワーアップしていくという不思議な人でした。僕が言うことではありませんが、その原動力になっていたのは、芝居だと思います。そんな平幹二朗をこれまで支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
最後の晩、実は最近、私の妹に子どもが生まれまして、しばらく忙しくしていた父は、その子どもに会えなかったので、先週の金曜日に、私と妻と父とで、妹の家にその子どもを見に行きました。
皆さんご存知かもしれませんが、あまり子どもの扱いに慣れていない父は、遠くのほうから最初は、不思議そうに子どもの顔を見ていたんですが、だんだん慣れてくると、最後には、太い大きな繊細な手で赤ん坊を抱きかかえ、哺乳瓶でミルクをあげていました。
それで気を許したのか、その晩、大好きなワインをたくさんいただきました。そして、僕と妹と父ができなかった家族の会話ができました。
そして、それにまた気をよくしたのか、さらにお酒をいただき、僕はフラフラの父を抱きかかえて、父の家に帰り、送り届けベッドの上に座らせ、「もう飲むなよと言ったんですが、子どもが顔を見るような可愛い顔をして、「たけ、もう帰りなさい(父・平幹二朗さんのような口調)」と笑っていました。
父は幸せだったと思います。そんな平幹二朗をこれまで支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
と、喪主の挨拶をされたのでした。
父親・平幹二朗への想い
ちなみに、岳大さんは、2017年11月、父・幹二朗さんの1周忌を迎え、記者から「平幹二朗」は役者としてどんな存在だったかと尋ねられると、
自分を守ってくれる殻であり、自分が抜け出したい殻であり、抜け出したくない殻であり、自分が同一化している殻なんだと思います。
それがなくなって、正直、初めて大人になったような気がしています。43歳になって恥ずかしいですが、本当に殻がなくなったなという気持ちは強いですね
と、寂しそうな表情を見せていたとのことで、
前日まで元気だったお父さんが、突然、目の前からいなくなったショックは、1年経っても癒えていないようでした。
「平岳大のデビューからの出演映画ドラマ舞台を画像で!」に続く