「文学座」の期待の星として、早くも、テレビドラマや映画で、女優としての才能を開花すると、1983年には、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」で、主人公・おしん(青春・成年期)役に抜擢された、田中裕子(たなか ゆうこ)さんですが、「おしん」の撮影は過酷を極めたといいます。

「田中裕子は若い頃に「おしん」で大ブレイク!」からの続き

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「おしん」の撮影は拘束時間が長く超過酷だった

主人公を演じた「おしん」が、平均視聴率52.6%、最高視聴率は62.9%という、日本ドラマ史上に残るメガヒットを記録したことで、大ブレイクされた田中さんですが、撮影は過酷を極めたそうで、

フリーライターの木俣冬(きまた・ふゆ)さん、おしんの奉公先である加賀屋の長女・加代役を演じられた東てる美さん、おしんの夫・竜三役を演じられた並樹史朗さんの3人の対談によると、撮影は、ほぼ毎日、朝から晩まで続くほど拘束時間が長く、かなり過酷だったそうです。

「おしん」では橋田壽賀子の脚本の長さに苦しめられていた

そして、何より大変だったのが、橋田壽賀子さんの脚本だったそうで、東さんによると、一般的な撮影現場では、本番前はお茶を飲みながら俳優同士会話をしたりするものだそうですが、橋田さんの脚本は、とにかくセリフが多いうえ、一つ一つのセリフが長くてそんな余裕はなく、

(東さんは、「おしん」以外にも、橋田さんの脚本作品に出演されているそうですが、どの現場でも同じだったそうです)

休憩中に田中さんとご飯を食べに行った時でさえ、二人とも食べながら黙々と台本を暗記している状態で会話はなく、ちょっとした時間でも、必死に台本を覚えないと、追いつかなかったそうで、

並樹さんも、

僕は初めてのドラマ出演でしたが、台本に10行もあるような長い台詞もあって、「これ、テレビドラマとして成立するのかな」と心配でした。でもやってみると、うまくハマるんです。

ただ覚えるのが本当に大変で、裕子さんに「台詞(覚えるのが)大変っすよ」って言ったら、「並樹くん、こんなにキツい仕事はそうないから」と慰めてもらいました。それでも、台詞の量が多すぎて、ストレスが溜まる。何やってても台詞が頭から離れないんですよ。

と、橋田さんのセリフの多さに疲労困憊(こんぱい)していたそうですが、

東さんによると、

私たちは出ない回もありますが、裕子ちゃんは出ずっぱり。たまに撮影がない日も台詞を詰め込まないと絶対に覚えられないから、本当に休む間もなかったと思います。

と、田中さんはさらに大変だったようです。

橋田壽賀子の脚本は「てにをは」を一つでも間違えることが許されなかった

さらに、キャラクターがきっちりと固まっている橋田さんの脚本は、「てにをは」を一つでも間違えると、セリフが出てこなくなるように作られており、それだけ、台本の構成がしっかりしている、とも言えるのですが、

(ほかの脚本だと、セリフを少し間違えても、意味を変えることなく、調整していくことができるそうです)

そのため、アドリブを入れる余地はなく、自由に演技をすることが許されなかったそうで、並樹さんには、そんな現場に、田中さんは半分も納得していないように見えたそうですが、それでも田中さんは不満を言わず、涙、困り顔のシーン等、その時の心情を上手に演技につなげていたそうです。

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ストレスから気を失って入院し1ヶ月撮影が止まっていた

また、撮影が進むにつれ、実際のテレビ放送では、おしんの子ども時代を演じた小林綾子さんの熱演が視聴者の心を打ち、「少女編」の視聴率がどんどん上がっていったため、そのバトンを受取る田中さんのプレッシャーは相当なものだったようで、

田中さんは、演技の途中、並樹さんの目の前で、突然、気を失って倒れ、救急車で運ばれてそのまま入院され、撮影が1ヶ月休止となっていたこともあったのだそうです。

「田中裕子の「おしん」大ヒットの理由は滲み出る色気だった!」に続く

「おしん」より。

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